山の検索結果

検索条件:

テーマ:花の百名山

100 件中 1~10件表示

南アルプス (山梨県)

北岳 

標高 3,193m

 日本で富士山に次いで高い山は白峰の北岳である。白峰は通称白峰三山と称し、3000mを抜く山5座が、南アルプスの北部に連なっている。すなわち北岳(3192m)、中白峰(3055m)、間ノ岳(3189m)、西農鳥岳(3050m)、農鳥岳(3026m)である。  この連山の最北にある故、北岳。当を得た山名である。古くは『平家物語』に「手越を過ぎて行きければ、北に遠ざかりて、雪白き山あり。問へば甲斐の白根と云ふ」と出ているが、果たして東海道筋から見えたであろうか。時代は下がり、『甲斐国志』(文化11年―1814年編)によれば「白峰、此山本州第一ノ高山ニシテ西方ノ鎮タリ。国風ニ詠スル所ノ、甲斐ヶ根コレニシテ(中略)南北ニ連ナリテ三峰アリ。其北方最モ高キモノヲ指シテ、今専ラ白峰ト稱ス」と記している。  同書によれば、「山上ニ日ノ神ヲ祀ル。其像黄金ヲ以テ鋳ル。長七寸許、容ルニ銅室ヲ以テス。高貳尺貳寸廣方八寸、其四隅ニ鈴ヲ掛ク、風吹ケハ声アリ」と大日如来を祭ってあることを載せている。明治41年7月、この頂に立った小島烏水は「奉納大日如来寛政七年乙卯六月(1794年)」と彫られた小鉄板のあったことを記録している。となれば『甲斐国志』の記事も本当かも知れない。  明治4年、地元、芦安村の行者、名取直江が里宮、中宮、奥宮を造営して開山したという。  登山者として最初にこの頂を踏んだのはウエストンで、明治35年8月23日のことであった。積雪期の初登頂は大正14年3月22日、京都三高山岳部のメンバーで、西堀栄三郎、桑原武夫、多田政忠、四手井綱彦の4人。野呂川両俣から右俣に入り、間ノ岳を経て頂上に立った。次いで3月28日、山梨の平賀文男が広河原から第2登を飾った。  最近は交通の便がよくなり、おそらく南アルプスの山の中で、一番人気のある山ではないだろうか。登山基地の広河原まで車で入れば、1泊2日でゆっくりと往復でき、雪渓あり、お花畑あり、しかも展望絶佳ときている。  展望は南、眼前にどっかと腰をすえた間ノ岳、これに重なり合うは、塩見岳や悪沢岳。南東の櫛形山の上に富士山、東側には鳳凰三山の上に奥秩父。その左には八ヶ岳、甲斐駒ヶ岳。遠く白馬三山から槍・穂高、その左にずんぐりと仙丈ヶ岳、御岳山、中央アルプスが堪能できる。  登山コースは広河原から大樺沢二俣、小太郎尾根経由で6時間、同じく二俣から八本歯のコル経由で5時間強の登りで登頂可能。

周回 一泊二日 11時間
甲斐の国を代表する名峰。南アルプスの盟主

コース定数:41

往復 一泊二日 17時間10分
北岳・間ノ岳を往復 前夜泊1泊2日

コース定数:64

縦走 二泊三日 19時間5分
白峰三山を一挙に縦走するロングコース

コース定数:69

縦走 三泊四日 25時間30分
北岳から塩見岳を縦走する前夜泊3泊4日

コース定数:93

北アルプス・御嶽山 (長野県 岐阜県)

