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薬師岳・雲の平(折立~新穂高温泉)

薬師岳2926m・雲ノ平2464m・祖父岳2825m・三俣蓮華岳2841m( 北アルプス・御嶽山)

パーティ: 3人 (イガドン さん 、ほか2名)

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行程・コース

天候

初日:曇のち晴、2日目:快晴、3日目:晴時々曇、4日目:雨

利用した登山口

折立   新穂高温泉  

登山口へのアクセス

タクシー
その他: JR富山駅前からタクシーで折立登山口へ。

この登山記録の行程

【1日目】
折立(07:50)・・・三角点[休憩 60分](09:35)・・・太郎平小屋[休憩 20分](13:35)・・・薬師峠・・・薬師岳山荘(16:10)

【2日目】
薬師岳山荘(06:05)・・・薬師岳[休憩 20分](06:45)・・・薬師岳山荘[休憩 10分](07:35)・・・薬師峠[休憩 20分](08:40)・・・太郎平小屋[休憩 20分](09:20)・・・薬師沢小屋[休憩 30分](12:40)・・・雲ノ平・・・雲ノ平キャンプ場分岐(16:45)

【3日目】
雲ノ平キャンプ場分岐(06:55)・・・祖父岳分岐[休憩 20分](07:35)・・・祖父岳[休憩 20分](08:15)・・・祖父岳分岐(08:45)・・・徒渉点[休憩 20分](10:05)・・・三俣山荘[休憩 30分](11:05)・・・三俣蓮華岳[休憩 20分](12:45)・・・双六小屋(14:40)・・・弓折乗越(16:00)・・・鏡平山荘(16:30)

【4日目】
鏡平山荘(06:10)・・・シシウドが原[休憩 10分](06:45)・・・秩父沢出合・・・小池新道登山口・・・わさび平小屋[休憩 30分](08:20)・・・笠新道登山口・・・新穂高温泉(09:45)

