残雪期登山のリスクマネジメント

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残雪期の山は寒暖差が激しく、雪の状態も変化しやすい。雪庇の崩壊や雪崩、低体温症など、多様なリスクが潜在し、リスクマネジメントにおいては現場での判断力・対応力が重要だ。

監修・写真=佐藤勇介、構成・文=池田菜津美、イラスト=村上テツヤ

目次

残雪期の登山はどんな環境?

残雪期の登山というと、暖かくて過ごしやすく、雪は締まって歩きやすいという印象をもっている人は多いかもしれない。そうした穏やかな環境や比較的易しい印象は、残雪期の一面にすぎず、実際は、日中は暖かくても夜には氷点下になり、それにともなって雪の状態も刻一刻と変化する。

晴れた午後など、気温が上がると雪庇が崩れやすい
晴れた午後など、気温が上がると雪庇が崩れやすい

残雪期の環境やリスクについて、山岳ガイドの佐藤勇介さんにお話を聞いたところ、残雪期の難しさは環境の振れ幅が大きいこと、雪の状態が変化しやすいことにあるという。

「どんなウェアやギアが必要なのか迷うことも多いです。雨が降る可能性があるならレインウェアが必要ですし、雪が少なそうなら軽アイゼンを使うことも考えたい。厳冬期に比べて寒暖差が激しく、雪の状態が不安定なので、ウェアもギアも選択肢が増えてしまうんです」

また、残雪期の山は情報を得るのも簡単ではない。

「インターネットなどで例年の状況を調べたところで、その冬の降雪量が少なければ残雪も少なくなります。降雪量が多かったとしても、春先から雨が続けばあっという間に消えてしまいますし」

特にGW前後は気温の上昇が激しく、GW前は白い稜線でも、GW後半には地面が露出することもある。雪がなければ歩くのが難しいルートもあり、撤退や迂回を考えなくてはならない。残雪期にはしっかりとした備えに加え、現場での判断力・対応力も求められるのだ

厳冬期と残雪期の環境の違い(北アルプスなどの山域)

  厳冬期 残雪期
気温
  • 基本的に寒冷な環境
  • 一日中寒い
  • 日中は暖かく、朝晩は寒い
  • 寒暖差が激しく、気温がプラスとマイナスを行き来する
降雪など
  • 降雪量が多い
  • 雨やみぞれが降ることが多い
  • まれに大雪が降ることもある
雪質
  • 新雪が常に供給され、比較的軟らかい
  • 雪が深い
  • 稜線などではクラストする
  • グズグズに緩んだり、カチカチに凍ったりする
  • 状態が変化しやすい
  • 大きな割れ目が入ることがある
天候
  • 悪天候が長く続く
  • 周期的に変化する
日射
  • 日差しが弱い
  • 日差しが強い
日照時間
  • 日が短く、少ない
  • 日が長く、多い
  • 強い
  • 厳冬期ほど強くはない

厳冬期=厳しい環境が安定して続いている状態
残雪期=ちょうど冬と春の間にあって、環境が変化しやすい状態

残雪期の環境

特徴は環境の振れ幅が大きいこと。過ごしやすい環境ばかりではないので注意しよう。

天候

周期的に変化し、晴れの日は増える。

日射、日照時間

5月の紫外線量は夏とほぼ変わらないという。夏至(6月下旬)に近づき、日照時間も増える。

気温

日中は暖かく、標高の低い樹林などでは初夏の陽気になることも。

雪質

朝晩の稜線などでは凍り、日中の暖かさで解けるとグズグズに緩み、変化が激しい。

天候が荒れれば、冷たい強風が吹くことは多い。

降雪

気温が高ければ雨やみぞれ、低ければ雪になる。GW前後は大雪が降る可能性もある。

残雪期の環境を踏まえて注意すべきポイント

ウェア

厳冬期は厳しい寒さや強風に対してしっかりした備えがあれば大丈夫だが、残雪期は暑さと寒さの両方を見越してウェアを選ぶ必要がある。日中の気温差が激しく、レイヤリングでの体温調整も重要。厳冬期と大きく異なるのは、雨が降る可能性があること。冬用のジャケットではなくレインウェアを使ったほうがよいこともあるので、天気予報と相談しながらウェアを選択しなければならない。

