泊まり味わう 上高地ハイキング【山と溪谷2024年5月号特集より】
『山と溪谷』2024年5月号の特集は「上高地」。北アルプス南部を歩いた登山者なら一度は訪れたことがあるだろう上高地だが、そこに泊まって歩いたことはーー。上高地の自然や食、歴史・文化に触れようと、大正池~徳沢をつないで歩いた2日間。
文=小林由理亞、写真=田渕睦深、モデル=みなみ(バークインスタイル)、協力=上高地ビジターセンター、ロストアロー(ウェア・ギア)
北ア南部の玄関口としておなじみの上高地(かみこうち)。登山では足早に通過することの多いエリアを、泊まりでじっくり訪れるのはどうだろう。初秋の大正池(たいしょういけ)~徳沢(とくさわ)を1泊2日で歩き、自然や食なども味わう計画を立てた。ご一緒するみなみさんが上高地を訪れるのは2度目で、2018年の奥穂高岳(おくほたかだけ)登山以来。大正池~河童橋(かっぱばし)を歩くのは初めてだという。
初日は上高地ビジターセンターの佐野奈々恵さんに大正池~明神(みょうじん)の自然観察ガイドをお願いしており、朝8時に大正池でお約束をした。佐野さんはビジターセンター主催のガイドウォーク(自然観察会)などを通して、上高地の魅力を日々伝えている方である。
「今日は水面が落ち着いていて、森も映ってすごくきれいですね。逆さ穂高も、朝ならではです」
佐野さんの言葉に、今日でよかった、とほっとする。それでは出発前に、地形のお話から。
「上高地は大正~横尾(よこお)の約14km。3000m級の山に囲まれながら、その間標高差100mほどの平らな地がずっと広がっています。これははるか昔に存在した〈古上高地湖〉に由来した地形です」
今回はすべて〈かつて湖の底だった場所を歩く〉旅だという。なるほど、とみなみさん。まずは木道を歩いていく。
「梓川(あずさがわ)のそばには、荒れ地にいち早く芽吹くパイオニア植物とよばれる樹木が見られます。たとえばこのハンノキやヤナギの仲間、カラマツなどです」
ハンノキは共生する根粒菌(こんりゅうきん)か大気中の窒素をもらうため、氾濫する荒れた場所で生育できるとか。
「根粒菌のおかげで葉の栄養が多く、虫がよく食べます。その虫を食べる鳥も来るし、葉が落ちると土が豊かに。水中に落ちれば水生昆虫が食べる、という循環があって。ハンノキはあまり注目されないものの、上高地の豊かな森が育まれる過程では重要な存在です」
中千丈沢(なかせんじょうさわ)に着くと、焼岳(やけだけ)を背に立ち枯れが一本。カラマツは油分が多く長年立っていられるものの、大きなものはこれが最後だという。
さらに歩き、みなみさんがクマ目撃情報の看板を見つけた。
「出合っても大声を出さない、物を投げない。背中を向けず、目を合わせてゆっくり後ずさるのが大事です」と佐野さん。
その後、あたりはサワグルミやハルニレの森に。
「ハルニレは土が豊かで水はけのよい場所に生えます。有名なのが徳沢のハルニレ林。のびやかで美しい樹形のハルニレがたくさん見られます」
田代湿原(たしろしつげん)では、穂高連峰を一望できた。木道脇を見れば、食虫植物のモウセンゴケ、白い玉をつけたシラタマノキが。かわいい~と、みなで釘付けになる。
ここから静かな林間コースへ進む前に、梓川コースへ寄り道を。
「枝に下がっているのが地衣類のサルオガセです。自身で光合成し、大気中の水分で生きています」
霞を食う者がここに。
林間コースに戻り、針葉樹の森を進む。途中、地面に白い砂が。
「花崗岩が砕かれた真砂(まさ)で、霞沢岳(かすみざわだけ)の八右衛門沢(はちえもんざわ)から流れてきたものです。これが梓川の底にあることで、水の色がより、青く見えるようになっています」
ウェストン碑を過ぎ、道脇に花が見られるようになった。この時期人気のアケボノソウ、甘い香りのサラシナショウマなど。
「キツリフネもいまならでは。種を飛ばす工夫がされています」
小さな枝豆状の実に何かが触れるとパチンとはじけて、種が遠くへ飛ぶのだという。おもしろい!