コース

総距離
約44.7km
累積標高差
上り約3,767m
下り約4,033m
コースタイム
標準26時間43
自己26時間40
倍率1.00

高低図

標準タイム比較グラフ

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登山記録

行動記録・感想・メモ

【回想/1日目】「寝坊してはいけない。」という緊張感のせいか何度も目が覚めた。4時半になったところで起き上がった。ごく短時間の割には熟睡できたのだろうか、頭はスッキリしていた。身支度をし、5時少し前に2階ロビーへ降りる。カウンターには「3時から5時までは受付できない。」とのお知らせがあったので、先に近くのコンビニで朝食を購入し、5時ちょうどにルームキーを返すためベルを鳴らした。すると昨晩受付をした女性フロントが眠そうなとても不機嫌な顔で出てきた。出てくるのも遅かったのできっと仮眠を取っていたのだろう。申し訳なかったが最も早いチェックアウトを済ませた。今回は高速バスに続き、折立行きのバスも予約を取れなかった為、富山駅からはタクシーで行くことになった。事前にタクシー会社と「5時30分東横イン前」と約束していたので、前夜、ロビーに5時20分集合と決めていた。しかし5時20分を回っても降りてこない。上に戻ると支店長の部屋からは物音がしていたのでひと安心。一方、隊長の部屋をノックするが返事がない。次の瞬間「やばいっ!」との声が室内から聞こえた。これで全ての状況を察することができた。ロビーでは支店長が第一声、「あまり寝られなかった。あの部屋には妖気が漂っていた!」やがてタクシーの運ちゃんがエレベーターで上がってきた。携帯電話に連絡したがつながらないので心配して上がってきたそうだ。確かに着信があった。空が白み始めた頃、富山駅前を出発。山沿いは厚い雲に覆われているものの予報は晴れ。田園地帯をひたすらまっすぐに立山連峰へ向けてタクシーは進む。「裏道をよく知っている。」という運ちゃんの言葉に、「バスよりもかなり早く着けるのでは。」と一同ますます期待が高まるばかりの序盤だった。有峰口に近づくと前衛の山々が大きくなってきた。道幅がやや狭くなってきたころ、我々の一台前にノロノロ運転のタクシーが現れた。暫くはそのまま後ろを付けていたが、次第に運ちゃんがイライラし始めてきた。早く追い抜きたいのだろうという雰囲気が明らかに伝わってきた。すると目の前に「有峰方面は右折」を指示する標識が出てきた。当然右折するだろうと思いきや、直進。ノロノロ運転のタクシーは右折したのでイライラは解消。一瞬「右折しなくてもいいのかな?」と思ったが、そこは地元の運ちゃん、「裏道をよく知っている。」と豪語していたのだから、「きっといまの道よりも速い裏道を知っているのだろう。」とこの時点では何の疑いも持たなかった。タクシーは山間部へと進む。予報は晴れのはずだが雨がパラついてきた。途中、車道脇を歩いて下る登山者らしき人がいた。すると運ちゃんは「あの人は蜂捕り名人だ!」と教えてくれた。この辺りでは蜂を捕る名人がいるらしい。やがて前方にゲートが見えてきた。「称名滝方面は6時開通」らしく数台がゲートの前で待機していた。我々もゲートの前で待つことになった。だがここで一つの疑念が湧き始めた。運ちゃんがトイレに行っている間に地図で調べてみたところ、称名滝方面は立山登山口の室堂へ至る道である。折立方面のゲートは5時に開門のはずだからこれもおかしい。戻ってきた運ちゃんに「ここから折立に行けますか?」と尋ねると「行ける!」と断言した。しかし次の瞬間、タクシーは急発進。いま来た道を猛スピードで引き返し始めた。先ほどの蜂捕り名人を追越しどんどん下り始めた。「まあ、タクシーの運ちゃんだって人間だから間違いはあるさ。」と口には出さず、少しでも早く折立に着けるよう願いつつ前方に目を凝らす。称名川を渡り、富山地鉄の立山駅前を過ぎ、反対側の山裾を登り始めた。「ああこれで大丈夫だな。」と一瞬、安堵感が漂った。しかしそれも長くは続かなかった。今度は「有峰方面は左折」という標識には目もくれずそのまま直進。かなり下ったところは確かに見覚えのある道路だった。更に悪いことに再び称名滝方面のゲートへ向かっているような気がしてならない。またまた例の蜂捕り名人と出くわした。きっと“蜂捕り名人”も「何だあのタクシーは、さっきから行ったり来たりして!」と思っているに違いない。いよいよ運ちゃんへの疑いが強まってきた時、ふと運ちゃんの顔写真を見ると「どうも顔が違うんじゃないか?」と。いったい運転しているこの人は何者なのか?もうこの時点では運ちゃんの動揺は隠し切れない状況にまできていた。運転も次第に荒くなり、スピードもさることながら、さっき通過した時に守っていた工事中の片側通行用の赤信号を破って進入するという暴挙にまで出ていた。言うまでもないがこの先にあるのは称名滝方面のゲートだけ。再び同じ道を引き返すこととなる。