行程・コース
天候
1日目:晴のち雷雨、2日目:晴一時曇
登山口へのアクセス
バス
その他:
【往路】JR中央本線日野春駅から山梨交通バスで横手バス停下車
【復路】竹宇駒ヶ岳神社バス停から山梨交通バスで終点・韮崎駅下車
この登山記録の行程
【1日目】山梨交通バス横手バス停(08:50)・・・横手駒ヶ岳神社(09:20)・・・一合目(10:25)・・・笹ノ平(12:20)・・・五合目小屋(14:25/14:35)・・・七合目小屋(15:20)[宿泊]
【2日目】七合目小屋(04:00)・・・八合目(04:40/04:45)・・・甲斐駒ヶ岳(05:30/06:30)・・・駒津峰(07:10/07:25)・・・摩利支天(08:00/08:25)・・・七合目小屋(09:40/10:20)・・・五合目小屋(11:00)・・・笹ノ平(12:15/13:15)・・・山梨交通バス竹宇駒ヶ岳神社バス停(14:10)
高低図
登山記録
行動記録・感想・メモ
【回想/1日目】早速旗くん宅へ自転車を走らせたのだが、今回はザックにシュラフを2つ取り付けているためにペダルを漕ぐ足取りは重かった。旗くん宅に到着するとすでに雨戸が開いていて電気も付いていた。玄関ブザーを鳴らすと旗くんは出てきたがどことなく疲れた様子だった。理由を聞くと、家族は旗くん以外みんな海に行っていて起こしてくれる人がいなかったから徹夜したのだという。テレビ、ゲームや本を読んで夜を明かしたそうだ。私が着いた時にはまだ朝食を摂っておらず、桃1個を食べたところだった。ちゃっかり私もごちそうになってしまった。旗くん宅には予定より早く着いたが準備に手惑い結局予定通りの時刻に出発。しかも悪いことに旗くんの自転車はパンクしているらしく空気を入れたものの往きだけ持ってくれればとの思いで急いだ。「帰りは引いて帰るしかない。」と早くも不安がよぎる。新小平駅前の駐輪場まで何とか持ってくれたので安堵した。早朝の武蔵野線は乗客が少なかった。西国分寺からの中央線も座れたが登山者は少なかった。電車が立川駅に停車した時、一組の若夫婦が乗ってきたのだが、この若夫婦とはこの先下山後の韮崎駅までずっと同じ経路を辿ることになる。高尾駅に到着すると目前に停車している中央本線各駅停車の車内の混雑具合を見て愕然とした。思わず溜息をつきたくなるほどの人・人・人。一睡もしていない旗くんは更に衝撃的だっただろう。高尾駅を出発してからしばらくすると旗くんは眠さに耐えられなくなったらしく、それを察した私が「シュラフを枕にして寝た方がいい。」と勧め、とうとう電車の床で眠ってしまった。突然の睡魔に襲われたそうだ。私は持参した文庫本を読んでいたがあまり集中できずすぐにやめてしまった。笹子トンネルを抜けると一面雲に覆われ一瞬悪天の様相を伺わせたがそれも束の間すぐに太陽が顔を出し始めた。甲府駅に着くと旗くんも完全に目を覚ました。日野春駅で下車したが思ったより登山者が多かった。とはいえ横手行きの山梨交通バスに乗車したのは我々を入れて僅か7名。先ほどの若夫婦も当然乗車していた。
横手バス停に着くと他の登山者はさっさと駒ヶ岳神社方面へ向かって行ってしまい我々だけが取り残されてしまった。それにしてもまだ9時になったばかりで、しかも海抜800m前後もあるのに太陽が照りつけてものすごく暑い。遅れをとってしまった我々も歩き出したがもう前方には姿がない。「速いな~」と呟きつつ神社までの車道を進んだが、速かったのは自分たちだとわかったのは10分後だった。瞬く間に前方の人たちを抜かし神社の手前で先頭に立った。逆に「速いね~」と先ほどの若夫婦に初めて声をかけられた。「南武線に乗っていましたよね。」とご主人から問われ、「いえ、中央線に乗っていました。西国分寺から来たので。」と応えると納得したらしく頷いていた。神社では19円賽銭箱に入れ、水も飲まずに進んだ。神社の裏手からすぐに林道に出たが1分もしないうちに登山口の標識があり、駒ヶ岳方面は右を指していた。しかし右に折れた瞬間度肝を抜いた。短い斜面だったが傾斜30度を超えていた。序盤の一歩で「甲斐駒恐るべし。」を思い知らされたようだった。その後もずっと登りが続いたが、何しろこのカンカン照りでものの15分くらいでバテてきた。