槍ヶ岳 

標高 3,180m

 鋭角に天を突く岩峰でそのものずばりの命名、しかも北アルプス南部の登山道が集中する位置のよさ。槍ヶ岳は北アルプス南部の鎮である。  行政区分からいえば長野県の大町市、松本市と岐阜県高山市との境にそびえている山である。地理的条件も実に絶妙な場所といえる。  南から穂高連峰の縦走路、東から常念山脈や燕岳からの表銀座コース、谷筋では上高地から梓川、槍沢を遡っていく登山道、新穂高温泉から蒲田川右俣、飛騨沢を登るコースと、北アルプス南部のすべてのコースが槍ヶ岳に集中し、中央部へは西鎌尾根が唯一の回廊となって双六岳に通じる、北アルプス南部の扇の要である。  しかも鋭い槍の穂先のような姿は、日本の氷河地形の典型でもある。地質は硬いひん岩で、氷河が削り残した氷食尖峰。東西南北の鎌尾根も氷食地形、槍沢、飛騨沢、天上沢、千丈沢はU字谷とカールという、日本の氷河地形のサンプルぞろいである。  登山史上で初めて登頂したのは江戸時代の文政11年(1828)の播隆上人。4回登って3体の仏像を安置し、鉄鎖を懸けて信者の安全な登拝を可能にした。登路は安曇野の小倉村から鍋冠山を越えて大滝山へ登り、梓川に下って槍沢をつめている。今も残る槍沢の「坊主ノ岩小屋」は播隆が修業した籠り堂だ。  近代登山史の初登頂は明治11年(1879)の英人W・ガウランド。1891年には英人W・ウエストンも登っている。日本人では1902年の小島鳥水と岡野金次郎。穂高・槍の縦走は1909年の鵜殿正雄で、ここに槍ヶ岳の黎明が始まった。大正11年(1922)には3月に、慶応の槙有恒パーティによる積雪期の初登攀があり、同年7月7日には早稲田と学習院が北鎌尾根への初登攀に挑んでいる。早稲田は案内人なしの2人パーティで、槍ヶ岳頂上から独標往復。学習院は名案内人小林喜作とともに末端からと、方式も違う登攀でともに成功した。  その後も北鎌尾根ではドラマチックな登攀が行われ、昭和11年(1936)1月には、不世出の単独行者、加藤文太郎の遭難、昭和24年(1949)1月の松濤明、有元克己の壮絶な遭難が起きている。加藤の遺著『単独行』と松濤の手記『風雪のビヴァーク』は登山者必読の書である。  登山道で直接登るコースは、上高地から槍沢コース経由で槍ヶ岳(9時間30分)と、新穂高温泉から飛騨沢コース(8時間40分)の2本。ほかに穂高連峰からの縦走コース(7時間30分)、燕岳からの表銀座コース(8時間40分)、双六小屋から西鎌尾根コース(6時間)と数多い。

往復 一泊二日 16時間35分
北アルプスを代表する名峰の飛騨側登山道

コース定数:62

往復 二泊三日 17時間15分
中崎尾根から槍ヶ岳を目指す2泊3日

コース定数:65

往復 二泊三日 17時間35分
北アルプスの象徴、憧れの槍ヶ岳へ上高地から往復

コース定数:71

周回 三泊四日 17時間59分
日本アルプスの象徴、憧れの山に登る

コース定数:69

往復 二泊三日 19時間
新穂高から槍ヶ岳から南岳新道を下山2泊3日

コース定数:70

南アルプス (静岡県)

東岳 東岳(悪沢岳)

標高 3,141m

 前岳、中岳、東岳の3つの峰をまとめて荒川三山と呼ぶが、いずれも3000mクラスの山で、雪をかぶったときは、遠く東海道線の車窓からでも、横一列に並んだ姿をはっきり見ることができる。この3つの山の中でずば抜けて目立つのが、地形図に東岳と記載されているピークである。一般的には東岳と呼ばず、悪沢岳で通っている山である。悪沢岳とは重量感がある名前だ。3141mの高さがありながら、三角点がないのがちょっと寂しい。  山頂からは南アルプスの山々が一望のもとに見渡せ、時間を忘れさせてくれる。周辺には荒川小屋、中岳避難小屋、千枚小屋の3つの小屋があり、夏期には管理人が入り営業している。  また千枚小屋から千枚岳、悪沢岳と中岳の鞍部南面、前岳から荒川小屋への下りは、広大なお花畑で、雪が消えると多彩な花々が咲き競う。  南アルプス南部の核心部であるこの辺りの山へ入るには、それ相応の日数と時間がかかる。静岡からバスで畑薙第1ダムまで入り、ダムから林道を5時間ほど歩いて椹島泊。翌日、千枚小屋まで約6時間。悪沢岳往復は歩き方にもよるが、さらに3時間はかかる。 荒川三山を西から ・前岳(荒川前岳) 標高3068m ・中岳(荒川中岳) 標高3082m ・悪沢岳(別名東岳または荒川東岳) 標高3141m 日本第6位の高さである。