もう見たくもない“蜂捕り名人”を再び追越し、ようやく折立方面の入口にたどり着いた時には渋滞と化していた。「何とか折立に着けばいいや!」と半ば諦めの心境になっていた。一時はどうなるかと思ったが、渋滞はそれほど長くは続かず、何とか折立に到着することはできた。しかし車の台数が半端じゃない。駐車場だけでは収まり切らず、車道に縦列駐車している車でごったがえしていた。これだけの人が一斉に五郎平まで登ることを考えるとやや気が重くなる。タクシーを降りると空気はひんやりとしていた。予報は晴れだがまだ雲は多く陽射しはない。キャンプ場の炊事場で水を汲んだが痛いくらいに冷たかった。身支度をし、ザックを背負う。隊長を先頭に、私、支店長が続いた。登り始めは樹林帯の道。隊長は26年前の1983年、大学1年の夏にこのコースを歩いたという。その時は今日とは違い、叩きつけるような雷雨に見舞われ、登山道も川と化していたそうだ。そんな悪天の中、五郎平のキャンプ場までひたすら歩き続けたきつい原体験がここにはあるという。懐かしいこのコースを味わいながら歩を進めているようだった。展望の良い1871m地点までは急な登りの連続だが、辺りが開けてくると勾配は緩やかになってきた。1871m地点はベンチのある休憩場所だが混雑していた。ちょうど空いたベンチで小休止。まだガスに包まれ展望は無いが、空は次第に明るくなってきている。ここからは階段状に整備された道を一歩一歩登りつめる。階段状は足元が安定している反面、歩幅が合わないと逆に歩きづらい。一見急に見えない登りも、ふと振り返ると結構な勾配であることがわかる。こういう道は意外と脚に負荷がかかるケースがある。突然、支店長の脚に異変が起きた。膝と太ももが痛み始めたのだ。暫くその場で休み、様子を見る。太郎平までの距離はまだ少しあると思われる。歩き始めると隊長と心配しながら支店長の脚の状態を見守る。先ほどまでよりややゆっくり目に歩くよう心がけた。しかし、一度痛みを伴うとその日は嫌でも痛みと付き合わなければならないのが辛い。太郎平まであともう少しのところで、痛い膝をかばっていたもう一方の膝にまで痛みが出てきたとのことで休憩。合わせて昼食を摂ることにした。昼食の準備をしていると見る見るうちに青空が出てきた。秋を思わせるスジ状の雲と白砂に覆われたピークが現れた。薬師の山頂と思われるピークがそれだ。風はやや冷たいが、陽射しが暖かい。カップ麺で腹ごしらいをし、再び五郎平目指して歩き始める。少し進むと木道となり、前方に屋根が見えてきた。太郎平小屋である。小屋の前は広々としており、正面にはいきなりの大パノラマが我々を迎えてくれた。左から水晶、ワリモ、祖父、祖父の後方わずかに鷲羽、三俣蓮華、双六、黒部五郎と、中部山岳の名だたる山々を見渡すことができる。三俣蓮華の左下にギザギザの山容が顔を覗かせているが、あれは穂高なのか?五郎平から暫くはやや下り気味の平坦な道が続く。右手には三俣蓮華から突然角が生えてきたのが見えた。槍の穂先がその姿を現したのだ。これで先ほどのギザギザは穂高ではなく北鎌だと判明した。やがて道は急降下しキャンプ場に出る。ここも隊長想い出の場所である。キャンプ場からは一変、樹林帯の急な登りとなる。倒木あり大岩あり、一方で風は抜けず真上から陽射しが射し込むだけなので体が火照る。少し上がったかと来し方を振り返ると太郎平に滝雲がわいている。その先には雲海が広がっていた。庭園上の薬師平付近は又一層秋色を思わせる光景となる。ここまで来ると槍も大喰や中岳を右手に従えて屹立している。薬師平を過ぎるとハイマツが中心の森林限界となる。見上げると昼食時に見えた白砂のピークがそれなのか。急な登りで足取りも徐々に重くなってくる。今夜の宿泊地・薬師岳山荘はまだ見えない。ちょうど下りてきた登山者に「あそこの白いところが山頂ですか?」と尋ねると、山頂はもっと先とのこと。小屋は見えないがそんなに遠くないらしい。両側が開けると、疲れた体に涼風が心地よい。黒部五郎を北方から眺めると、まるで巨大要塞のようだ。西に目を転ずると雲海の向こうに白山連峰が頭をもたげている。それにしても、今日は極楽浄土を思わせる雲海が眼下に広がっている。“天上の楽園”とはまさにこういう場所をいうのだろうか。やわらかい陽光が我々を照らし続ける。そして薬師岳山荘が見えてきた。小屋に一歩足を踏み入れるとその混雑ぶりがわかった。小屋のオヤジに素泊まりを申し込むと、事前予約の有無を聞かれた。予約をしていないことを告げると「今から下れるか?今日は小屋がいっぱいなんだよ。」と言うので、「それは無理だ!」「でもテントはある。」と答えた。するとオヤジは「じゃあ小屋の前でビバークしてくれ。悪いなあ。」と。支店長も隊長も意外な展開にビックリされたが、これも山旅。何が起こるかわからないのも又楽しい。早速テントを張り、明るいうちに山頂を往復することにした。それにしても、いざという時のテントをいきなり使うことになるとは想定外の事態である。