読んでみよう!日本百名山

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

作家・深田久弥(ふかだ・きゅうや)がすぐれた山を100座選んだ日本百名山。その審美眼に間違いはなく、読めば山の楽しみ方に気づくことができる。まだ読んでいない人は、ぜひ手に取ってみるべきだ。

文・イメージ写真=西村 健(山と溪谷オンライン)、本文写真=PIXTA

ビギナーこそ日本百名山を手に取ってみよう

日本百名山は、作家・深田久弥が、自分自身が登頂したことのある日本中の山から選び出した100のセレクションだ。月刊誌『山と高原』(朋文堂)で1959年から4年あまり連載された企画で選出され、連載完結後に単行本『日本百名山』(新潮社)が刊行された。この本は現在までの60年にわたって読み継がれてきたロングセラーで、今は新潮文庫で入手できる。

日本百名山は名山のセレクションとしては随一のもので、刊行後の百名山ブームのほか、90年代にはNHKの自然紀行番組としてテレビで放映され、何度もブームを巻き起こしてきた。現在もNHK BSプレミアムの「にっぽん百名山」が放映されており、ドローンや4Kカメラを駆使した美しい映像で最新の日本百名山の姿を見ることができる。

気軽に楽しめるテレビももちろんいいのだが、登山者にはやっぱり原作をおすすめしたい。60年前の古い本で退屈そう・・・などと考える人もいるかもしれないが、登山を趣味とする人は、だまされたと思ってこの本を読んでみてほしい。

読めばわかる!山そのものの楽しみ方

深田久弥、いやここでは偉大なる先輩登山者としてリスペクトしつつ、深田センセイと呼ばせてもらいたい。深田センセイが設定した百名山の選定基準は、そのまま山を楽しむポイントでもある。センセイは石川県に生まれ育った少年時代から山に登りまくってきただけあり、国内外の山に精通しており、その登山歴に基づく自信が日本百名山選定の根底にある。100座を選ぶ前提として、その数倍は登らなければならないし、センセイはそれ以上の山に登ってきたからこそ、この企画を実現できると考えたのだ。百名山選定にあたって設定した基準は「品格」と「歴史」と「個性」だった。

山に登る楽しみはさまざまで、友達とおしゃべりしながら歩くのが楽しいとか、山メシを作ってSNSにアップするとか、動画を撮影してVlogを公開するとか、多様化と一言では言い表せないくらいいろいろな登山スタイルがある。しかし、どの登山者にも共通しているところは「山そのものを楽しむ」という点だろう。軽快に尾根を走り抜けるトレイルランナーだって美しい山の姿に笑顔になるし、食べてしゃべっているばかりに見える女子たちだって、足元の花に歓声を上げたりするのだ。そうした時代を越えて人を感動させる山の魅力を、センセイは3つのポイントで評価しており、それを同書で実に丁寧につづっている。

「近くてよい山」として昔から人気の百名山、谷川岳(たにがわだけ)
「近くてよい山」として昔から人気の百名山、谷川岳(たにがわだけ)

山の姿に「品格」を見る

「品格」は、山の姿かたちのよさだ。山に登る人なら誰でも、高くそびえる山の姿を見て、心を動かされた経験があるはずだ。厳しさ、強さ、美しさといった山の姿は、山の魅力そのものだ。深田センセイは「人間にも人品の高下があるように、山にもそれがある」(『日本百名山』後記)といい、その審美眼で山容の優れた山を選び出した。登山に向かう際、鉄道やマイカーの車窓から山を眺めて、その美しさや雄大さに見惚れたことはないだろうか。あるいは、自分に登れるだろうかと不安になるかもしれないが、そうした山がもつ迫力もまた、山の品格のひとつといえるかもしれない。そんな山の姿から受けた印象を胸にして一歩一歩登ったとき、登頂の喜びはひと味違うはずだ。

また、その山の形がどうして生まれたのか、造山の自然史に目を向けてみると、また違ったおもしろさがある。火山活動で隆起した山、氷河や豪雪で削られた山など、美しい山の生い立ちを知ることは、山の自然を知ることでもあり、そこで出合う動植物について知る手がかりにもなる。

