「平成」を山小屋で生きた象徴的な存在の女性たち

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山を駆けた女性たちの軌跡をたどり、平成の30年間を振り返る貴重な記録。『彼女たちの山』(山と溪谷社)より一部を抜粋して紹介する。

文=柏 澄子

星美知子が両俣小屋に入ったのは昭和56(81)年。それまで3年間、広河原ロッジ(当時あった国民宿舎)で働いていた。当初はアルバイトだったが、2年目から管理人になった。女性の管理人はまだまだ少なかった。当時両俣小屋は芦安村営だったので、星が両俣小屋をやりたいと手を挙げたときは村議会にかけられた。「女でもできるのか?」という声もあったが、広河原ロッジでの働きぶりを知る村議会議員や地元の仲間が応援してくれた。「芦安村の住民になること」が条件だったので、東京・吉祥寺に半ば物置代わりに借りていた3畳間を引き払った。

星は、山小屋に従事する者に必要なのは「覚悟」だと言う。どんな覚悟なのかと尋ねると、「生き抜く覚悟」と言った。小学6年生のときに結核を患い、大学生になるまで治療が続いた。けっして頑強な体の持ち主ではない。隣の病床の人が亡くなるのを目の当たりにするなかで、星には生き抜かなければならないという覚悟が芽生えてきた。こんな体ではだめだ。もっと自由になりたいと山に登るようになった。それが、山との出会い。

両俣小屋に入ってからも覚悟の連続だった。2年目の夏、大型の台風が両俣小屋を襲った。両俣小屋は、南に間ノ岳、東に北岳、北に仙丈ヶ岳と、3000m 峰に囲まれており、稜線には風が強く吹いても静かなときがある。けれど、雨量が増えると大変だ。両俣小屋の前を流れる野呂川がたちまち増水する。昭和57(82)年の台風は恐ろしいもので、星は山小屋とテント場に泊まっていた登山者を引き連れて、仙丈ヶ岳を越えて逃げた。それが彼らに残された、唯一の生き抜く道だった。桂木優のペンネームで書いた書籍『41人の嵐』(山梨日日新聞社)に詳しい。このとき、星はまた一つ生き抜く覚悟をした。それからも幾度となく両俣小屋を襲う嵐はやってきた。それを、星は一つ一つ生き抜いてきた。

両俣小屋(Ryoさんの登山記録より)

コロナ禍も同様だ。1年間の休業を強いられ、再開後は宿泊者数も減った。両俣小屋の場合、コロナ禍だけでなく、令和元(19)年の台風19号による被害で南アルプス林道が崩壊し、通行止めが続き、アプローチが遠くなったことも影響している。けれどそれでも、星は変わらずに淡々と山小屋を営んでいる。これも、生き抜く覚悟だ。

女性で苦労したことはチェーンソーだと星が話してくれた。倒木が登山道をふさいだときなど、小屋番がチェーンソーを使うのは日常だ。けれど、チェーンソーを扱うにも力がいる。通常の刃渡りのチェーンソーを男性と同じように使いこなすのは容易ではない。星がチェーンソーを手に入れたのは両俣小屋に入って6年目。昭和の終わりのころだ。ウッドペッカーという、赤色の小さなサイズのものだ。太い木は一気に伐ることができない。角度や方向を考えながら、少しずつ削って切り口を小さくしていく。何度もチェーンソーで手を加えながらやっと切り落とす。星は言った。

「時間はかかるけれど、非力な女性にだってできるのよ」

山小屋という限られた空間で暮らしながら、大きな思想をもった人に時々出会う。星もその一人だ。そういった大きな感覚をもてるのはどうしてなのだろう。

星の場合、両俣小屋という定点から四十余年にわたって世界を見ている。Wi‐Fiも電話もない。連絡手段は北岳山荘との無線と緊急用の衛星電話だけだ。毎日夕方4時の気象通報をラジオで聴き、天気図を作成する。明日の天気は、天気図と空模様と風と気温、野呂川の水温から予測する。嵐で森は流されたけれど、時がたてば緑が茂ることも知っている。そして、台風19号による土石流を指さして、こう言った。

「ここもあと40年すれば森がよみがえるのよ」

星は、両俣小屋で見つめてきた自然を通して世界を知っているのかもしれない。

 

※本記事は、『彼女たちの山 平成の時代、女性はどう山を登ったか』(山と溪谷社)を一部抜粋したものです。

 

『彼女たちの山 平成の時代、女性はどう山を登ったか』

山を駆けた女性たちの軌跡をたどり、平成の30年間を振り返る貴重な記録。

平成の30年間(1989-2019)、登山の世界で女性がどのように活躍してきたか。            
代表的な人物へのインタビューを中心に、平成の登山史を振り返る。            
それぞれの人生に山がもたらしたものとは何か。

『山と溪谷』2020年4月号から12月号まで連載した内容に、再取材のうえ、大幅に加筆・修正して単行本化。


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著:柏 澄子            
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プロフィール

柏 澄子(かしわ・すみこ)

登山全般、世界各地の山岳地域のことをテーマにしたフリーランスライター。クライマーなど人物インタビューや野外医療、登山医学に関する記事を多数執筆。著書に『彼女たちの山』(山と溪谷社)。 (公社)日本山岳ガイド協会認定登山ガイド。
(写真=渡辺洋一)

彼女たちの山

平成の30年間(1989-2019)、登山の世界で女性がどのように活躍してきたか。 代表的な人物へのインタビューを中心に、平成の登山史を振り返る。 それぞれの人生に山がもたらしたものとは何か。

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