山頂への道はいきなりのザレ場で登りでも足を取られる。更にこの登りは風の通り道なのか、体ごともっていかれそうな強風に悩まされた。日本海からのダイレクトな風はさすがに冷たい。登り切ったところは下から山頂のように見えた小ピークだが、本当のピークはもう少し先だ。ここまで来ると南面は穂高連峰、笠ヶ岳、乗鞍、御嶽までも見渡すことができる。「よく1日でここまで来たものだ。」と感心してしまう。水晶の右手には大天井も見える。東には赤牛の大きな山容と、2005年縦走した裏銀座の稜線が一望できる。更に左手奥には昨年縦走の後立山連峰が雲を纏った雄姿を見せてくれた。360度遮るものがない夕暮れの薬師岳2,926mの頂上に立った。我々の他にはもう誰もいない。最も高い所には祠があり、木彫りの薬師如来が安置されている。近くに落ちていた棒で鐘を打つ。乾いた音が辺りに鳴り響いた。祠の先には立山までの長大な尾根と、剣の荒々しい山体が絶妙なコントラストを形成している。寒さに震えつつ、一同見飽きることのないこの絶景をしばし堪能したのであった。
【回想/2日目】さすがに9月後半のテントは寒かった。支店長も隊長もあまり眠れなかったらしい。とにかく風がすごかった。何時ごろかはわからないが、夜中一度テントが巻き上げられそうになった。人と荷物の重みで飛ばされはしなかったものの寝ぼけながらも下から持っていかれそうな感覚があった。今日は朝から完璧な晴天。当初は山頂を往復せず、すぐに雲ノ平へ向かう予定だったが、あまりの快晴に再度山頂を往復することにした。強風の中、話好きで親切なおばちゃんに手伝ってもらいながらテントをたたみ、空身で山頂へ向かった。今朝の眺望の素晴らしさは言うまでもない。遠くに富士山も確認することができた。深田百名山64座目。北アルプスの百名山未踏峰は、黒部五郎岳と笠ヶ岳の2つを残すだけとなった。五郎平までは同じ道を下る。朝日を浴びた山々は昨日よりも少し穏やかに見える。五郎平ではバイオトイレで用を足し、ふと小屋の入口に貼ってある掲示物を見て驚いた。何と雲ノ平山荘が工事中の為閉鎖、宿泊できないというのだ。今夜も再び隊長のテントを使用することになる。今回に限ってはテントが無かったら大変なことになっていた。五郎平からは一旦谷底へ下り、そこから今山行で最もきついと思われる雲ノ平への2時間の急登が待っている。暫くは鮮やかな紅葉を見ながら、五郎山の山裾を沿う緩やかな下りだが、次第に急になっていく。1つ目の沢で疲れた足先をクールダウンする。あまりの冷たさに、ものの何秒も付けていられなかったが、歩き始めると少し足が楽になったような気がした。2つ目の左俣出合で昼食を摂った。吊橋から沢筋に下りる時、支店長と隊長はつかんだ朽木のせいで手のひらにトゲが刺さってしまった。毛抜きで除去を試みるもなかなか取れず、仕方なく暫く放置することとなった。薬師沢小屋までは一度沢筋から大きく反れることになるが、1時間ほどで再び沢と合流する。ここは薬師沢と、下流は黒部川となる奥の廊下が交わるところだ。我々は本当に深い山の中に居るということだ。深い谷間にある一軒宿は、五郎平や雲ノ平のような派手さはないが、落ち着いた雰囲気の山小屋だ。沢音を聞きつつ、火照った体をしばし休め、喉を潤した。目の前に迫る鬱蒼とした黒い森はこの先に厳しい登りがあることを教えてくれる。いま一度気持ちを震わせていざ出発。いきなり高度感のある吊橋を渡ることになる。両足ほどの幅しかない木製の板の上を進む。一歩ごとに橋は大きく左右に揺れる。板の両側からはそのまま下が見えるので高さのわりに恐怖を感じる。「福井くんはこの橋渡れないかも知れない。」の一言に一同爆笑。吊橋を渡り切って少し行ったところに登り口がある。因みに奥の廊下を下っていくと人気の高天ヶ原温泉への近道になる。一方我々が進むこの登りはいきなりの急登の連続で早くも息が切れた。登っても登っても原生林の急坂は終らない。振り返ると木の間ごしに五郎平小屋がまだ我々より高い位置にあり愕然とする。汗は滝の如く顔面を流れていく。上を見上げても一向に空が見えてこない。休むごとに水分補給をしなければとてももたない。隊長も私も明らかにバテているのがわかる。一晩寝ていくらか調子が良くなった支店長の脚も大丈夫だろうか。それからも更に黙々と歩き続けていると、ようやく上方が明るくなり、木道が出てきたところでこのきつい登りが終りに近づいているとわかった。しかし木道の末端からが意外と長い。我々が想像している雲ノ平らしき風景がなかなか目前に現れない。やがてパッと開けたところが三角点のあるアラスカ庭園。日本最後の秘境と呼ばれる雲ノ平の一角に足を踏み入れたことになる。ハイマツに囲まれただけのこの空間は特にすごいというわけではないが、周りの荒々しい山々とはあまりにも対照的な存在である。しかも我々を祝福するかのような強い陽射しと雲一つない青空。あとはテン場を確保するだけと思いつつ出発すると、暫くして支店長が突然の体調不良を訴えられた。