縦走 二泊三日 13時間15分
本邦6位の標高を誇る山は名前にも趣がある

コース定数:51

縦走 三泊四日 16時間40分
小渋川・大聖寺平 3泊4日

コース定数:68

往復 二泊三日 19時間40分
荒川三山と赤石岳を周回する2泊3日

コース定数:77

縦走 三泊四日 19時間45分
荒川三山を縦走する3泊4日

コース定数:76

縦走 三泊四日 26時間50分
荒川前岳の広大なお花畑と盟主の赤石岳へ

コース定数:100

北アルプス・御嶽山 (長野県 岐阜県)

涸沢岳 

標高 3,110m

 穂高連峰の主な岩峰は、涸沢カールを中心に半円を描いている。テント場から見上げるとひときわ目をひくのが北の肩に鋭い三角錐の涸沢槍を従えた涸沢岳である。南に前穂高岳と奥穂高岳、北にクライマーのハイマート、北穂高岳と、すばらしい山々がそびえているが、姿のよさでは涸沢岳がまとまっている。  ひん岩(ひんがん、ひんは「王」偏に「分」の字)の筋肉質の岩峰で、北穂高岳側は険しい岩壁となり、縦走路としては一級の悪さだ。  南の鞍部は白出(しらだし)沢の突き上げる白出乗越。歴史の古い穂高岳山荘が、風力発電、太陽光発電など最新のシステムを駆使して建っている。山頂から西に張り出している西尾根は冬期コースとなり、北穂高岳・滝谷の眺めがすごい。  上高地から涸沢、ザイテングラート経由で所要8時間30分。涸沢の中腹には、近代登山史に残る涸沢の岩小屋がある。新穂高温泉からは白出沢経由で所要9時間30分。

縦走 二泊三日 17時間5分
上高地から奥穂高、白出沢を下山

コース定数:62

往復 二泊三日 18時間55分
穂高連峰(北・奥・前)縦走

コース定数:69

周回 二泊三日 19時間40分
岩稜の魅力が満喫できる穂高周遊

コース定数:79

南アルプス (静岡県)

中岳 

標高 3,084m

中岳は荒川岳、荒川三山とも呼ばれる、いくつかのピークの集合体の1つである。「三山」と呼ぶ場合は以下の3つの山を指す(以下、高さ順ではなく西から東への位置順に記す)。 * 前岳(荒川前岳) 標高3068m * 中岳(荒川中岳) 標高3084m * 東岳(悪沢岳または荒川東岳) なお、東岳(悪沢岳)は標高3141mで、日本第6位の高さである。

縦走 三泊四日 16時間40分
小渋川・大聖寺平 3泊4日

コース定数:68

往復 二泊三日 19時間40分
荒川三山と赤石岳を周回する2泊3日

コース定数:77

縦走 三泊四日 19時間45分
荒川三山を縦走する3泊4日

コース定数:76

縦走 三泊四日 26時間50分
荒川前岳の広大なお花畑と盟主の赤石岳へ

コース定数:100

南アルプス (長野県 静岡県)

前岳 

標高 3,068m

前岳は荒川岳、荒川三山とも呼ばれる、いくつかのピークの集合体の1つである。「三山」と呼ぶ場合は以下の3つの山を指す(以下、高さ順ではなく西から東への位置順に記す)。 * 前岳(荒川前岳) 標高3068m * 中岳(荒川中岳) 標高3082m * 東岳(悪沢岳または荒川東岳) 標高3141m なお、東岳(悪沢岳)は日本第6位の高さである。

