ルポ・春爛漫の吾妻山へ【山と溪谷2024年4月号特集より】

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『山と溪谷』2024年4月号の特集は、全国のガイド著者が厳選した春の名低山を紹介する「全国 花と新緑の名低山」。山岳ライター・石丸哲也さんのイチオシは吾妻(あづま)山。神奈川県屈指の花と展望の山であり、山麓の見どころも豊富だという。長年撮影してきた花々の写真とともに、ある春の日の山行を綴ってもらった。

文・写真=石丸哲也

吾妻山山頂から相模湾と伊豆、箱根の山を展望
吾妻山山頂から相模湾と伊豆、箱根の山を展望。白い花は海沿いに多いオオシマザクラ
吾妻神社に咲くカワヅザクラ
2月中旬~2月下旬ごろ、吾妻神社に咲くカワヅザクラ。ラディアン花の丘公園にもカワヅザクラが咲く
さまざまなツツジが咲く
ソメイヨシノより少し遅れて4月上旬~5月上旬ごろ、さまざまなツツジが咲く
4月上旬ごろ、ソメイヨシノとヤマブキの競演も見られる
4月上旬ごろ、ソメイヨシノとヤマブキの競演も見られる
吾妻山の一番人気の景色
吾妻山の一番人気の景色。1月~2月、山頂に咲く菜の花と富士山のコラボ。右には丹沢、左には箱根、伊豆の山、相模湾などが望める
芝生の広場になっている吾妻山山頂
芝生の広場になっている吾妻山山頂では、花と穏やかな日差しに恵まれて憩える

数ある〝駅からハイキング〟の山のなかでも、吾妻山はアクセスのよさ、展望、季節折々の花やスポットの豊富さで群を抜く。二宮駅のすぐ北に頭をもたげ、駅が登山口。標高わずか136mで1時間もあれば往復できる手軽さだが、北側に回り込めばプチ縦走もできるし、周辺のスポットも巡れば一日、有意義に過ごせる。駅近のみならず海近でもあり、海岸散策、海抜0mからの登山も楽しめる。

そんな吾妻山の魅力をフルコースで楽しむべく、春の一日、早めのスタートで7時30分に二宮駅を後にした。開館時間前の施設は後に回し、かつての領主・二宮家ゆかりの知足寺、曾我兄弟墓からラディアン花の丘公園の新緑が萌える里山を散策して里道を北上。東海道新幹線のガードをくぐり、小田原厚木道路に突き当たると鶴巻田横穴墓群が口を開けている。古代の墳墓跡だけでも貴重なのに、洞壁に貝化石がびっしり露出しているのは、ほかで見たことがない。見学の後、サクラが見られる川沿いなどを寄り道しながら歩くと、思いがけず「軽便鉄道 中里停留所跡」碑が。明治末期~昭和初めに営業した湘南軌道の駅があった場所とかで、すぐ先を新幹線が疾走し、鉄道の歴史が交錯していた。

二宮駅のホームから目の前に見上げる吾妻山
二宮駅のホームから目の前に見上げる吾妻山

二宮町ふたみ記念館の二見利節(ふたみ・としとき)の作品は西洋近代絵画の影響が感じられるものから独自の画風のものまで様々。その変遷に創作への情熱、エモーショナルな懊悩に心を揺さぶられつつ、記念館を出たところで昼どき。金目鯛の煮付けと刺身の盛り合わせのランチの後、釜野口から山道へ。ひと登りで尾根に出た後は、雑木林に新緑の木漏れ日が心地よい尾根道をゆるやかに登る。樹林が開けると吾妻山山頂で広がる芝生の斜面と満開のサクラが迎えてくれた。富士山は春霞に隠れていたが、眼下の相模湾は南国の海のように鮮やかなブルーで、その上に箱根の山々、北側には丹沢山地などのパノラマが連なる。花を愛でる人々の表情が幸せそう。うららかな日差しを浴びてのんびりした後、吾妻口側のツツジ園やサクラの林を散策して梅沢口へ下山。袖ヶ浦海岸を歩いて二宮駅へ戻り、二宮町観光協会にの屋と徳富蘇峰記念館へ。記念館で映してくれたビデオで蘇峰のスケールの大きさ、人柄にふれられたのも収穫。晩年は熱海に移り住んだ蘇峰だが、ここ二宮で秘書・塩崎彦一の実家に度々、遊んだとのこと。明治~昭和初めにかけ、政財界人が別荘を構えた湘南の土地柄とあわせ、世相もしのばれた。

尾根や中腹は雑木林を主とした樹林で新緑もきれい
尾根や中腹は雑木林を主とした樹林で新緑もきれい
白波が打ち寄せる袖ヶ浦海岸では箱根の山々を眺められる
白波が打ち寄せる袖ヶ浦海岸では箱根の山々を眺められる