河童橋は、大にぎわいだった。たもとの大きなケショウヤナギの形、ブロッコリーに似ていませんか?と佐野さん。上高地を代表する樹木で、日本では上高地と北海道の日高(ひだか)にだけ生育するという。
この先は、梓川左岸を歩いた。清水川(しみずがわ)沿いで青紫色のヤチトリカブトを見たり、小梨平(こなしだいら)から穂高を眺めたり、中川風穴(なかがわふうけつ)でひんやりしたり。そして、これが今日の左岸のメインかもと教えてくれたのが「花の色を夜明けの空に、葉っぱの模様を織物の繻子(しゅす)に例えた、アケボノシュスランです」。
例年9月に咲き、これで上高地の花の季節は間もなく終わるという。知らなければ通り過ぎるほど淡く小さい花だった。知れば夢中になり、しばらくしゃがんで観察。
終着の明神でお昼にしようと、嘉門次小屋(かもんじごや)へ向かった。梓川に泳ぐイワナを釣り上げていた時代を経て、現在は木曽育ちのイワナが、小屋の脇を流れる宮川(みやかわ)の生け簀に放たれている。一匹一匹ていねいに状態を確認し、塩焼き、甘露煮、燻製、骨酒のうち最もおいしくなるものへと仕上げていくという。塩焼きは、囲炉裏で30~40分ほど。頭からしっぽまで、まるごと食べられる。おいしい、塩気がいいですね、とみなみさん。そういえば、以前囲炉裏の間に飾られていた嘉門次さんのピッケルと猟銃は・・・?
聞けば、2023年から大町(おおまち)山岳博物館で展示されるようになったという。暖かな囲炉裏端でイワナをいただき、小屋の方にゆっくりお話をうかがったり、ただ火をながめたり。今、最高に幸せを感じてます、とみなみさん。イワナ、ごちそうさまでした。
この日の宿は明神館。夕食時、宿泊客の前でご主人の梨子田満(なしだ・みつる)さんが明神の魅力を語ってくれた。
「朝の5時くらいに明神岳の頂上付近が晴れていて、お日さま自体にも雲がかかっていなければ、朝日によって山が赤く燃えるような色になります。この景色と6~7時くらいの明神池の朝もやは、明神泊ならではの楽しみです」
明神岳は館内2階テラスや宿前の明神広場、白沢出合(しらさわであい)付近の河原越しに眺めるのがおすすめという。
翌朝5時ごろ、館内ほかおすすめスポットから、ほんのり色づく明神岳と空を見た。穗髙神社奥宮で拝観時間の6時を迎えると、太鼓の音が響き渡った。明神池の朝もやは・・・次回に期待。肌寒く、息が白くて驚く。日が昇り、水面は穏やかに景色を映していた。
本日のメインは味めぐり。はじめに山のひだやのカフェ・ド・コイショへ向かった。カフェのメニューは、パティシエールの中谷衣里(なかたに・えり)さんがすべて店内で手作りしている。定番のキャラメルチーズケーキや、新作の梓川ブルーのクリームソーダなどをいただく。朝から甘い幸せ。周辺は野鳥が集う場でもあり、カフェのキャラクターは上高地のアイドル・コマドリである。「この時期にしては珍しく、昨日もコマドリちゃんを見たんです!」と、女将の友香(ゆうか)さんが教えてくれた。私も見たかった!
ハルニレ林の広がる徳沢にたどり着き、まずは徳沢ロッヂでオリジナルのお蕎麦のケーキ2種を食べ、スイーツざんまい。そして徳澤園のみちくさ食堂へ向かい、こちらもオリジナルのピザやカレーでランチをした。食後にキャンプ場の芝生に座り、ついのんびり。帰りの時間は迫り、往路を戻った。
河童橋は、今日もにぎわっていた。穂高もくっきり。みなみさんが山を見上げ、次は登るよ、とつぶやいた。充実したこの2日、各所で眺めた山たちを思い出す。上高地は自然や食、歴史、文化など魅力にあふれる地。そしてそれらを抱く山への思いを高めてくれる場でもあった。
(取材日=2023年8月31日~9月1日)
MAP&DATA
梓川両岸の散策コースをつないで歩く
大正池から横尾まで、ほぼ平坦な土地が広がる上高地。梓川の両岸をメインに、散策コースが整備されている。今回は大正池から林間コースを歩き、田代橋で右岸コースへ。河童橋を渡ったあと、左岸コースを徳沢まで往復する。
大正池~河童橋は日あたりのよい場所が多く、大正池のほとりや田代湿原などが展望地。梓川コースを利用する人のほうが多めで、林間コースは比較的静かに歩ける。河童橋から左岸コースに入ると、日陰が中心の涼しい道に。明神~徳沢では、途中で常念岳や前穂高岳を望める場所がある。山側が急傾斜の区間では、落石に注意。林間コースや左岸コースは、大雨の影響によって通行止めになることがあるので事前に確認を。観察を楽しむ場合、コースタイムより長めの時間で計画したり、泊数を増やしたりするのもおすすめ。
参考コースタイム
1日目:1時間52分 2日目:3時間25分
(『山と溪谷』2024年5月号より転載)
プロフィール
山と溪谷編集部
『山と溪谷』2024年5月号の特集は「上高地」。多くの人々を迎える上高地は、登山者にとっては入下山の通り道。知っているようで知らない上高地を、「泊まる・食べる」「自然を知る・歩く」「歴史・文化を知る」3つのテーマから深掘りします。綴じ込み付録は「上高地散策マップ」。
雑誌『山と溪谷』特集より
1930年創刊の登山雑誌『山と溪谷』の最新号から、秀逸な特集記事を抜粋してお届けします。