休憩するたびに旗くん持参のジュースを飲み渇きを癒した。笹ノ平までに展望台が3ヶ所あったがいずれも小休止の場となった。かなり登ったと感じられた場所に3ヶ所目の展望台があったが、そこが一合目と知り「まだ10分の1かぁ」と思わず愚痴ってしまった。嫌味とも取れるこの標識を旗くんは指さしながら「あれは趣味で作ったとしか考えられない。」と言った。お互いこの暑さで終始バテ気味だったが、とりわけ一睡もしていない旗くんはかなりきつかったに違いない。歩き続けるにつれ徐々に遅れてきた。一合目から少し行くと沢に出た。これが第1の水場だった。少し早かったがここで昼食を摂ることにした。近くにサントリーウイスキーの蒸留所があるくらい甲斐駒の水は美味いと評判だが、一口喉を潤すとやはり期待通りの美味さを感じることができた。八ヶ岳の水のように岩石の味がしないのがいい。これまで飲んだ水の中で最高級に違いない。この水を沸騰させて食事をしたが何と美味いことか。いかに水が重要であるかを実感する場になった。後続の人たちはなかなか現れなかったが、食事をしている間に殆どの人たちが通過していった。水場から更に急登が続いたがやがて竹宇からの分岐点に出た。そこからすぐの場所が笹ノ平だが、通過して少し上がったところで小休止した。旗くんはここで横になって眠ってしまった。丸太の上で眠ることができるのも旗くんしかできない芸当だ。旗くんは眠る前に「先行ってていいよ。」と言っていたので時間を持て余し先に出発した。途中キジを撃ちに行ったことで腹の調子が良くなった。旗くんを待つようにゆっくりとした足取りで進んだがなかなか現れない。旗くんが追いついたのは私が刃渡りの嶮で小休止している時だった。どうやら寝過ごしてしまったようだ。刃渡りから先は再び樹林帯を進み、急な下りになったと思ったら五合目小屋に到着、水場で水を汲んだ。この急な下りはすなわち明日の帰路は急登になるのだと想像しぞっとした。黒戸尾根の登りは梯子の連続だが、この先も同様に続いた。目前の登りもかなりきつそうに見えた。旗くんとの差がものすごく開いてしまったのもこのあたりで、吊り橋を渡ってから再び梯子の連続になり、前方にいた団体さんに道を譲っていただいた。梯子だけでなく鎖場も何ヶ所もある難所だ。旗くんの姿は見えなかったが後方から「その場で待っててくれ。」と私を呼ぶ声が聞こえた。しばし待つと旗くんが追いついたが、もうそこは七合目小屋だった。早速宿泊予約をし、小屋の親父さんに第2小屋を案内された。小屋に入るなり旗くんはすぐに眠ってしまい、私は今日の道のりを頭に巡らせつつボーっとしていた。夕食は小屋脇の東面が開けた崖っぷちで摂った。正面に鳳凰三山を眺めながらの食事を満喫した。食事を終え小屋に入った途端雷雨に見舞われた。かなり強い降りで屋根を叩きつける雨音が激しく聞こえた。18時30分には床に入ったがまだ寝るには早く、私はラジオで巨人ー阪神戦(後楽園球場)を聞いて過ごした。雨は変わらず降り続いていたがラジオの向こうでは読売ジャイアンツが原選手と吉村選手のアーチもあり7-1で快勝。江川投手が10勝目をマークしたことを確認したところでラジオを消した。20時30分、もう起きている人はいなかった。
【回想/2日目】物音がして目を覚まし腕時計を見たら3時12分だった。起きるにはまだ少し早いと思って動かずにいたが、旗くんも目を覚ましているようだったので起き上がった。旗くんもすぐに起きた。まだ日の出まで1時間半もあるので小屋内は当然闇の中。懐中電灯を片手に出発の準備を始めた。山頂まではディパックで往復するのでザックは小屋に置いていく。身支度が整い外へ出ると涼しいというより肌寒いくらいだったが、早朝の澄んだ空気はとても気持ちいい。4時ちょうどに七合目小屋を出発した。辺りはまだ暗く懐中電灯無しではまだ歩けない。少し行くとテントが数張あったがまだ行動を起こす気配はなかった。急な登りが続いた。かなた北東の空が赤く染まってきた。上空は雲に覆われていたが雨は降りそうにない。少し開けた場所に出るとこの先の岩場を伺うことができた。いよいよ夜が明けようとしていたが地平線近くにも雲が広がりご来光は難しいか。