道迷いからの滑落。重傷を負いながらも13日目に生還。当事者が6年ぶりに現場再訪

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2016年10月大峰山系・弥山。ひとりで弥山に登った冨樫さんは、下山時に道に迷い、滑落して重傷を負う。その場で救助を待ったが、救助隊はやってこない。生きて帰るために男性が下した決断とは・・・。

文=羽根田治、写真=神谷年寿

雨のなか、現場へ向かう冨樫さん。当時は今ほど標識も赤テープも整備されていなかった

6年前のあの日も雨だった。中国・四国・九州の百名山をほぼ登り終え、「次は近畿の山に登ろう」と計画。10月8日、天川川合(てんかわかわあい)から入山した。雨が降り出したのは栃尾辻(とちおつじ)の辺りで、弥山(みせん)小屋へ着くころは本降りとなった。

翌9日の朝、強い雨が降るなか出発。八経(はっきょう)ヶ岳、レンゲ道を経由して下山し、ナベの耳あたりまで来たところで、目印の赤テープが見当たらなくなった。1時間ほど周辺を右往左往して登山道を探したが見つからず、そのうちに崖の上に飛び出し、下をのぞき込もうとした瞬間、足元の土が崩れ、ガレ場の斜面を滑り落ちて意識を失った。

6年前も地図を見ながら行きつ戻りつしたが、登山道には戻れなかった
場所によっては、コースを外れると今でも目印を見失いそうになる

気がつくと、胸骨と左の肋骨、そして腰が強烈に痛み、立つことさえままならなかった。「動けない以上、ここでじっとしているしかない」と腹を据え、以降、傷の回復を図りながら救助を待った。

しかし、何日待っても救助隊は現われず、遭難して12日間が経過した21日、意を決して自力脱出を試みた。

2日がかりで登山道まで這い上がったところに登山者が通りかかり、助けを借りて救助を要請し、ヘリで病院へと搬送された。ケガは腰椎破裂骨折、左右の肋骨計6カ所の骨折などで、約2カ月の入院が必要だった。退院・リハビリ後も後遺症が残り、今も時折腰に痛みが出る。

遭難発生日 2016年10月9日〜22日
発生場所 大峰山系・弥山周辺
態様 道迷い→滑落
遭難者 冨樫篤英/男性・当時53歳
40代後半から、勤務先の企業内にあった山岳部に入って登山を始める。月1回ほどのペースで、百名山を中心に山行を実施。2013年に島根県に転勤したのちは、中国・四国・九州の百名山を単独で踏破していった
当初の山行計画 10月8日/天川川合登山口~栃尾辻~狼平~弥山小屋(泊)/コースタイム5時間45分
10月9日/弥山小屋~八経ヶ岳~レンゲ道~栃尾辻~天川川合登山口/コースタイム5時間
主な装備 ザック(50ℓ)、着替え、雨具、山と高原地図、コンパス、登山用多機能リストウォッチ、ヘッドランプ、スマートフォン、折りたたみ傘、トレッキングポール、手帳、ボールペン、水筒、行動食(1日分)
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プロフィール

羽根田 治

1961年、さいたま市出身、那須塩原市在住。フリーライター。山岳遭難や登山技術に関する記事を、山岳雑誌や書籍などで発表する一方、沖縄、自然、人物などをテーマに執筆を続けている。主な著書にドキュメント遭難シリーズ、『ロープワーク・ハンドブック』『野外毒本』『パイヌカジ 小さな鳩間島の豊かな暮らし』『トムラウシ山遭難はなぜ起きたのか』(共著)『人を襲うクマ 遭遇事例とその生態』『十大事故から読み解く 山岳遭難の傷痕』などがある。近著に『山はおそろしい 必ず生きて帰る! 事故から学ぶ山岳遭難』(幻冬舎新書)、『山のリスクとどう向き合うか 山岳遭難の「今」と対処の仕方』(平凡社新書)など。2013年より長野県の山岳遭難防止アドバイザーを務め、講演活動も行なっている。日本山岳会会員。

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