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琴平丘陵~思索の森コース~古御嶽城跡~根古屋城跡

圓融寺、大渕寺、岩井堂、長者屋敷、根岸城跡、羊山公園、お天狗様、宇根愛宕神社、宇根八阪神社、天王山、思索の森コース、古御嶽城跡、大机山、古御嶽神社、西善寺、武甲山御嶽神社里宮、城谷沢の井、根古屋城跡、武甲温泉( 関東)

パーティ: 1人 (目黒駅は品川区 さん )

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行程・コース

天候

曇りのち晴れ

登山口へのアクセス

電車
その他: 往路:目黒→山手線→池袋→西武池袋線→小手指→〃→飯能→西武秩父線→西武秩父→徒歩→お花畑→秩父鉄道→影森

復路:横瀬→西武秩父線→飯能→西武池袋線急行元町・中華街行→渋谷→東急東横線→学芸大学

この登山記録の行程

影森駅7:20→圓融寺7:28→大渕寺7:39→護国観音7:52→岩井堂8:04→下影森琴平神社奥の院8:09→秩父修験道の礼拝堂8:14→長者屋敷跡(根岸城跡)420m8:24→大山祇神8:32→398.8m三角点8:40→武甲山登山口碑8:50→羊山公園9:08→宇根八阪神社9:22→思索の森コース入口9:31→お天狗様9:37→宇根愛宕神社9:44→天王山(宇根八阪神社旧地)270.4m9:54~10:00→思索の森コース出口10:13→秩父石灰工業 武甲工場10:45→古御嶽城跡登山口10:47→送電線鉄塔10:55→岩場11:09→古御嶽城跡480m11:20→大机山623m11:46~12:00→猿田彦神社・八坂神社12:44→西善寺12:55→武甲山御嶽神社里宮・城谷沢の井13:04→根古屋城跡入口13:12→御殿跡13:20→本丸跡跡(前山、城山)360m13:27~35→根古屋城跡出口13:45→秩父湯元 武甲温泉 武甲の湯14:15~15:30→横瀬駅15:53

合計7時間13分(温泉除く)

コース

総距離
約19.4km
累積標高差
上り約1,117m
下り約1,125m

高低図

GPX ダウンロード KML ダウンロード

登山記録

行動記録・感想・メモ

9月23日(祝)は、秩父の横瀬町の城跡を「長者屋敷跡」「古御嶽城跡」「根古屋城跡」と3つ巡って来ました!

西武秩父/御花畑から秩父鉄道で1駅の影森駅で下車して、まずは「圓融寺」に向かいます。この寺は上にある「岩井堂」の別当寺で臨済宗建長寺派の寺なのですが、別当寺になった由来は不明とのこと。ただ岩井堂に奉安されていた恵心僧都の作といわれる八寸七分の「聖観世音菩薩像」は、現在この寺の本堂に奉安されているそうです。でも山門と本堂が工事中で手前までしか入れませんでした。

続いて琴平丘陵の登山口である曹洞宗寺院の「大渕寺」へ。ここも宗派は違えど本尊は「聖観音像」で、由緒はこの地に草庵を営んでいた宝明という僧が、足の病に罹り座って念誦しか出来なくなっていた時に、当地を訪れた弘法大師が不憫に思い、自刻の聖観世音像を僧宝明に与え、宝明はこの像を本尊として当寺を創建したといいます。この聖観音は、明治・大正と二度にわたる大火の後、寺の裏に再建された「月影堂」に安置されているとのことで、こちらは写真におさめることが出来ました。

この寺はさらにその上に巨大な高さ16m「護国観音」があります。この観音像が護国観音と呼ばれる所以は、造られたのが戦時中だったため、左手は本来は蓮華を持つはずだったのに、剣をもたされていることによるということです。護国観音の前からは秩父ミューズパークのある長尾根丘陵が良く見えます。