縦走 三泊四日 19時間45分
荒川三山を縦走する3泊4日

コース定数:76

縦走 三泊四日 26時間50分
荒川前岳の広大なお花畑と盟主の赤石岳へ

コース定数:100

南アルプス (長野県 静岡県)

塩見岳 

標高 3,052m

 この山はきれいな三角形をしているので、山頂に雪がある時期には、駿河湾岸からでもはっきり分かる。周りに高い山がないので、独立した山のようにも見える。標高3000mを超える南アルプスの山の中では、山頂へ立つまでのアプローチが長いため、どうしても後まで登れずに残る山のようだ。  塩見岳は2つのコブからなっていて、低い方の西峰(3047m)に二等三角点がある。大展望が広がる中で、特に大井川東俣の谷を挟んで農鳥岳から南下する尾根上に、広河内岳、白河内岳、黒河内岳という山々が美しい稜線を見せている。  南アルプス中部で抜きん出た山だけに登山記録も古くからあり、明治35年に家中虎之助が測量のため登頂、二等三角点を選点している。登山者では河田黙が同42年に三峰川側から登頂している。一般に登れるようになったのは昭和10年の三伏(さんぷく)小屋建設以降で、鹿塩温泉を経営する平瀬理太郎が建てたもの。  飯田線伊那大島駅からバスで塩川へ入り、三伏峠を経て塩見岳の頂上に立つ(9時間30分)のが普通のコースだが、健脚者は北岳から間ノ岳、三峰岳、熊ノ平とたどって塩見岳の頂上へ立ち(間ノ岳から6時間30分)、満足感にひたって前者の逆コースで帰る。大半の登山者が歩くコースはこのふた通りである。いずれにしても塩見岳を征服するにはかなりの道のりである。  もっと山慣れした人には、身延線の身延からバスで新倉まで来て、転付(でんつく)峠を越えて二軒小屋に入り、大井川の東俣、西俣の合流地点から蝙蝠(こうもり)尾根に取り付き、北俣岳から塩見岳へ達するコース(二軒小屋から山頂まで9時間)が面白い。以前のようなヤブや倒木は整備されて、かなり歩きよくなっている。  塩見岳に短時間で登りたいという人に、自家用車を使って塩見岳の裏側から入る、とっておきのコースを紹介する。まずは三峰川の上流、小瀬戸ノ湯を目指す。以前は小瀬戸ノ湯近くにゲートがあったが、現在はさらに上流へゲートを移して、利用しやすい林道になっている。5kmほど奥の巫女渕のゲートに車を残し、林道を1時間弱歩くと橋があり、登山口の標識がある。地形図で大黒沢が注いでいる所である。このコースは権右衛門山から北方に張り出した尾根に取り付くのだが、尾根に出るまでは急登でも、出てしまえば、こんな所にこんないい道があったのかと驚くばかりである。塩見小屋へは6時間もあれば十分達することができる。登りつめて行くと権右衛門山直下を左手に巻いて、小屋の少し手前で三伏峠からの道と合流する。

往復 二泊三日 16時間
鳥倉登山口から塩見岳を往復する

コース定数:63

縦走 一泊二日 16時間15分
塩見岳から蝙蝠尾根を下る 前夜泊1泊2日

コース定数:58

往復 一泊二日 17時間10分
南アルプス中央部に鎮座する勇壮な山

コース定数:64

縦走 三泊四日 25時間30分
北岳から塩見岳を縦走する前夜泊3泊4日

コース定数:93

南アルプス (山梨県 長野県)