夕方も近くなったので、大磯在住の山友推薦のダイニングバー「うおぴの」へ。シックで落ち着いたカウンター席に座り、早野オーナー夫妻の心づくしの菜の花のナムル、ユメカサゴの活き作りなど湘南の幸を味わっていると、隣席の老紳士Aさんが「吾妻山に登ってきたのですか」と。今日の行程を話したところ、Aさんは地元の方で、なんと学生時代に鶴巻田横穴墓群の発掘作業に従事し、さらに、小学校の図画の授業で二見利節が教師だったとか。二宮駅で塩崎彦一が当時は土がむき出しのホームにステッキで蘇峰の似顔絵を描いていて、私淑ぶりを実感したとも。貴重な話から、この日たずねたスポットに、二宮の風土や人々の息づきが感じられ、感動を新たにした。

思いがけない出会いは旅の醍醐味のひとつだが、早野夫妻も若いころ、山を登り『山と溪谷』を愛読していたとの縁もあった。うおぴのを出て、「山小屋」のパフェで締めくくって駅へ。吾妻山のさまざまな顔にふれられ、二宮の町と人々がその魅力への理解、愛着を深めてくれた。充実した山旅の一日に感謝を。

石丸さんおすすめの立ち寄りスポット

観光情報も二宮特産の土産も
にの屋
にの屋
吾妻口の二宮町観光協会内にありオリーブや落花生製品、吾妻山バッジなど地場産品や土産品を販売。湘南かんぱんは行動食にも好適。観光パンフ配布も。9~17時、無休(年末年始を除く)

二宮に生まれた孤高の洋画家
二宮町ふたみ記念館
二宮町ふたみ記念館
二宮町(旧吾妻村)に生まれた二見利節(1911~76)の作品を展示、収蔵。2024年10月20日まで「利節の描いた女性たち」展開催中。10~16時。月・火曜休館。200円

古代のロマンへ思いが広がる
鶴巻田横穴墓群
鶴巻田横穴墓群
古墳時代の掘削と考えられる横穴墓で15基が開口。横穴が掘られている岩は50万~100万年前の地層で貝化石が見られること、一部はワインカーブ(非公開)に使われていることもユニーク。

パフェを自在にカスタマイズ
軽食・喫茶 山小屋
軽食・喫茶 山小屋
ロッジ風の外観、内装で、アットホームな雰囲気。フルーツやソースを自由に組み合わせられるパフェ900円が人気。11時30分~21時。火・水曜定休、不定休あり。

鮮魚料理とワインでくつろぐ
うおぴの
うおぴの
夫妻で営むカジュアルなダイニングバー。店主が釣ってきた鮮魚などこだわりの食材とワインを気軽に楽しめる。17~22時(土・日曜15~21時)。水・木曜定休。

近代の偉傑の人柄に触れる
徳富蘇峰記念館
うおぴの
明治~昭和にジャーナリスト、思想家として活躍した蘇峰の手紙や蔵書、原稿を収蔵、展示。10~16時。月・火曜(祝日の場合翌日)休館。500円。2024年5月7日からしばらく休館。

MAP&DATA

吾妻山 神奈川県/136m

吾妻山の登山道は標識などがよく整備されて迷うようなところはない。道も歩きやすいので、小さな子ども連れにも好適。ローラーすべり台などの遊具やウサギ小屋もあり、子どもも誘いやすい。ラディアン花の丘公園は散策路がある里山で、吾妻山だけでは歩き足りない人のオプションにもなる。ふわふわドームなどの遊具があり、子どもにも人気。花は早春のカワヅザクラ、秋のヒガンバナなど。徳富蘇峰記念館は梅の名所でもある。

紹介した以外にも魅力的な場所、食事処やカフェは多数あり、次々に誕生もしている。ほかのスポットを探して、オリジナルな山旅を計画されたい。ランチの食事処は残念ながら掲載不可だが「孤独のグルメ」にも登場した人気店で検索はたやすい。

花期:2月中旬~5月上旬
参考コースタイム:4時間40分
アクセス:
[公共交通機関] 往復 JR東海道本線二宮駅
[マイカー]ラディアン花の丘公園入口に二宮町営第1駐車場(500円/8時30分~19時/約200台)、二宮駅周辺にコインパーキング複数あり
問合せ先:二宮町観光協会 TEL 0463-73-1208
2万5000分ノ1地形図:平塚

ヤマタイムで周辺の地図を見る

山と溪谷2024年4月号より転載)

プロフィール

石丸哲也

東京に生まれ育つ。オールラウンドな登山を経て、山岳ライター、登山・ツアーの講師などとして活動している。
山頂に立つことだけを目的とするのでなく、山を旅する感覚で、登るプロセスや自然にふれることを大切にして山を楽しむことを心がけている。
国内では北海道の利尻山から屋久島の宮之浦岳まで全国の山を登り、海外ではペルーアンデス、ヨーロッパアルプス、北米のヨセミテ、メキシコ、カムチャツカなどの山に足あとを残す。

山と溪谷編集部

『山と溪谷』2024年5月号の特集は「上高地」。多くの人々を迎える上高地は、登山者にとっては入下山の通り道。知っているようで知らない上高地を、「泊まる・食べる」「自然を知る・歩く」「歴史・文化を知る」3つのテーマから深掘りします。綴じ込み付録は「上高地散策マップ」。

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雑誌『山と溪谷』特集より

1930年創刊の登山雑誌『山と溪谷』の最新号から、秀逸な特集記事を抜粋してお届けします。

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