「平成」を山小屋で生きた象徴的な存在の女性たち

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山を駆けた女性たちの軌跡をたどり、平成の30年間を振り返る貴重な記録。『彼女たちの山』(山と溪谷社)より一部を抜粋して紹介する。

文=柏 澄子

第1回はこちら

「平成」を山小屋で過ごし、貫いた女性たち

昭和から平成にかけて山小屋で働き、その仕事を貫いた象徴的な存在の女性たちがいる。そのなかから、北アルプス・薬師岳山荘の堀井よし子と船窪小屋の松澤寿子 、南アルプス・両俣小屋の星美知子を紹介したい。

堀井は、少々変わった経緯で山小屋の女将になった。自分自身を「女将」と言うのでここでもそう呼びたい。前任者から堀井夫妻が薬師岳山荘を購入したのは昭和58(1983)年、堀井が35歳のとき。夫は公務員であり、自由に山小屋の仕事ができる状況ではなかったこともあり、当初から、堀井が山小屋を仕切ることが決まっていた。堀井は学生のころ、山小屋でアルバイトをした経験があったが、当時はピアノの先生をしていた。最初は夏の1カ月余りの営業だったので、ピアノの仕事と両立ができたし、夫や息子も手伝ってくれた。しかし百名山ブームも相まって「もっと長く営業してほしい」「周囲の小屋は秋も営業している」などのリクエストが相次ぎ、だんだんと営業期間を延ばしていった。いまでは6月上旬から10月上旬までの4カ月だ。アルバイトの経験しかなかったけれど、料理をつくり室内を掃除し、寝床を整えて客を迎えるのは、日常の家事とそう大きく変わりなく、堀井にとって楽しい仕事だった。疲れた体にどんなものが食べやすいだろうか。お腹いっぱい食べてもらう献立はなにか。喫茶メニューとして白玉あんみつを出したら喜んでもらえるのではないか。そんなことを考えるのも楽しかった。

薬師岳山荘(ていくおふさんの登山記録より)

しかしそれでも山小屋特有の問題もあり、戸惑いもあった。そんなときに手を差し伸べてくれたのは、穂高岳山荘の今田英雄だった。燃料のこと、メディアとの付き合い方、山小屋の改築のこと、なんでも教えてくれた。人手が足りないときには、自分の山荘の従業員を送り込んでくれた。穂高連峰と薬師岳、同じ北アルプスといえども遠く離れている。それでも今田は、会議などで堀井に会うたびに気にかけてくれた。

堀井は「そうやって、先輩たちが助けてくれたから続けてこられたんですよ」と言う。

改築したのは、平成22(10)年。玄関を広くして、居心地をよくした。厨房もなるべく使いやすいようにデザインしたが、結局はずっと使ってきた戸棚が役に立った。山小屋の調理道具は家庭用よりもはるかに大きい。特有のサイズのものを収めることができるのは、特注した戸棚だった。これは薬師岳山荘の財産だと思い、いまでも使い続けている。

≫「お母さん」と慕われた船窪小屋の松澤寿子

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プロフィール

柏 澄子(かしわ・すみこ)

登山全般、世界各地の山岳地域のことをテーマにしたフリーランスライター。クライマーなど人物インタビューや野外医療、登山医学に関する記事を多数執筆。著書に『彼女たちの山』(山と溪谷社)。 (公社)日本山岳ガイド協会認定登山ガイド。
(写真=渡辺洋一)

彼女たちの山

平成の30年間(1989-2019)、登山の世界で女性がどのように活躍してきたか。 代表的な人物へのインタビューを中心に、平成の登山史を振り返る。 それぞれの人生に山がもたらしたものとは何か。

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