仙丈ヶ岳 

標高 3,033m

 南アルプス北端の3000mの山。北に屹立する甲斐駒ヶ岳に比べ、穏やかな山姿で、片や男性的とすれば、こちらは女性的な印象を受ける。女性的だからか、大変な恥ずかしがり屋で、甲州側の平地では、その姿を見ることはできない。  古くは、甲斐駒ヶ岳の前座として、前山(めえやま)の名があった。その他、お鉢岳の異名もあった。豊かに発達した氷河地形から名づけられたものと思う。仙丈の字にしても、千畳敷からきたものであろう。やはりカールを意味するのではないか。確かに『甲斐国志』も、明治20年出版の『新撰甲斐国地誌略』のいずれも、千丈ヶ岳と記載されている。  このカールは、高山植物の宝庫である。夏季、藪沢源流部、大仙丈沢、小仙丈沢などに大きなお花畑を見ることができる。  交通の便がよく、伊那側、甲州側ともに、登山基地となる北沢峠まで、それぞれ村営バスで入ることができる。その上、回遊コースを設定できるのも人気の1つであろう。  北沢峠から藪沢を上がり、馬ノ背から頂上へ。帰りは小仙丈ヶ岳を回って北沢峠に降りてくる(登り4時間で山頂、下り3時間弱で北沢峠)。あるいは、頂上から馬鹿尾根をたどり、野呂川の両俣小屋を経て北沢橋に降り、バスで元に戻ることもできる。  また、甲斐駒ヶ岳とセットで8の字形に歩くことも可能である。さらに、周辺部に山小屋が多くあることも登山を容易にしているので、近年、登山者が多くなっている。  山頂からの眺望はよく、南の方は遠く塩見岳、東は大菩薩連嶺から富士山、近くに白峰三山、北には早川尾根、八ヶ岳、奥秩父の峰々、間近に堂々たる甲斐駒ヶ岳、鋸岳を見る。はるかかなたに峰を連ねるのは、北アルプスの山並みである。伊那谷を隔てて西には中央アルプスが、横一線に並んでいる。  登山者として早期に登ったのは、明治42年(1909)、日本山岳会創立発起人のひとり、河田黙であった。頂上に前岳三柱大神、明岳大神、国常立尊(くにのとこたちのみこと)、国狭槌尊(くにのさづちのみこと)と3基の石碑のあったことを記録している。そのほか東芝山岳部が同僚の遭難者の供養のために建てた方位盤などがあったというが、それらのいずれも今はその面影すら残っていない。  積雪期に挑んだのは、京都三高山岳部の一行であった。大正14年3月19日、山梨県設北沢小屋から一気に小仙丈ヶ岳を経て頂上に立った。  そのときのガイド、竹沢長衛は、昭和5年に北沢に長衛小屋を建てた。そのかたわらにある彼のレリーフが、今でも登山者を見守っている。

周回 一泊二日 6時間40分
雄大なカールを抱く南アルプスの女王

コース定数:28

周回 一泊二日 14時間
北沢峠を基点に南アの貴公子と女王に登る

コース定数:55

北アルプス・御嶽山 (富山県 長野県)

