北アルプスの山小屋が抱える問題

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『山と溪谷』2023年8月号の特集「北アルプス山小屋物語」から、山小屋を取り巻く状況を解説した記事をご紹介。コロナ禍で宿泊やテント場の料金値上げが相次ぐ北アの山小屋。その背景には、快適な登山環境を維持していくために解決すべき根本的な問題が横たわっている。横尾山荘の山田直さんに聞いた。

文=大関直樹、写真=渡辺幸雄・PIXTA

山小屋経営を逼迫させる利用環境の整備問題

いよいよ本格的な夏山シーズンが到来するが、今年は新型コロナウイルスの5類移行もあって、全国の山も大勢の登山者でにぎわうことが予想される。ただし、少し悩ましいのが山小屋の宿泊料金やテント場使用料金が値上げされることだ。北アルプスでは、コロナ禍前に比べて宿泊料は2~3割増、幕営料については2~4倍になっているところもある。値上げは、新型コロナによる定員縮小や物価の高騰などが主な要因だが、「それだけではない」と横尾山荘のオーナーで北アルプス山小屋友交会会長でもある山田直(ただし)さんは言う。

「コロナ禍で山小屋の利用者が減少したり定員を制限したことが、値上げにつながったのは事実です。しかし、実はコロナ以前から山小屋事業を継続していくには大きな問題がありました。それは、山岳の利用環境の整備が、山小屋の事業収益の一部と労務負担によって賄われてきたことです」

山小屋は厳しい自然環境のなかでも登山者が安全・快適に過ごすために必要不可欠の宿泊施設だが、それ以外にも公益的役割があることは読者もご存じだろう。主なものとしては①登山道の維持・補修、②遭難救助、③トイレの管理、④遭難防止のための啓発活動、⑤周辺環境の美化・保全活動などが挙げられる。

「たとえば、横尾には公衆トイレがありますが、これを造ったのは環境省です。しかし、電気や水、清掃の人件費など維持管理にかかる費用は、横尾山荘が負担しています。もちろん利用者のみなさんから協力金をいただいていますが、それだけではカバーできないのです」

横尾山荘が設置した登山者用のベンチ
登山者用のベンチも横尾山荘が設置した
横尾にあるトイレの維持管理は横尾山荘が負担している
横尾にあるトイレの維持管理は横尾山荘が負担している

事業継続できなくなる山小屋が出てくる可能性も

コロナ禍以前は、多くの登山者が山小屋を利用していたため、山小屋が公益サービスを負担し続けてきたことは見えにくかった。しかし、コロナによって利用者が激減したためにこのような問題が顕在化してきたといえよう。ほかにも、最近では慢性的な人手不足やヘリコプターによる輸送費の高騰などの問題も発生し、山小屋経営の圧迫に拍車をかけている。このままでは、営業期間を短縮したり、事業の継続を断念する山小屋が出てくる可能性もある。

「もし、そうなってしまうと、周辺の登山道を維持したり、トイレや給水施設の提供もできなくなるでしょう。その結果として、登山者の安全や自然環境の保全にも大きな影響が出てくると思われます」

問題解決に向けて連携する取り組みが必要

では、このような問題を解決するためには、どうすればよいのだろうか。将来的には、快適な登山環境が提供できるよう行政による直接的な管理体制が必要であると山田さんは言う。現在、北アルプスは環境省、林野庁、富山・岐阜・長野の各県が所管し、許認可権限をもつ機関も複数ある。それぞれが連携して整備等の事業を行なうこともあるが、すべてを一元的に統括するものはない。

「現在、山小屋が抱えている問題解決に向けて関係行政機関がひとつになって取り組むことが重要だと思います。そのためには、山岳環境の適正利用を目的としたルールを作って、行政機関、利用者、山小屋事業者が連携していく枠組みが必要です。将来的には山小屋事業の公的な役割を法的に明確化することや、継続困難な山小屋の運営に公的機関の関与なども検討すべきです」

寄付金プログラムが本格始動

そんな問題を解決する試みのひとつとして北ア南部地区で一昨年から始まったのが、「北アルプストレイルプログラム」だ。このプログラムは、登山者から任意の協力金(1口500円)を募り、登山道の維持補修事業に活用するものだ。実証実験として行なわれた令和3年度は、約530万円、令和4年度は約400万円の寄付金が集まり、今年度は本格導入に向けて準備が進んでいる。

「山小屋の宿泊料も上がり、キャンプ場の利用料も上がり、さらに協力金もお願いしなくてはいけません。登山者のみなさんには、負担をおかけすることになりますが、プログラムを実施しなくては登山道の維持・管理が難しい状況であることをご理解いただきたいと思います」

利用環境維持のために登山者ができること

このような寄付金等への支援や山小屋を積極的に利用することは、山岳環境の維持管理のために大切なことだ。では、そのほかにも登山者ができることはないのだろうか?

「まずは、無謀な登山をしないでいただきたいです。遭難が発生すると救助のために山小屋のスタッフが出動しなくてはいけないこともあります。慢性的な人手不足に悩まされている小屋にとっては大きな負担になります。今シーズンは、コロナ禍で充分なトレーニングができないままで山に来られる方もいるかもしれません。体力が落ちていることも考えられますので、余裕をもった登山計画を立てるようにお願いします」

自然と同様に登山道も大切に

そしてもうひとつ、山小屋の負担を軽減するためには、登山道を傷めないことも重要だ。特に山田さんが気になっているのは、トレッキングポールの使い方だという。「今は、ほとんどの登山者がトレッキングポールを使っていますが、ポールを突くときに地面を掘り起こしてしまう人が多いのです。そこに雨が降ると、土が流れて道が削れてしまいます。削れた道を補修するのは、非常に手間がかかります。脚力が弱かったり、膝痛予防などでポールを使いたくなる方のお気持ちは理解できます。そこで、ポールの先端に保護キャップをつけること、平坦な道などポールが不必要な場所では使わないことをお願いしたいです」

以前は、夏山シーズンが始まると登山者が増え、登山道が踏み固められるので浮き石も少なくなり、歩きやすい状態に変わっていったという。しかし、最近はポールで地面を掘り起こす人が多いので、いつまでも浮き石がなくならないとのことだ。ほかにも最近は、下りのときに登山道の法面(脇の斜面)を走る人が増えて、その結果として登山道が削られてしまう事例も増えている。

「登山者も行政も山小屋関係者も、みんな山が好きで自然が大事という気持ちは同じです。そして、美しい自然を楽しむことができるのも登山道があるからだと思います。登山者のみなさんも自然を大事に思うのと同じくらい、道も大切に考えていただけたらうれしいですね」

現在の山岳環境を守っていくために解決しなくてはいけない問題は、一筋縄ではいかない。しかし、登山者がこのような問題に関心をもち、自分事と考えて行動していかなくては変わってゆかない。現在の山小屋が直面している危機的状況は、「待ったなし」で登山者に意識の変革を求めているといえよう。

横尾山荘が設置した登山者用のベンチ
本格導入される北アルプストレイルプログラム
横尾山荘が設置した登山者用のベンチ
登山道維持のためにキャップは必ず装着しよう

山と溪谷2023年8月号より転載)

雑誌『山と溪谷』特集より

1930年創刊の登山雑誌『山と溪谷』の最新号から、秀逸な特集記事を抜粋してお届けします。

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