護国観音から岩っぽい道を東に進んで行くと「岩井堂」に着きます。巨岩の横に建てられた石清水八幡宮のような造りの観音堂です。岩井堂に安置されていた観音像もさっき書いたように圓融寺に移転させられているのですが、建物の見晴台になっているところには乗ることが出来ます。ここは、弘法大師が諸國遍路の際に霊験を感じて岩間に壇を設けて、三七日の秘法を修業したとか、秩父太郎重弘が堂舎を再興、其子重能・其孫重忠代々の信仰を集めたとか、佛國禅師が当地に霊験を感じて禅定したとか、色々な伝承が残っているそうです。見られなかったのですが、圓融寺の説明書きでは、畠山重忠が二俣川の合戦で謀殺された元久2年(1205)に創建されたとされているそうです。

岩井堂の少し北側に「琴平神社奥の院」というものもあります。ここは麓にある「下影森琴平神社」の奥の院で、最初、水が不便なため水神とした祀られたものの、秩父に熊野修験が入ると長らく修験道の神社となっていたらしいのですが、明治維新後は修験道と分かれ、琴平神社と改称して、奥の院の場所から麓へ遷座されてそうです。

そうなると修験道の聖地がなくなってしまうのですが、それを嘆いた地元の有志によって、岩井堂の先の巨岩の上に「修験堂」という秩父修験道の修行の形を再現した建物が巨岩の上に造られています。巨岩の絶壁を下る階段がスリリングです。

修験道からさらに岩っぽい道を進むと本日1つ目の城跡である「長者屋敷跡(根岸城跡、滋野氏屋敷跡、滋野氏城跡)」420mに着きます。城跡の標識はありませんが東屋が目印です。ここは単に地名が残るだけの場所かと思っていたら、結構しっかりした遺構が残っていて、「新編武蔵風土記稿」に「これは北条氏邦の臣、滋野刑部と云るものの居住せし屋敷なりと云う。天正十八年鉢形落城の時、このもの裏切りせしと云。その子帯刀遂に農民となり、大宮郷に居住せしが、今はその家退転すと云」という話が、岩井堂の絵と共に記されているそうです。滋野氏は信濃の真田氏がルーツと言われる一族なのですが、この滋野氏がそうなのかはわからないそうです。滋野刑部は豊臣秀吉の軍勢に鉢形城が攻撃された時に寝返り、その息子・堀口帯刀は寝返りを恥じたのか、秩父の大宮郷で帰農したそうです。ということであまり長者っぽくないのですが、滋野刑部が来る前に軽く手を加えれば住める居館の跡があったのかもしれませんね。

長者屋敷跡から北に進むと、「大山祇神」の先に琴平丘陵唯一の「398.8mの三角点」があります。ここから道は下りに転じ、沢沿いに山の神の社がある場所に下り立ったら、少し戻るように進むと「武甲山登山口碑」があります。石灰岩の採掘が本格化する前にメインの登山口だったところです。

少し林道を歩き、再び山道に入ったら、標識通りにしばらく進むと「羊山公園」の端の馬場に着きます。羊山の名前はめん羊を扱う「埼玉県種畜場秩父分場」があったところからつけられたようなのですが、馬場の隣で羊が放牧されており、運良く見ることが出来ました。馬場から東に下る途中にあるのが「芝桜の丘」で、当然芝桜は咲いてはいなかったのですが、「十月桜」が咲き始めていました。去年の今時分も相模原で桜を見たな~。

芝桜から下ったあたりを「宇根」というらしく、「宇根八阪神社」があります。この神社はかつて東の丘陵上の「天王山」にあったのらしいのですが、祭の山車の転倒事故が多く発生し、麓に移転されたようです。天王山にはこれから登ります。

宇根八阪神社から真っ直ぐ横瀬駅の方へ向かうと、駅の手前に「思索の森コース」というまだ登ったことのない横瀬町のハイキングコースの入口があるので、そこから丘の上に登って、戻るように進みます。登り切った場所にまずあるのが「お天狗様」の小祠で、ここはたぶん修験道の神社だったのでしょうが、現在は猿田彦命を主神として、大山祇命、稲荷神社、三峯神社、古峰神社などを合祀しているということです。毎年2月16日に行われる長い青竹の先に幣束をつけた梵天を高い木のてっぺんにくくりつけ、無病息災を祈る祭が有名らしいです。

