山で道に迷っても沢に降りてはいけない理由とは?

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20年間、警視庁青梅警察署山岳救助隊を率いてきた著者が、実際に取り扱った遭難の実態と検証を綴る。安易な気持ちで奥多摩に登る登山者に警鐘を鳴らす書、ヤマケイ文庫『侮るな東京の山 新編奥多摩山岳救助隊日誌』から一部を紹介します。

文=金 邦夫

道に迷って沢に降りたら死ぬぞ

登山道でない小道が人気に

奥多摩における重大遭難事故のほとんどは「道迷い」「転落、滑落」によるものである。これは奥多摩に限らず全国的な傾向だと思う。そしてそういう事故を起こす遭難者のほとんどが、経験の少ない単独行者と高齢者だ。山は非日常の世界だから、まかり間違えば命を落とすことになる……などと考えたこともない登山者が、「奥多摩くらいなら」と気軽にやってくるのである。

2010年9月、「奥多摩の山に行ってくる」と言って神奈川県K市の自宅を車で出た男性Nさん(46歳)が翌日になっても戻らないと、家族から地元警察署に捜索願いが出された。

翌日から山岳救助隊でNさんが乗って出た車の捜索を行なったところ、五日市署の山岳救助隊が車を発見したという情報が入り、Nさんは五日市署管内の山に登っていると考えられることから、当署の山岳救助隊は捜索を打ち切った。

ところが1週間ほどして、五日市での車発見情報は誤報と判明した。再度、当署管内の駐車場や林道などの捜索を開始したところ、真名井沢林道に停まっているNさん使用ナンバーの車を発見した。車は鍵をかけて真名井北稜の登山口林道に停めてあり、Nさんは真名井北稜から川苔山に登ったものと思われた。Nさんが行方不明になってからすでに1週間が経過している。厳しい状況ではあったが直ちに山岳救助隊を招集し、2個班に分かれて真名井北稜と赤杭尾根に入山し捜索を開始した。しかし夕方下山した両班ともNさんに関するなんの情報も得られなかった。

真名井北稜は登山地図などでは正規の登山道として扱われていない。昭文社の登山地図でもグレーの破線で表記され、登山道ではない小道とされている。しかし最近では、通常の登山道では飽き足りない登山者が、よりスリリングなバリエーションルートとして入り込むことが多くなった。そのようなルートを専門に紹介した本なども何冊か出版されている。登山道として扱っていないので役所では整備していないから、地図読みのできない初心者には、そういう場所での道迷いなどによる事故も多いのだ。

翌日は浮遊臭気に反応する警備犬2頭も含め、4個班態勢で真名井北稜を中心に両サイドの沢、北側の大丹波川支流と南側の真名井沢を重点にして捜索に入った。私は二人の隊員とともに大丹波川上流の枝沢を登り、広い尾根に取り付いた。踏み跡は途中で消えてしまったが、そのまま尾根を登り続け、1時間ほどで真名井北稜に登り上げた。稜線はガスって視界が利かなかったが、このまま北稜を赤杭尾根まで詰めようと登りだした。

しばらくして、南側の真名井沢を遡行しながら捜索している第2班の無線が、警視庁通信指令本部を呼び出して緊急連絡を入れているのが耳に入ってきた。「真名井沢の上流部で男性登山者の遺体を発見した」というものであった。いま捜索しているNさんであるかどうか、所持品などを確認中だという。私たちも北稜を上に急いだ。第2班から続報が入り、「死亡している男性は、所持品などから行方不明になっているNさんと思われる」という。

真名井沢
真名井沢(写真= take3さんの登山記録より)

途中、支尾根の分岐で、上から下りてきた第3班の3人と合流した。そこは上から下りてくると尾根が二つに分かれるところで、いま私たちが登ってきた左へ急に落ち込む尾根が本来のルートなのだが、真っすぐ真名井沢に向かう尾根が北稜のルートのように見え、踏み跡もある。Nさんは誤ってこの尾根に踏み込んだのだろう。下山の際、最も迷いやすいケースがこれだ。

支尾根を下っていくと途中から尾根は狭まり急になってくる。真名井沢が見えるあたりまで来ると、ザイルなしでは降りられなくなった。ここまで来ればNさんも迷ったことに気づいたはずだが、登り返すことをしなかった。そのまま無理してでも沢に下降する。そして滑落。道迷い遭難に最も多いパターンである。下の沢の中にNさんを発見した第2班の二人の姿も見える。私たちはザイルをセットして急な尾根を真名井沢まで懸垂下降し、第2班と合流した。

迷っても谷には降りるな

Nさんは尾根の末端から30メートルほど下流の真名井沢に、両足を水に浸け仰向けに倒れて亡くなっていた。左岸の急なルンゼ状に20メートルほどにわたり滑落痕が見てとれた。Nさんの亡骸に手を合わせ、収容方法を考える。すでに午後2時をまわっている。沢の中を担架で搬送するとなれば、夜間作業になることは目に見えている。ヘリの出動を要請したが、上空は相当にガスが濃いし、谷も深く、あたりは樹林に覆われている。ヘリで吊り上げられるか不安であった。

心配をよそにヘリコプターのローターの音が聞こえてきた。救助用ヘリが上空を旋回していた。ヘリと無線で連絡を取り、右岸の少し高台に空が望める場所があるので、雑木を少し伐採させてもらい、そこから吊り上げることにした。隊員が一人ホイストで降下してきた。バスケット担架にNさんの遺体を乗せ、不安定な高台まで搬送する。いったん離脱していたヘリは再度進入し、40メートルほど上空でホバリング、吊り上げ態勢に入った。合図をするとホイストに吊られた担架と隊員はゆらりと宙に浮いた。無事に機内に収容し、ヘリは大きな音と爆風を残し下流に飛び去っていった。午後3時20分であった。

ヘリコプターのおかげで、暗闇の沢の中を担架搬送することだけは免れた。それでも警備犬なども連れて真名井沢出合に下山したのは、午後5時半を過ぎていた。

これからもこの手の初心者型遭難が多くなることが懸念される。我々救助する側は、「道に迷って沢に降りたら死ぬぞ」との警告を、何度も何度でも、口が酸っぱくなるほど発していかなければならないのだと思う。

侮るな東京の山

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