脚ではなく頭痛がするので、近くのベンチで横になるとおっしゃった。やはり2時間の登りがダメージとなったのか。隊長と私はテン場を確保した後、支店長を迎えに行くことにし先を急いだ。祖母岳の北面を巻き、右手に小屋らしき物が見えてきた。これが工事中の雲ノ平山荘の作業場である。テン場は有料なのでひとまずここで受付を済ませる。受付の女性曰く「今日のテン場はすごい人ですよ。」と。ここから先は隊長に先行して私がやや登り気味の木道を進んだ。雷岩と呼ばれるベンチのある小ピークまで来るとテン場の全貌が明らかになった。テン場の確保は隊長にお任せし、私は荷物を置いて支店長のもとへ引き返した。支店長と合流したのは作業小屋へ向かう道標のところだった。「急に意識が朦朧としてきたので大事をとって休んだ。」とのこと。昨日痛めた脚の状態も良くないようなので、荷物は私が持ち、夕暮れ近い木道をテン場へと急いだ。テン場はすでに人でごったがえしていた。遅かった我々が張れる場所は相当奥の方に違いない。あまりの人数の多さに隊長の居所もすぐにはわからず、辺りを探し回る。やっとのことで隊長を発見するも、適当なスペースがなくまだテントを張れていない状況だった。支店長も合流し状況をお伝えすると「さっきちょうど良い板があったはず。」というので隊長と探したものの、錆びた釘が何ヶ所か飛び出ていたので断念。あらためて周囲を探ることにした。下が土のところはすでに先客に取られており、もはや草の上に張るしかないと判断。比較的フラットな草の上の一角を押さえ幕営。テントの中に入った時にはすでに星空になっていた。暖を取りながら、薬師沢小屋で購入した缶ビールで乾杯。途中、ビールが流出するというアクシデントがあったものの、昨日に比べ快適なテント生活の一夜となった。
【回想/3日目】今朝も文句なしの快晴。夜露が凍るほど気温は低かったが、風がない分昨日ほど寒くはなかった。このテン場からは何と言っても黒部五郎の雄姿が印象的だ。ただ眺めているだけで幸福な気分にさせてくれる。雷岩から祖父岳方面に向かう。暫くは木道を進む。朝日を背に受けた水晶が巨大な岩壁の如く我々の前に立ちはだかる。ハイマツ帯の道を一度大きく下り、その後右手に折れ、祖父岳に取り付く。水晶を背にすると今度は右前方に黒部五郎を見ながらの歩きとなる。祖父庭園と呼ばれる場所に祖父岳頂上を示す道標がある。ここに荷物を置き空身で往復する。この登りはがレ場の連続する急坂で落石には注意を要するところだ。登りつめた祖父岳山頂は月面を思わせる円形の山頂で、視界を遮るものは何もない。正面には槍・穂高連峰が昨日よりも一層大きな姿を現した。ワリモと鷲羽も目の前にそびえている。三俣蓮華の奥に見える笠ヶ岳も印象的だ。雲ノ平ごしに眺めると薬師はもうはるか遠くになっていた。ガレ場の下りは滑りやすく、再び「ラク!」の無いよう慎重に下った。日本庭園を過ぎ、いよいよ黒部源流への急降下が始まる。ここから見る槍とその手前にある三俣山荘は、まるでヨーロッパアルプスを思わせる風景だ。山々をバックに紅葉真っ盛りのナナカマドが実に映える。下りきったところが黒部源流である。この小さな流れが黒四ダムとなり、やがて日本海へ注がれることを思うと、ほんの一握りの同志によって会社を、社会を、そして世の中を少しでも良い方向へと導いていけるのでは、と思えてくるのだ。山肌を彩る紅葉の絨毯と青く澄み切った空に我々の心身も透明感を増してきているに違いない。ここから三俣山荘までの登りは照り返しのあるきつい登りだが、昨日のあの2時間のアルバイトを経験した我々にはもう恐いものは何もない。登りつめたところが三俣山荘の裏手、2005年裏銀座コースでも通過した水場。今回はここで昼食と摂ることにした。本当に懐かしい場所に戻ってきた。背丈のあるハイマツを日除けに昼食の準備にとりかかる。昨日、支店長と隊長の手にトゲが刺さっていたが、私も今朝雷岩のベンチに手のひらをついた時にトゲが刺さったので毛抜きでトゲを抜いた。正面に見える鷲羽の下りを思い起こした。実に急で滑りやすく、しかも長かったという記憶である。三俣蓮華の登りはきつかったというイメージがある。この道も太陽が真上から照りつける為、暑さとの闘いだ。暑さに加え、だらだらとした長い登りはボディブローのように効いてくる。ベンチのある僅かなスペースで小休止。

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登った山

祖父岳

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2,825m

三俣蓮華岳

三俣蓮華岳

2,841m

薬師岳

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2,592m

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