槍~穂高縦走をめざす登山者、必見の講習会「萩原編集長の山塾」5月14日(水)19時~

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山と溪谷社では、リアル講習会と同時配信による登山技術セミナー「萩原編集長の山塾」を開催します。このセミナーでは、人気の登山コースを徹底的に詳しく紹介するとともに、安全に歩くためのハウツーをお伝えします。第1回は5月14日(水)、「槍・穂高縦走『日本一の岩稜コース』で岩稜登高の基礎を学ぶ」をテーマに、詳しいコース案内と登山技術を解説します。

萩原はこれまでにも雑誌『山と溪谷』やガイドブック、DVD登山ガイド、さらにテレビ番組など、さまざまなメディアで山の魅力をお伝えしてきました。しかし最も丁寧に、最も詳しく山の情報をお伝えできるのは、やはり対面方式による講座であると確信しています。文字数や収録時間の細かい制限なく、萩原自身の知りうる情報を最大限にお伝えする、そのような姿勢で、これから計3回のセミナーを開催します。

5月14日(水)にご案内するのは槍~穂高縦走です。北アルプス南部のダブルエースともいえる槍ヶ岳と穂高岳。大キレットという難所を越えてこのふたつを結ぶルートは、間違いなく「日本一の岩稜縦走コース」と言えるでしょう。日本で5番目に高い槍ヶ岳から第3位の奥穂高岳へ。さらに前穂高岳まで歩き通せば、全国に21ある3000m峰のうち、8つの頂を踏むことになります。

しかし、技術的にも最上位に位置づけられるこのコースは、だれでも気軽に歩くわけにはいきません。岩場を安定して通過できる歩行技術、長時間行動に耐えうる体力、過酷な気象条件に対応できる装備、そして当日の天候判断や体調による進退の判断力など、安全・確実に歩き通すためには事前の準備とルート研究が必要になります。

そこで、本セミナーでは、どこよりも詳しいコース案内と、そこで必要とされる登山技術をご紹介するつもりです。雑誌やガイドブックの取材で撮影した豊富な写真素材をもとに、日本一詳しいコース案内をさせていただきますので、どうぞご期待ください。

「萩原編集長の山塾」実践机上セミナー 
あこがれの縦走路に学ぶ ――コースガイドと登山技術――

■第1回 槍・穂高縦走「日本一の岩稜コース」で岩稜登高の基礎を学ぶ

日時:5月14日(水)19時~20時30分(受付18時30分〜)
会場:インプレスグループ セミナールーム(東京都千代田区神田神保町1-105 神保町三井ビルディング23階)[Google Mapで見る
受講料:

  • 会場受講+アーカイブ視聴:3,500円(税込)
  • オンライン受講+アーカイブ視聴:2,000円(税込)

アーカイブ配信:講演終了後、2週間アーカイブ映像を視聴可能
申し込み方法:下記(ツイキャス)より申し込む
https://twitcasting.tv/c:yamakei1930/shopcart/369281

■講師紹介
萩原浩司(はぎわら・ひろし)
1960年栃木県生まれ。小学生のころより父親とともに日光・那須の山々に親しみ、高校・大学時代は山岳部に所属。卒業後は山と溪谷社に入社し、『山と溪谷』『ROCK&SNOW』編集長を歴任する。現在は山と溪谷社取締役として山岳関連の雑誌・書籍部門を担当。2013年よりNHKの登山番組「にっぽん百名山」シリーズに出演。同2013年には母校・青山学院大学山岳部のヒマラヤ遠征に隊長として参加し、アウトライアー(7090m)東峰の初登頂を果たす。著書に『萩原編集長の山塾 実践! 登山入門』、『萩原編集長の山塾2 登山力』、ヤマケイ新書『萩原編集長 危機一髪!』、共著に『教えて編集長! 釈由美子の山の常識110の疑問』(いずれも山と溪谷社刊)などがある。日本山岳会会員。全国山の日協議会山の日アンバサダー。