鋭く天を衝く槍ヶ岳(やりがたけ)、たおやかな双六岳(すごろくだけ)。山の姿は山の魅力そのものだ
鋭く天を衝く槍ヶ岳(やりがたけ)、たおやかな双六岳(すごろくだけ)。山の姿は山の魅力そのものだ

「歴史」に思いをはせる

「歴史」は、山と人間との関わりに着目したポイントだ。日本では、古くは縄文時代から山を信仰の対象にしてきたともいわれ、山に登れば祠や石仏といった信仰の痕跡に出合うことは珍しくない。また、山の恵みは山に暮らす人たちの糧となり、流れ出す水は山麓の田畑を潤してきた。信仰や生活などだけでなく、古くから和歌に詠われてきた歌枕の山も多い。

深田センセイは観光開発について「もはや山霊も住み所がなくなっている。そういう山を選ぶわけにはいかない」(『日本百名山』後記)とつづっている。残念ながら、その後の百名山ブームがさらなる山の通俗化を招いたという皮肉な現実もあるが、一方で江戸時代の富士講の興隆をはじめとして、大衆文化も山の歴史のひとつでもある。そして、山の歴史は山の魅力であることは間違いない。山麓の神社仏閣に詣でたり、登山中に出合う炭焼き窯の痕跡を見たりして、その山と人との関わりの深さ、歴史の長さに思いをはせてみる。山頂の祠に手を合わせたり、古道を歩きながら、かつて行き来した人たちの暮らしを想像してみると、いにしえ人の暮らしが実感できるというものだ。

剱岳山頂からは平安期のものとされる錫杖頭と剣が見つかっている
剱岳山頂からは平安期のものとされる錫杖頭と剣が見つかっている

「個性」、オンリーワンこそ尊い!

山の「個性」というと漠然としているが、ほかに似たもののない独自性を備えた山というのは確かにあるし、そうした山はとても魅力的だ。センセイは「その形体であれ、現象であれ、乃至は伝統であれ、他に無く、その山だけが具えている独自のもの、それを私は尊重する」(『日本百名山』後記)と、非凡な山に価値を見いだしている。

日本百名山は北海道から九州まで全国に点在していて、一座登るのにも大変な時間と予算が必要なことも珍しくない。百座全部登るのに何十年、何百万円というのが現実だったりする。しかし、北海に突如としてそびえる利尻山(りしりざん、日本百名山では利尻岳)のような山はほかではお目にかかれないし、標高こそ低くても、鹿児島の開聞岳(かいもんだけ)のようなユニークな山も二つとない。日本百名山完登をめざす人は、百名山だから仕方なく遠方まで足を延ばすのではなく、そうした個性的な山との邂逅に胸をときめかせて旅に出るのだ。

センセイは百名山を選ぶに当たって標高1500m以上を基準の一つにしているが、例外的に924mの開聞岳と、877mの筑波山(つくばさん)が選ばれているのは、この個性という点によるものだ。山に登る際に「この山の個性はどんなところにあるのか」を考えながら登ることで、山の魅力に気づくことができる。もちろん、『日本百名山』のページをめくれば、そこには深田センセイの見いだした山の個性が文学者ならではの筆致でつづられているのだから、読まないという手はないだろう。

九州の南端、鹿児島の独立峰・開聞岳
九州の南端、鹿児島の独立峰・開聞岳

『日本百名山』はすぐれたガイドブック

60年前に刊行された『日本百名山』に書かれている情報はもちろん古いものだ。いざ登ろうと思えば、コースの情報、アクセスの方法、宿泊施設など最新情報を調べなければならない。しかし、「登山の目的の山を選ぶ」「登る山について知る」という点でいえば、同書は今だに活用できるガイドブックといえるし、深田センセイの文章は今なお色あせることなく、山への期待を膨らませてくれる。登山計画づくりは最新のガイドブックやウェブサイトを活用するとしても、「山をもっと楽しむ」ために、日本百名山を読んでみてはいかがだろうか。

文庫本なら300g足らず。ザックの雨蓋にこの名著を入れて、百名山に出かけよう。

百名山に登る

深田久弥が選んだ日本百名山をはじめ、「百名山」の名のつく山のセレクションはいくつもある。コンプリートにこだわるだけが百名山の楽しみ方ではない。選出された山そのものの魅力を再発見する手がかりとして百名山をとらえてみよう。

編集部おすすめ記事