白馬岳 

標高 2,932m

 白馬岳は、槍ヶ岳とともに北アルプスで登山者の人気を二分している山である。南北に連なる後立山連峰の北部にあって、長野・富山両県、実質的には新潟を加えた3県にまたがっている。  後立山連峰概説に記したように、この山の東面・信州側は急峻で、それに比して比較的緩い西面・越中側とで非対称山稜を形造っている。しかし信州側は山が浅く、四カ庄平をひかえて入山の便がよいため登山道も多く、白馬大雪渓を登高するもの(猿倉より所要6時間弱)と、栂池自然園から白馬大池を経るもの(所要5時間40分)がその代表的なものである。  越中側のものは、祖母谷温泉より清水(しようず)尾根をたどるもの(祖母谷温泉より所要10時間)が唯一で、長大である。  白馬三山と呼ばれる、本峰、杓子岳、鑓ヶ岳、そして北西に位置する小蓮華山の東・北面は、バリエーション・ルートを数多く有し、積雪期を対象に登攀されている。  近代登山史上では、明治16年(1883)の北安曇郡長以下9名による登山が最初であるとされている。積雪期では慶大山岳部の大島亮吉らによる1920年3月のスキー登山が初めての試みである。  白馬岳の山名は、三国境の南東面に黒く現れる馬の雪形から由来したといわれる。これをシロウマというのは、かつて農家が、このウマが現れるのを苗代(なわしろ)を作る時期の目標としたからであって、苗代馬→代馬(しろうま)と呼んだためである。白は陸地測量部が地図製作の際に当て字したものらしい。代馬はこのほかにも、小蓮華山と乗鞍岳の鞍部の小蓮華側の山肌にも現れる。白馬岳は昔、山名がなく、山麓の人々は単に西山(西方にそびえる山)と呼んでいたのである。また富山・新潟側では、この一連の諸峰をハスの花弁に見立てて、大蓮華山と総称していたようである。  この山からの眺望はすばらしく、北アルプスのほぼ全域はもとより、南・中央アルプス、八ヶ岳、頸城(くびき)や上信越の山々、そして日本海まで見渡すことができる。頂の展望盤は、新田次郎の小説『強力伝』に登場することで知られる。  日本三大雪渓の1つ、白馬大雪渓は登高距離が2kmもあり、全山にわたる高山植物群落の豊かさ、日本最高所の温泉の1つ白馬鑓温泉、高山湖の白馬大池や栂池自然園などの湿原・池塘群、こうした魅力を散りばめているのも人気を高めている理由である。また、白馬岳西面や杓子岳の最低鞍部付近などに見られる氷河地形、主稜線などで観察できる構造土、舟窪地形など、学術的な興味も深い。山頂部の2つの山荘(収容2500人)をはじめ山域内の宿泊施設も多い。

縦走 二泊三日 10時間15分
白馬を堪能できるゴールデンコース

コース定数:38

縦走 一泊二日 10時間15分
蓮華温泉から白馬大池経由で白馬岳へ1泊2日

コース定数:41

縦走 一泊二日 11時間15分
沢沿いの古い道・鉱山道から白馬岳へ1泊2日

コース定数:45

周回 一泊二日 13時間40分
大雪渓、お花畑、温泉を巡る周回コース

コース定数:54

縦走 二泊三日 14時間45分
栂池、白馬岳から祖母谷温泉を目指す2泊3日

コース定数:55

中央アルプス (長野県)

宝剣岳 

標高 2,931m

 中央アルプスの中では南部の仙涯嶺(せんがいれい)とともに険しい岩場の山で、その名のとおりどこから見ても鋭くとがった三角錐を突き上げ、人を寄せつけないような雰囲気をもっている。特に千畳敷カールから見上げる姿は一段と鋭さを増す。  山名は山岳信仰からきているものと推測され、江戸時代後期の絵図には錫杖嶽と書かれており、その後剣ガ峰とも呼ばれていた時期がある。宝剣岳の名は近代に入ってからである。  登山コースは、ロープウェイが運行されている現在は千畳敷カールから登る人がほとんどで、カール内の駒ヶ岳神社で左右に分かれ、右回りに乗越浄土から天狗岩を眺めながら北稜を登るルートと、左回りに極楽平から南稜をちょっとした岩登り気分で登って頂上に立つルートがある。いずれも1時間弱。  また鋭い岩峰だけにロッククライミングのルートも多く、初級の中央ルンゼをはじめ、左稜、中央稜、左稜フランケなどがある。木曽側には天狗岩に駒峰ルート、芸大ルート、伊那ルートなどが拓かれている。  なお、千畳敷カールは春スキーのメッカとしても賑わっているが、かつては積雪期には立ち入り禁止だったことを忘れないでほしい。

往復 日帰り 3時間55分
中アの主峰、木曽駒を千畳敷から往復する

コース定数:13

周回 一泊二日 6時間17分
中アの主峰であり、圏谷を擁す自然の宝庫

コース定数:22

縦走 三泊四日 21時間45分
中央アルプス北部主脈縦走3泊4日

コース定数:68

1 2 3 4 5