問合せ先

山と溪谷社
info@yamakei.co.jp

この記事に登場する山

長野県 岐阜県 / 飛騨山脈南部

槍ヶ岳 標高 3,180m

 鋭角に天を突く岩峰でそのものずばりの命名、しかも北アルプス南部の登山道が集中する位置のよさ。槍ヶ岳は北アルプス南部の鎮である。  行政区分からいえば長野県の大町市、松本市と岐阜県高山市との境にそびえている山である。地理的条件も実に絶妙な場所といえる。  南から穂高連峰の縦走路、東から常念山脈や燕岳からの表銀座コース、谷筋では上高地から梓川、槍沢を遡っていく登山道、新穂高温泉から蒲田川右俣、飛騨沢を登るコースと、北アルプス南部のすべてのコースが槍ヶ岳に集中し、中央部へは西鎌尾根が唯一の回廊となって双六岳に通じる、北アルプス南部の扇の要である。  しかも鋭い槍の穂先のような姿は、日本の氷河地形の典型でもある。地質は硬いひん岩で、氷河が削り残した氷食尖峰。東西南北の鎌尾根も氷食地形、槍沢、飛騨沢、天上沢、千丈沢はU字谷とカールという、日本の氷河地形のサンプルぞろいである。  登山史上で初めて登頂したのは江戸時代の文政11年(1828)の播隆上人。4回登って3体の仏像を安置し、鉄鎖を懸けて信者の安全な登拝を可能にした。登路は安曇野の小倉村から鍋冠山を越えて大滝山へ登り、梓川に下って槍沢をつめている。今も残る槍沢の「坊主ノ岩小屋」は播隆が修業した籠り堂だ。  近代登山史の初登頂は明治11年(1879)の英人W・ガウランド。1891年には英人W・ウエストンも登っている。日本人では1902年の小島鳥水と岡野金次郎。穂高・槍の縦走は1909年の鵜殿正雄で、ここに槍ヶ岳の黎明が始まった。大正11年(1922)には3月に、慶応の槙有恒パーティによる積雪期の初登攀があり、同年7月7日には早稲田と学習院が北鎌尾根への初登攀に挑んでいる。早稲田は案内人なしの2人パーティで、槍ヶ岳頂上から独標往復。学習院は名案内人小林喜作とともに末端からと、方式も違う登攀でともに成功した。  その後も北鎌尾根ではドラマチックな登攀が行われ、昭和11年(1936)1月には、不世出の単独行者、加藤文太郎の遭難、昭和24年(1949)1月の松濤明、有元克己の壮絶な遭難が起きている。加藤の遺著『単独行』と松濤の手記『風雪のビヴァーク』は登山者必読の書である。  登山道で直接登るコースは、上高地から槍沢コース経由で槍ヶ岳(9時間30分)と、新穂高温泉から飛騨沢コース(8時間40分)の2本。ほかに穂高連峰からの縦走コース(7時間30分)、燕岳からの表銀座コース(8時間40分)、双六小屋から西鎌尾根コース(6時間)と数多い。

長野県 岐阜県 / 飛騨山脈南部

奥穂高岳 標高 3,190m

 奥穂高岳は穂高連峰の中央にそびえる盟主である。標高3190mは富士山の3776m、南アルプスの北岳の3192mに次ぐ日本第3位の高峰で、頂上に造られた2mを超す大ケルンの上に立つと第2位になろうかという高峰なのである。しかも堂々と大きい山容がいい。  山頂で綾線が分岐し、南西に延びる岩稜は馬ノ背からジャンダルムの奇峰を経て、間ノ岳、西穂高岳、焼岳へと延びる。  もう1つの岩稜は南東へ吊尾根となってたわみ、前穂高岳、明神岳となって上高地に雪崩落ちていく。  山稜は硬いひん岩(ひんがん、ひんは「王」偏に「分」の字)の破片に覆われ、岩屑の堆積した山だ。南東側は涸沢のカールが削り取った断崖で、南面は岳沢が急角度に落ち込み、上高地や乗鞍岳が見える展望の優れた山頂である。  山頂から100mほど西へ向かってから右に折れる主稜線を、うっかり見落として直進すると急傾斜にセバ谷に落ち込んでしまう。毎年のように事故を起こす「だましの尾根」だ。主稜線を北に下ると白出乗越で、穂高岳山荘がある。  頂上から南西に延びる岩稜は、奇峰ジャンダルムに続いている。前衛峰、門番といった意味のフランス語だが、むしろ独立峰と呼びたい山で、悠々としてとりとめのない奥穂高岳をきりっと引き締めている。  初登頂は明治42年(1909)の鵜殿正雄パーティで、槍ヶ岳への初縦走の途中だった。彼は大正元年(1912)には岳沢から天狗沢に入り、天狗のコルからジャンダルムを経て奥穂高岳の初トレースをしている。穂高岳開拓のパイオニアとして銘記されるべき人である。  穂高連峰の開拓は信州の梓川側が早く、山小屋もほとんど信州人が占めているが、奥穂高岳だけは、白出乗越に飛騨の名ガイド、今田重太郎が小屋を建てて登山者の安全を期した。1度登山者の不始末で全焼したが再建し、現在では近代的な山荘になっている。  一般登山道は涸沢からザイテングラートの岩尾根を登って白出乗越に出、奥穂高岳へ向かう。涸沢から白出乗越まで2時間、それから奥穂高岳頂上まで1時間。  飛騨側からは、新穂高温泉から蒲田川右俣を白出沢出合まで2時間、白出沢を登って白出乗越まで7時間。静かな谷のいいコースで、下りに使えば白出乗越から5時間30分で新穂高温泉に着き、バス停前の無料温泉で山の汗が流せるので、山好きに好評である。  上高地から岳沢を経て前穂高岳、吊尾根、奥穂高岳のコースは9時間で頂上に着く。少しきついが、登り甲斐のある道だ。

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