蜘蛛の巣だらけの意外とアップダウン多い山道を進んで行くと、次に出てくるのが「宇根愛宕神社」です。ここには横瀬七郷の諸士が「根古屋城」を築いた時に、城の守る砦として山頂に火の神を祀ったことが起源であるという伝承が残っています。しかし『秩父志』に「南に愛宕社ありて一反ばかりの平地あり、これ古の物見跡という」という記述があり、この愛宕社とは位置違うので、外縁の守りとして造られた愛宕社は別にあったとも考えられます。

宇根愛宕神社からさらに南に進むと、先程の宇根八阪神社の旧地である「天王山」270.4mに着きます。テーブルとベンチが置かれており、八阪神社と天王山についての説明書きがあります。ここで今日最初の休憩をとります。

天王山の先きには特に何もなく、思索の森コースは329mピークを越えて、武甲山北麓を走る半分林道のような道にぶつかります。この道を南東に進むと、横瀬駅と武甲山の表と登山口を繋ぐ道に出て、「秩父石灰工業 武甲工場」前に着きます。

次の「古御嶽城跡」は「秩父石灰工業 武甲工場」の裏の「秩父石灰線4号に至る」という送電線巡視路入口から取りつきます。これ5号でも登れるのですが、分かりにくい場所にあるので、帰りに使って下さい。巡視路の先は道はなくなりますが、「古御嶽城跡」も「大机山」も尾根上のやぶの無い一本道なので問題なく行けると思います。ただ古御嶽城跡に到着する手前に「大江大権現」の真新しい石碑がある小さな岩場があって、鎖もローブもぶら下がっていないので要注意です。岩場を登りきると次から次へと石碑が出てくるようになって、一番上まで行くと「聖徳太子の石碑」があります。ここの平場が二の郭で、小さな堀切を越えた先の山頂が主郭の平場です。道もない山なので山頂は何も無いだろうと思っていたのですが、横瀬町の城跡の標識と修験道の祭壇のような物がありました。3つの石碑は左から「氷川大社」「国常立尊」「天照御大神」です。

「古御嶽城跡」は後で行く「根古屋城」とセットで築かれた城で、河越夜戦で小田原北条氏の軍勢に破れた上杉憲政が、信州に逃れる前に、家臣の永田外記(横瀬村字中野で討死)が居住するこの城に立ち寄ったと言われています。その後、北条氏の上杉謙信・武田信玄への守りのため城として活用されるも、豊臣秀吉の小田原城攻めの一環として、鉢形城落城させられた際に根古屋城と共に開城し廃城となったそうです。永田氏がこの城の主となるはるか前は、秩父平氏の一族が秩父別当武光、同十郎武綱、同重綱、同重弘、同重能まで五代に亘り居住したと言われています。

個人的には場所柄、妻坂峠を越えて秩父に入る人や物を監視していた気がします。

古御嶽城跡だけで帰るのはもったいないので、もう1つ堀切を越えて、「大机山(三角山)」623mにも登って行きます。ここは近そうに見えて傾斜が急で結構登り手があります。大机山の山頂は手作りの山頂表示だけがある木に囲まれた展望の無い狭い場所です。だた武甲山が目の前なので木の葉が落ちれば絶景が楽しめると思います。

大机山から古御嶽城跡を通って元来た道を戻ります。かなりの急坂で道が無いので下りの方が大変です。中高年のグループは要心のためにロープを持参した方が良いと思います。

秩父石灰工業 武甲工場裏まで戻って半分林道のような道を北に進むと、道端に「猿田彦神社」と「八坂神社」があります。ここは石碑のみかと思っていたのですが、ちゃんとした神社がありました。しかしここから山の方に少し入ったところにあるはずだった「古御嶽神社跡地」は発見することが出来ませんでした。この3つの神社は、武甲山山頂に祀られていた大通両権現、蔵王大権現、熊野大権現のうち、熊野権現社を麓に移したものだそうです。武甲山は複数の宗派の聖地で、各々山頂付近に神社持っていたらしいのですが、明治に入り山頂の熊野神社が御嶽神社と名前を変えた蔵王権現に合祀されたため、不要となった社をここに移築したのだそうです。さっき古御嶽城跡にあった石碑群の里宮だったのでしょうか?

