行程・コース
天候
1日目 くもりのち雨 2日目 くもりのち晴れ 3日目 晴れ 4日目 晴れ
登山口へのアクセス
バス
この登山記録の行程
1日目
天川川合バス停(9:22)・・・登山口(9:28)・・・林道出合(11:13)・・・栃尾辻(12:09)・・・高崎横手出合(14:02)・・・狼平(14:20)・・・弥山(15:50)・・・弥山小屋(15:55)
2日目
弥山小屋(7:46)・・・聖宝宿跡(8:50)・・・奥駈道出合(10:06)・・・一の垰(10:34)・・・天川辻(12:06)・・・行者還避難小屋(12:11) このあと山頂と水場の往復約50分
3日目
行者還避難小屋(7:04)・・・無双洞分岐(8:35)・・・七曜岳(8:38)・・・大普賢岳(11:09)・・・柏木の女人結界門(阿弥陀ヶ森分岐)(12:40)・・・小笹宿(13:17)
4日目
小笹宿(6:56)・・・大峯山寺(7:57)・・・洞辻茶屋(8:55)・・・お助け水(9:13)・・・一本松茶屋(9:39)・・・清浄大橋(10:15)・・・母公堂(10:35)・・・洞川温泉バス停(11:00)
高低図
登山記録
行動記録・感想・メモ
大峯奥駈道を何回かに分けて、テント泊で歩く。6月に前鬼から釈迦ヶ岳、八経ヶ岳を歩き、今回はその続きである。まずは天川川合から植林帯の登りは長くて辛いが我慢するしかない。およそ3kmで600mの登り(平均勾配20%)が二時間以上続く。登るにつれて霧で視界が悪くなり夕刻には雨模様となる。週間予報のAマークが暗転し、弥山小屋のテント場で明日以降の計画を見直す。
2日目は大峯らしい濃霧の中を、いきなり300mの急降下。霧に烟る深い森の中では、同じ所を歩いているような不思議な感覚にも捉われる。どこからともなく巡礼の鈴の音が聞こえるようだが空耳なのかなぁと思うと間もなく人影が現れる。登山者の熊鈴であった。突然、頭のすぐ傍で木の枝がパシッと鳴って驚く。なんのことはない、自分のザックで枝がしなっていただけだった。普段よりも感覚が鋭敏になっているのだろう。
飽きるほどのアップダウンを繰り返し、天川辻の標識を過ぎるとログハウスの建物が見えてくる。開けた場所では相変わらず風が強く、やはり本日はここまでとする。行者還(ぎょうじゃかえり)避難小屋はトイレもあり、定員20人で室内もきれいに使われている。山頂への往復に小一時間、水場はやや急な斜面を10分ほど行者還岳の方へ行くと、ガケ地にちょろちょろと流れている。小屋内の蛇口(貯水タンク)からの水は出なかった。
3日目も早朝は風が強かったが7時頃には回復して、いよいよ大普賢岳へと続く岩稜地帯に突入。七曜岳の手前からは容赦なく梯子と鎖が連続する。以前に軽装で来たときとは勝手が違い、テント泊装備では骨が折れる。昨日とは打って変わり、からっとした秋晴れの申し分のない天気。こんな空の下ならどこまでも歩いて行きたくなる。だが今回の目的のひとつである小笹宿でのテント泊は外せない。女人結界を通過し、ゆっくり歩いて13時過ぎに到着。
小笹(おざさ、小篠とも)の宿(しゅく)は豊かな水源がある、大峰で数少ないキャンプ地でもあるが、本来は巨岩と清閑な森に包まれるように行者堂など宗教施設が並ぶ当山派の聖地である。祈祷が行われるときには大勢の山伏が集うのだろう。そのような場所を使わせてもらうのだから、心して行かねば、と思っていた。キャンプ者の不始末や仏像などを破損させられる被害もあったらしい。翌日下山途中には、今年になって役行者像が盗難にあったとの張り紙も見た。なんと罰当たりなことをするのか。
4日目は台風の影響もあり午後から下り坂というのが信じられない好天のもと、初めての山上ヶ岳・大峯山寺である。日本の山岳信仰を代表し、修験道の根本道場として1300年以上の歴史がある。5月から9月が開山期間で、すでに戸閉式を終えて誰もいない。それがかえって厳粛さを増しているように思えた。高野山や比叡山と比べて立地や佇まい、そこに至る道程の険しさは並大抵ではない。いちどは修行体験に再訪したいと思いながら下山の途についた。
洞川温泉から天川川合まで、今回のゴールとスタートの間はバスで15分、これをぐるっと四日間かけて歩いてきたことになる(早い人は二日程か)。衣食住一切を担いで自分のペースで山を歩く。不自由不便をも楽しむつもりで、自然の中で過ごす時間を大切にする。60代となった自分の登山スタイルを確認し、実践することができた山行であった。