ギア

雪の上を歩くときはアイゼンとピッケル(場合によってはトレッキングポール)が基本装備になる。だが、岩が露出する箇所が多く、雪が硬くない(氷ではない)ときなどは、引っかけによる転・滑落のリスクを考えると、軽アイゼンやチェーンスパイクのほうが安全で使いやすいこともある。ただし、急な雪面が一部でもある場合は前爪のあるしっかりとしたアイゼンが必要となるので注意すること。

残雪期は雪のない場所が増えて、アイゼンワークの難易度が上がる
残雪期は雪のない場所が増えて、アイゼンワークの難易度が上がる

歩行技術

残雪期は雪が締まるので歩きやすいと思っている人は多いかも知れないが、雪がグズグズに緩むと、ステップを刻みにくく、時には足場が崩れやすくて危険なことも。標高が高いところでは一度解けた雪がカチカチの氷になり、正確なアイゼンワークが求められる。一方で、雪解けで岩の露出した場所が多いため、雪(氷)と岩のミックスをアイゼンで歩く機会は厳冬期よりも増える。

まずは環境をしっかり予想し、備えを万全にすること。現場での判断力と対応力も不可欠。

残雪期のリスクと対処法

気温の高い残雪期で思いつくリスクといえば雪庇の崩壊や雪崩の発生だろう。どちらも周辺の環境を注意深く観察することが重要で、兆候を見逃さないようにしたい。

「リスクを避ける行動計画も大事です。午後の雪が緩む時間帯には急な沢地形を歩かない、午後早めに行動を終えるなど、ルートやスケジュールにも気を配るようにしています」

残雪期のリスクは、環境の振れ幅が大きいことで生み出されるものも多い。激しい寒暖差で解けた雪はカチカチの氷になり、厳冬期よりも硬いアイスバーンをつくる。アイゼンが利きにくいだけでなく、一度滑ると止まることができず、大事故につながる可能性もある。

谷川岳一ノ倉沢のデブリ。雪が緩んでくると全層雪崩が起こることも
谷川岳一ノ倉沢のデブリ。雪が緩んでくると全層雪崩が起こることも

また、残雪期のリスクで見落とされがちなのが低体温症だ。

「樹林帯で汗をびっしょりかいて、稜線の風でキンキンに冷えるなど、四六時中寒い厳冬期とは違い、時間帯や標高、斜面の向きによって寒暖差があるためレイヤリングなどで体温を調整しなくてはなりません。同様に、標高の低いところで雨に降られたあと強風に吹かれると、みるみる体が冷えていくので注意が必要です」

残雪期のリスクマネジメントでは、周囲の環境を観察する力や先の状況を読む力、現場の環境を踏まえて最善の策を判断する力などが試される。そういった意味では厳冬期よりも難しい登山といえるだろう。

残雪期のリスク

雪が緩めば雪庇の崩壊や雪崩、低温であれば転・滑落や低体温症と、その時の状況で待ち受けるリスクが異なる。

転・滑落

雪が解ける・凍るを繰り返し硬くなっているため、転・滑落のリスクが高い。厳冬期は転んでも雪に埋まるだけで済むことがあるが、残雪期は滑りやすい雪質で転ぶと止まらない可能性がある。硬い雪や雪がなくなった地面に滑落すると、大ケガを負うリスクも高い。

雪庇の崩壊

厳冬期でも雪庇の崩壊は起きるが、残雪期ではそれがブロック雪崩を誘引することがある。暖かくなるほどリスクは高まるため、西日を受ける西面の雪庇などは非常に危険。雪庇の位置や向きに注意し、周辺を通過するときは朝早い時間になるように計画を立てる。

