ベシャ、ベチャ・・・魔の山・谷川岳をさまよう謎の足音とは

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突然響き渡る“なにか”の音

突然、目の前のコンクリート床に大きな音が響いた。

「場所でいえば、休憩室の前に木のベンチやテーブルがあって、そのあたりになにか物が落ちる音がしたんです。せいぜい私たちの足元から2m程度の距離で、音は――」

ドシャとベシャが混じりあったような湿っぽい音で、重たいけれど柔らかい物が勢いよくコンクリート床に落ちてきたような印象だった、という。

驚きで声も出ない2人は、身体を硬直させつつそちらを見る。しかし、コンクリートの床にはなにもない。すると――

ベシャ・・・ベチャ・・・

同じ場所からさらに音が聞こえてきた。Tさん本人の言葉を借りると「例えるなら、限界まで水に浸した状態の分厚い登山用ソックスで床を歩く」ような音だったという。

目の前から確かに足音が聞こえる。しかし、蛍光灯の明かりが煌々とともっているにもかかわらず、なんの姿も見えない。

「なにかいるぞ・・・と思って固まって見ていると、ベチャ、ベチャって、事務室のほうに足音が向かっていくんです。そのまま15、6歩くらいは進んだと思います。事務室の前に着いて一瞬聞こえなくなったと思ったのですが――」

ベチャ・・・と、今度は事務室の中から聞こえた。扉は施錠されているうえ、そもそも開いたところを見ていない。しかし、部屋の中で確かに歩く音がする。

Tさんはとてつもなく恐ろしかった。しかし、納得できない感情が湧きだし、ヘッドランプを持ち出して事務室に近づき、中を照らしてみた。

「やっぱりなにもいない。しかも、照らしていると音がしないけど、離れるとまたベチャって聞こえるんです」

明らかに理解できない状況のなか、ふと我に返ると急に身の毛がよだちはじめた。思わずシュラフに入り呆然としたままの仲間に駆け寄り、2人並んで事務室の窓を見つめた。

そして時間にして数分くらい経ったころ、

「フッと、気配が消えたんです。仲間と2人、なにが起きたのか、少しも理解できませんでした。だけど気が抜けて、唖然としたまま眠ってしまいました」

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プロフィール

成瀬魚交(なるせ・うこう)

1990年生まれ。東海大学探検会OB。学生時代はスリランカ密林遺跡踏査、秋田県民間信仰調査などの活動を行なった。現在は編集者・ライターとして各地の渓谷や不思議スポットを訪れたり、聞き書きなどで実話怪談を手がける。

登山者たちの怪異体験

太古の時代から、山は人ならざるものが息づく異界だった。そうした空間へ踏み込んでいく登山では、ときとして不可思議な体験をすることがある。そんな怪異体験を紹介しよう。

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