上高地のヤマドリ、その魅力と遭遇記。そして東北のマタギ文化を記録した写真家との邂逅と思い出
ヤマドリはキジ科ヤマドリ属の野鳥だ。日本固有種で、本州、四国、九州に自然分布している。国鳥のキジ(キジ科キジ属)とほぼ同じ大きさだが、キジ科ライチョウ属のライチョウよりは一回り大きい。その名のとおり、山あいに生息している。オスの方が大きく、とくにオスはメスにくらべて長い尾を有する。オスの顔面にはキジに似た大きな赤い皮膚の裸出部があるが、間近にその顔を見ると、その赤色がとても刺激的で、非常に迫力がある。食性はおもに植物食だが、昆虫などの小動物を食べることもあると言われている。今回のコラムでは、このヤマドリと私の出会いについて書いてみることにする。
文・写真=昆野安彦
最初の出会いは千葉さんの手料理
秋田県の大曲(おおまがり)に住んでいた時、写真家の千葉克介さんと懇意にしていた。1997年の春、すでに千葉さんと交遊のあった東京の知人が秋田を訪れた際、私も呼ばれて一緒にお会いしたのが最初だった。山男然とした風貌で最初は少々緊張したが、物腰がとても柔らかな方ですぐに打ち解け、その後は月一くらいのペースでお会いしていた。
千葉さんの家は武家屋敷や桧内川(ひのきないがわ)の桜並木で知られる角館(かくのだて)にあり、訪ねると、いつも奥様が特別においしいピザを作ってくださった。写真の話はあまりせず、もっぱら秋田の自然や山の話が中心だった。私は北海道の大雪山によく行っており、大雪山の話をすると興味深そうに聞いてくれた。
ある日、千葉さん宅を訪れると、知り合いの猟師が獲ったばかりというヤマドリを見せてくれた。今からさばくところだから、良かったら食べていかないかと誘われた。
ヤマドリが美味なことは噂では知っていたが、食べたことはなかった。二つ返事でお願いしますと言ったのはもちろんのことだった。千葉さんは手慣れた手つきでさばくと、肉を焼いたものと、スープを作ってくださった。早速いただいたが、これが特別に美味しかったことは言うまでもない。じつは、私はそれまでヤマドリを見たことがなかった。つまり、この時が私にとって、食材ではあるが、ヤマドリとの初めての対面となったわけだ。
上高地のヤマドリ
私が生きている自然状態のヤマドリを初めて見たのは上高地だった。9月のことだったが、明神から徳沢方面への遊歩道をのんびり歩いていた時、数人が道沿いに佇んでいるのに出会った。
何だろうと覗いてみると、ライチョウほどの大きさの鳥が数羽、草むらで採食していた。大きくなった幼鳥を連れた母ヤマドリだった。ヤマドリの仔育てはライチョウと同じようにメスだけが行なうと言われ、付近にオスの姿はなかった。
幼鳥は3羽のような気がしたが、草むらに紛れて他にもいたかもしれない。幼鳥たちは盛んに採食していたが、母鳥は時折立ち止まり、辺りを警戒するようなポーズを示していた。上高地にはヤマドリの天敵とされるキツネが生息しているので、母鳥はこうした警戒により、天敵の接近を事前に察知することができるのだろうと思われた。
親仔が食べていたもの
私は生きものを観察する時、第一に、何を食べているのかに注意するようにしている。
注意深く見ていると、食べているのはタデ科のミゾソバの花または蕾であることが分かった。ヤマドリの大きさに比べると、とても小さな花だが、ヤマドリは首を伸ばし、一つ一つを熱心についばんでいた。その様子は、蝶ヶ岳での観察だったが、ライチョウがムカゴトラノオのむかごをついばむ様子にそっくりだった。
ヤマドリ親仔がいた場所は一面のミゾソバ群落だったので、小さな花だけれども、数をこなせば、十分、腹が膨れるに違いない。人間が間近にいるにもかかわらず熱心に採食していたのは、上高地ではヤマドリに手を出す人が誰もいないことと、餌としてのミゾソバの誘惑に親仔そろって逆らうことができなかったからだろうと思う。
鮮やかな色彩のオス
メスのヤマドリは姿かたちが多少ライチョウに似ているが、オスにはライチョウ的な要素が少ない。全体的に赤っぽく、先ほども書いたように長い尾と顔面の赤い皮膚が印象的だ。なお、尾の長さは若鳥よりも年を経た成鳥の方が長いと言われている。
このオスのヤマドリに初めて会ったのは、上高地の明神近くの遊歩道のことだった。6月のことだったが、ふと梓川の方の林を見ると、オスのヤマドリの頭部が草むらからのぞいているのに気づいた。
私は驚かさないよう、遠くから1枚写したが、幸いこのオスは私には関心がないようで、その後しばらくは彼が見えなくなるまで写すことができた。
徳沢で会ったメスも人を恐れる様子がなかったが、このオスも同様だった。野鳥を観察する側の人間としては、こうした習性は好都合だが、その一方で、もう少し人を用心してもいいのではないかとも思ったりする。