毛無山の稜線。雪庇に亀裂が入っているため、距離を置いてルートを取る
毛無山の稜線。雪庇に亀裂が入っているため、距離を置いてルートを取る

シュルント(雪面の割れ目)への落下

割れ目にうっすらと雪が積もり、見えなくなっていることがある。不自然な段差がないか、周囲に割れ目らしきものはないかなど、雪面の状態を常に観察すること。特に斜面の角度が変わるところでは、雪の重みで裂け目ができやすい。裂け目から下部がブロック雪崩になることもあるので要注意。雪渓は中央と両端の雪面が薄くなるので踏み抜きに注意。木の幹の周りはツリーホール(雪が解けてなくなった箇所)があると思って、近づかないこと。

雪庇の割れ目。縁は薄くもろいことがあるので近づかないように
雪庇の割れ目。縁は薄くもろいことがあるので近づかないように

雪崩

雪庇の崩壊によるブロック雪崩のほか、スノーボールが誘発する湿雪雪崩にも気をつけたい。厳冬期の表層雪崩はスピードがあって規模が大きいのに対し、残雪期の湿雪雪崩は雪が重くて速度が出にくい。遠目に見て軟らかそうでも春の雪は硬いため、小規模でもダメージは大きいと思ったほうがよい。気温が高い、日差しが強い、急斜面など、雪崩が起きやすい環境のときは注意すること。スノーボールが頻繁に落ちてくるときは湿雪雪崩の、雪面に大きなシワが見られたり、斜面上部に割れ目があったりするときは大規模な全層雪崩の兆候。また、南岸低気圧で降雪があったときは特に注意。結合の悪い雪が短時間で積もるので、雪崩れやすいと言われている。

亀裂(赤矢印)やシワ(黄色矢印)雪崩の前兆だ
亀裂(赤矢印)やシワ(黄色矢印)は雪崩の前兆だ

低体温症

いちばん危ないのが、標高の低いところで雨に降られ、稜線の強風で体を冷やすというケース。残雪期は気温が高くて汗をかきやすい一方で、風が吹くと寒かったり、日が暮れると冷え込んだりするため、汗冷えによる低体温症のリスクも高い。標高の低い樹林帯のほか、雪に覆われた谷は照り返しがきついので油断しないように。汗冷えと同時に熱中症にも気をつけよう。

雪盲、日焼け

5~6月は一年で最も日差しの強い時期。雪の照り返しで日射は増幅される。雪盲にならないようにサングラスは必須。日焼けは体力を消耗するので、長袖を着用したり日焼け止めを塗ったりしてしっかり予防を。

落石

雪が解けて地面が出始めると、落石が増える。夏季の落石との違いは音がしないこと。雪の上を無音で転がってくるため、目視で確認しないと気がつきにくい。谷や急斜面の近くを歩くときは充分に警戒し、休憩時間は斜面に背を向けないようにしよう

雪渓に落石が多数。音もなく落ちてくるので周囲に気を配ること
雪渓に落石が多数。音もなく落ちてくるので周囲に気を配ること

道迷い

厳冬期は雪面を自由に歩けるが、残雪期は雪がなくなった箇所が出てくる。夏道と雪面が交互に出てくるときは、雪面を自由に歩いたあと、夏道を見失うことがよくある。夏道が出ていたとしても、周辺の木立やヤブが覆い被さっているとわかりにくい。また、ヤブを避けているうちに、ルート取りが狂ってしまうこともあるので、現在地を確認しながら進むこと

『山と溪谷』2022年5月号より転載)

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プロフィール

佐藤勇介(さとう・ゆうすけ)

日本山岳ガイド協会認定山岳ガイドステージⅡ。夏はフリークライミングや沢登り、冬はアイスクライミングや雪稜登攀など、オールラウンドに登山に取り組む。『登山入門』(山と溪谷社)の監修など、登山の正しい技術・知識の普及に努める。 https://essential-line.com/

山と溪谷編集部

『山と溪谷』2024年5月号の特集は「上高地」。多くの人々を迎える上高地は、登山者にとっては入下山の通り道。知っているようで知らない上高地を、「泊まる・食べる」「自然を知る・歩く」「歴史・文化を知る」3つのテーマから深掘りします。綴じ込み付録は「上高地散策マップ」。

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