コマクサの花の秘密と高山蝶ウスバキチョウ

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文・写真=昆野安彦

コマクサというと高山植物の女王という言葉をよく耳にする。コマクサ以外にも可憐な花は幾らでもあるのに、なぜコマクサが女王なのだろう。その理由を考えてみると、次の4点が思い浮かぶ。

(1)自生地が見通しのよい高山帯の風衝地にほぼ限られる (2)ほかの植物と混じることなく砂礫地に孤立して存在する (3)花の色が濃厚なピンク色で深い味わいがある (4)4枚の花弁のうち2枚が優雅な曲線を描き、宝石細工のような趣がある、などだ。

私はとくに4つの優雅な花弁の曲線を第一の理由に押したい。この曲線美は、ほかの高山植物にはない独特のものだと思う。皆さんはどう思われるだろうか。もっとも、花が咲いているときは目立つが、花が萎れた後はとても地味なので、よほどのことがない限り、花後のコマクサに目を向ける人は少ないだろう。私もかつてはそうだったが、この植物を食草とするウスバキチョウの観察で大雪山に通ううちに、いつしかコマクサの生活環にも興味を持つようになった。

大雪山のコマクサ。
この写真の個体は大きな株で
20個ほどの花を付けている。
コマクサの名前の由来は、蕾を横から見た形が
馬(駒)の横顔に似ていることによる


大雪山における花のピークは例年7月上旬。その頃に大雪山を訪れると、至るところでコマクサの艶やかな花園を楽しむことができる。こうした光景を前にすると、ついつい視線はたくさんの花をつけた大きな株に行きがちだが、そんなときに注意深く地面を見回すと、花も蕾もない葉だけの小さな株があるのに気がつくだろう。

では、なぜ花をつけていない株があるのだろう。その理由は、コマクサが種子の発芽後、毎年少しずつ大きくなり、数年後にようやく花を付ける植物だからだ。実際、あたりを見わたせば花を付けていないさまざまなサイズのコマクサがあることに気がつく。細い葉が一枚だけのものがあるが、これは今年発芽した1年目の株だ。これよりもう少し葉の数が多いのは、きっと2年目の株だろう。こんなふうにしてサイズを幾つかに分けてみると、発芽から開花まで4〜5年は必要だろうということが分かってくる。

枯れた花に包まれたまま熟したコマクサの種子。
種子は地面に落ち、そのまま冬を越す


さて、コマクサの花は知っていても、その種子を知る人はあまり多くないだろう。コマクサの種子は長さ2ミリほどの黒い粒で、長さ1センチ、幅2ミリほどの鞘(蒴果・さくか)の中にこの黒い粒が10 個ほど並んで収まっている。この鞘は、雌しべの根元の子房が膨らんだものだが、枯れた花に包まれたまま熟す。十分成熟した子房はしぜんに果皮が破れ、中の黒い種子が周囲にこぼれ落ちる仕掛けになっている。地面に落ちた種子はそのまま冬を越し、翌年発芽する仕組みになっている。

コマクサの種子。
長さが2ミリほどの楕円体状で黒光りしている。
この種子が発芽するのは翌年の春である

コマクサの1年目の株。
コマクサは双子葉植物だが、子葉の発達が悪く、
子葉は1枚しか出ない

コマクサの2年目の株。
細かく裂けた葉の形がコマクサらしくなっている


9月の声を聞くと大雪山はもう初冬の様相。コマクサはというと地上部は黄色く枯れているが、逆に彩りの少ない風衝地ではその黄色い塊はとても目立つ。高山植物の女王の最後の姿だと思えば、またそれも味わいがあるものだ。

コマクサは大雪山では広く分布しているが、とくにコマクサ平と高根ヶ原の群落はスケールが大きい。大雪山ではごく普通に見られるコマクサだが、北海道での分布は意外に限られ、大雪山以外での自然分布地は知床山地、雌阿寒岳、日高山脈のペンケヌーシ岳などに限られるようだ。一方、本州での分布は比較的広く、秋田駒ヶ岳、岩手山、蔵王連峰、草津白根山、八ヶ岳、白馬岳、燕岳など、比較的広範囲に見られる。

日本では大雪山だけに生息する高山蝶のウスバキチョウの幼虫は、このコマクサの葉や花を食べて育つ。高山植物の女王を食べて育つのだから、虫とは言え、大変な美食家と言っていいだろう。

この蝶の生活環を簡単に紹介すると、1年目は卵で、2年目は蛹で冬を過ごすため、卵から成虫になるまで約2年も必要としている。「黄色の薄い翅の蝶」という意味で付けられたウスバキチョウの名前だが、よく見れば翅に散りばめられた紅い斑紋が大変美しい。私にはこの紅い色がコマクサの花弁の色に見えてしょうがないが、高山植物の女王を食べて育つ蝶ならではの「お洒落な装い」と言っていいだろう。

コマクサの葉に産み付けられた
ウスバキチョウの卵。
卵のまま冬を越し、幼虫が孵化するのは翌年の春だ

羽化したばかりのウスバキチョウ。
その紅い斑紋がコマクサの花の色と
関連があるのではと思うのは、私だけだろうか

 

プロフィール

昆野安彦(こんの・やすひこ)

フリーナチュラリスト。日本の山と里山の自然観察と写真撮影を行なっている。著書に『大雪山自然観察ガイド』『大雪山・知床・阿寒の山』(ともに山と溪谷社)などがある

ホームページ
https://connoyasuhiko.blogspot.com/

山のいきものたち

フリーナチュラリストの昆野安彦さんが山で見つけた「旬な生きものたち」を発信するコラム。

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