なお、ヤマドリのメスは環境省の省令により、ヤマドリの捕獲を目的とした放鳥獣猟区以外での捕獲が禁止されているが、オスの方は禁止されておらず、鳥獣保護管理法に定められた狩猟期間であれば、定められた捕獲数の上限内での狩猟が認められているそうだ。
秋田を離れる時のこと
2000年の夏、私は東北大学農学部の教員ポスト(昆虫学)を得て秋田を離れることになったが、その少し前に千葉さん宅を訪れて、事の次第を話した。
千葉さんは心なしか、寂しそうな表情を浮かべられた。東北を代表する写真家であり、また私よりだいぶ年上だったが、訪ねた時は時間を割いて丁寧に接して下さり、そのご厚情をいつも有難く思っていた。
それまでの御礼を述べるとともに、途中の果物屋で買い求めてきた心ばかりの桃一箱をお渡しして失礼したが、今でもその時の情景は昨日のことのように思い出される。
仙台に転居してからは、写真展にお邪魔する程度であまりお会いする機会がなかったが、この原稿を書き始めた2025年2月10日、知人から千葉さんが1月31日に亡くなられたとの連絡を受けた。
そのため、この部分以降は訃報を知ってからのものになる。草稿の段階では、最後にもう一つ、二つ、上高地のヤマドリの話を入れて仕上げるつもりだったが、予定を変更し、千葉さんの本や絵葉書のことを書いて締めくくることにする。
千葉さんの本と絵葉書
ここに掲げた本は千葉さんから頂いたものだ。千葉さんは新しいものが出ると、いつも良かったらと手渡してくださった。そのほか、黎明舎という、ご自身が主宰するフォトライブラリーから出された絵葉書もたくさん頂いたが、その多くは友人宛に使用してしまい、今はもう手元にはいくらも残っていない。
写真の『ブナの森 NATURAL BEECH FOREST』という絵葉書セットも千葉さんから頂いたものだ。千葉さんは日本固有種のブナに関心があり、ブナの天然林が広がる和賀山塊や白神山地をよく訪れていた。風景写真の第一人者らしく、どの葉書も時間をかけて撮られた内容の濃い作品になっている。たまたま、この絵葉書セットだけは使わずに残っていたのだが、もう、使うことはせず、大事にとっておこうと思う。
和賀山塊の茶色いクマ
以上、上高地で出会ったヤマドリのことも含め、千葉さんとの思い出にも触れてみた。写真家や岳人には音楽にも造詣が深い方が多いが、千葉さんもその例に漏れずジャズが大変お好きで、東京で個展を開かれた時は、夜には必ずジャズの店に通われていた。
そのほか、千葉さんから聞いた話で印象に残っているのは、私も幾度か登ったことがある岩手・秋田県境の和賀山塊で、茶色の大きなクマを見た、というのがある。ヒグマのようにも見えたとおっしゃっていたが、ヒグマの化石は本州からも見つかるので、たとえば本州最後の生き残り個体の可能性など、あながち、あり得ない話ではない。
私もその可能性はありますねと相槌を打ったが、果たして千葉さんが目撃した熊は本当にヒグマだったのだろうか。それともツキノワグマの変種だったのだろうか。私のなかでは千葉さんの思い出とともに、永遠の謎として残ることになった。
私のおすすめ図書1

消えた山人 昭和の伝統マタギ
千葉さんは東北のマタギ文化の研究もされており、この本はその集大成となる1冊です。昭和の最後の時代を生きたマタギの人たちと生活をともにし、狩人としてのマタギの文化、習俗、世界観を写真とともに記録しています。私はとくに雪山での履物に興味を惹かれました。また、和賀山塊で目撃した茶色い熊の話も収録されています。なお、千葉さんと同じ中学を卒業した作家の塩野米松氏が、解題として千葉さんとの交流やマタギ文化について書かれており、本書が誕生した背景を知ることができます。
| 著者 | 千葉克介 |
|---|---|
| 発行 | 農山漁村文化協会(2019年刊) |
| 価格 | 2,750円(税込) |
私のおすすめ図書2

ヤマケイ文庫 マタギ 日本の伝統狩人探訪記
イリオモテヤマネコの発見者として知られる作家の戸川幸夫さんが昭和20~30年代に秋田県阿仁を訪れ、マタギと行動をともにしながらマタギの狩猟や文化を記録したノンフィクションです。戸川さんがマタギの猟に同行した白岩岳連峰は私も登ったことがあり、臨場感を持って読むことができました。本書は千葉さんの取材時より10~20年古い時代の記録なので、その点に視点をおいて千葉さんの本と読み比べると、昭和のマタギの伝統文化やその変遷過程が、さらによく理解できるのではと思います。
| 著者 | 戸川幸夫 |
|---|---|
| 発行 | 山と溪谷社(2021年刊) |
| 価格 | 1,045円(税込) |
プロフィール
昆野安彦(こんの・やすひこ)
フリーナチュラリスト。東京大学農学部卒(農業生物学科)、東北大学農学部名誉教授。著書に『大雪山自然観察ガイド』『大雪山・知床・阿寒の山』(ともに山と溪谷社)などがある
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