さらに北に進むと、後北条氏出身の竹印という人物が開山したといわれる臨済宗南禅寺派寺の「西善寺」があります。根古屋城が一度落城して、その後北条氏が入ってきた時代に造られたのだと思います。それから境内にある樹齢600年以上の「コミネカエデ」が有名だそうです。

「西善寺」の少し先にあるのが「武甲山御嶽神社里宮」です。こちらは先程の武甲山山頂にあった修験道系の3つの神社を明治に入って御嶽神社に合祀したものの里宮です。ただそれ以前にこの地に神社として存在していたようで、ここで奉納される「太々神楽」は、徳川家康関東入城後の文禄5年(1596)、鉢形城の代官を任ぜられた日下部定好が、武運長久、百穀豊饒を祈り奉奏したのが起源だとされています。また。神社の脇に「城谷沢の井」というものがあり、これは北条時代の根古屋城主・朝見(浅見)慶延が、この地の豊富な湧水と水質の良さに目をつけて、絹布の生産を奨励し、その染色に用いた井戸と言われ、「秩父絹発祥の地」とされています。

そして「根古屋城跡」です。ここは南側が石灰採掘場として削られ、残された場所が城跡公園として整備されています。城の由緒は先程「古御嶽城跡」のところで説明したのと一緒なのですが、こちらの城は平時の居住区である根小屋(御殿跡)と、非常時に立て籠る山城部分が組み合わされて造られています。八王子城を小ぶりにしたような感じですね。そういった複雑な構造をしているため、現在残っている遺構は小田原北条氏の時代に北條氏直の家臣、渡辺監物・浅見伊賀守によって、上杉謙信・武田信玄への守りのため造り直されたものだと言われています。ただ『新編武蔵風土記稿』にはこれは誤りで、鉢形に在城していた北条氏邦がその家臣を交代で守備させていたのではないかと書かれています。

個人的には古御嶽城跡とセットであると考えるなら、こちらの城は正丸峠や大野峠を越えて秩父に入って来た人や物を監視していたのだと思います。

根古屋城を一回りしたら、また武甲の湯経由で横瀬駅まで戻ります。

「秩父湯元 武甲温泉 武甲の湯」はこの前も書いたのですが、平日700円、土日祝日900円の昔からある日帰り温泉です。泉質は単純イオウ温泉と書かれていますが、pHが10.59と非常に高いので弱化硫黄臭のするアルカリ泉と思った方が良いと思います。露天風呂が広いのが特徴。先週の台風の日に和光市の極楽湯が混んでいたので、武甲の湯も混んでいると思っていたのですが、相変わらず空いていました。東京近くと秩父ではコロナに対する意識が異なっているのかもしれません。

横瀬駅から299号を少し秩父方面に行ったところにラーメン屋を2件発見したので行ってみたのですが、両方とも閉まっていたので今日は昼飯抜き!

秩父市街の南に連なる琴平丘陵の尾根道をたどる - 西武鉄道
https://www.seiburailway.jp/railways/hiking/ippan/kotohira/index.html

思索の森コース - 歩楽~里(ぶら~り)よこぜ
http://www.yokoze.org/hiking/sisakunomori/

古御嶽城址(こみたけじょうし) - 秩父郡 - 横瀬町
https://www.town.yokoze.saitama.jp/shisetu-bunka/bunkazai/803

根古屋城址 | 【公式】横瀬町ホームページ(埼玉県秩父郡)
https://www.town.yokoze.saitama.jp/shisetu-bunka/bunkazai/804

里宮の神楽 | 【公式】横瀬町ホームページ(埼玉県秩父郡)
https://www.town.yokoze.saitama.jp/shisetu-bunka/bunkazai/710

秩父湯元 武甲温泉 | 名物炭酸泉「美肌の湯」
http://www.buko-onsen.co.jp/

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登った山

琴平丘陵

琴平丘陵

399m

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琴平丘陵 埼玉県

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最適日数
日帰り
コースタイプ
縦走
歩行時間
2時間35分
難易度
コース定数
9
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