北の方角には八ヶ岳連峰が鎮座しているが中枢部には雲がかかり前衛の権現・編笠だけ何とか確認することができた。旗くんが「木の高さが低くなったからかなり上まで来た。」と言うとその通りで、まもなく八合目のご来迎場に到着した。ご来迎場から鳳凰三山方面を望むと一瞬空が光った。どうやら昨夜の雷雨が関東地方へ向かったその稲光のようだった。何度も光を放っており珍しい早朝から光景を目の当たりにすることができた。今更にして気づいたのだが鳳凰三山の真上の稲光の先に富士山が姿を現した。ふいに空はたちまち明るくなり、風とともに雲の動きが激しくなり徐々に青空も顔を覗かせるようになり我々の気分も高まってきた。鎖や岩場が連続したがそれが一段落すると右手奥に白砂の甲斐駒の山頂部がはっきりと確認できた。登山道の傍らには御神体がいくつも祀られており信仰深い山だと伺わせる。山頂へ向けて進んでいると突然脇の岩穴から男性が飛び出してきたので少し驚いたが、その男性は私に親しげに話しかけてきた。「雨に降られたのでこの岩穴に避難したんだけど、結局ここで一晩明かしてしまったよ。それにしても昨夜の雷はすごかったよ。」と仰っていた。岩穴に寝泊まりするなんてなかなかユニークなおじさんもいるものだと感心した。更に進むと山頂の櫓らしきものを見えてきた。見る見るうちに近づき、5時32分、白砂に覆われた甲斐駒ヶ岳山頂に到着した。早朝の山頂には誰一人いない独り占め状態。鳳凰三山、富士山はもとより、目の前には大きな仙丈ケ岳が、その右手に中央アルプスと御嶽山も見える。北岳と間ノ岳は雲を纏っているが確認できた。文字通り360度の眺望、実に素晴らしい一等三角点峰だ。旗くんも少し遅れて到着した。旗くんもさすがにこの絶景には驚いているらしく言葉を発することなく眺め続けていた。その旗くんが仙丈ケ岳を目にした瞬間、「あれ火山?」の一言。火山みたいな山には違いないが残念ながら火山ではない。この名(迷)言には思わず吹き出してしまった。この時間の山頂の気温は4℃。真冬と同じくらいの結構な寒さなのが驚きだ。記念撮影をしてから朝食の準備に取り掛かった。昨日から同じ行程の例の若夫婦も山頂に到着した。お会いするたびに「早いですね。」と感嘆のご様子。少し会話もするようになり気心が知れてきた感がある。朝食を済ませると山頂を後にし、駒津峰へと向かった。しかし六方石までの下りが一面白いザレ場で足元が崩れやすく滑りながら下りて行った。下りも楽ではないが登りも足を取られてきつそうだ。甲斐駒登頂を目前に控え登ってくる人たちはすれ違いざまに「あとどのくらいですか?」と尋ねられた。浮石もあり旗くんは滑って転倒し脚を擦りむいた。大丈夫と言いつつも「今回のオレはおかしいな。」と呟いている。「一昨日の徹夜が効いているんじゃないの。」と返すが、旗くんは「それは違う。」と言っている。今回の私のペースについていけないのを嘆いていた。体調があまり良くないのだろう。六方石から少し登った先に駒津峰山頂はあった。甲斐駒山頂に比べ登山客が多かった。記念写真を撮りすぐに摩利支天峰へむけて出発した。六方石から甲斐駒南面の巻き道を使ったおかげでほどなく摩利支天峰に到着した。この頃には上から太陽が照りつけるようになり、振り向くと甲斐駒の白い山容が妙に眩しく感じた。この場所は鉄剣、祠そして仏像ありと、山頂以上に山岳信仰の色彩が色濃く残っていた。摩利支天峰を後にし再び甲斐駒山頂へと向かったが、途中道を見失い道なき道を白い岩をよじ登った。旗くんとは「ロッククライミングの気分だ。」と言い合った。ようやく登山道に戻り山頂に着いたが先ほどとは打って変わった混雑ぶり。気温も16℃まで急上昇していた。下山に取り掛かると突如霧が立ち込めてあっという間に白い山頂は姿を消してしまった。旗くんは未だ寝不足の影響で下りも遅れ気味でやがて姿が見えなくなった。八合目のご来迎場で一旦合流したものの、その後の樹林帯の下りでも差は開く一方だった。七合目小屋手前のテン場で例の若夫婦と再び出会い、テントを畳んでいる最中に言葉を交わした。「駒津峰と摩利支天峰へ行ってきた。」と伝えると驚いていた。七合目小屋に戻り荷物整理をしていたら旗くんが到着した。ここでは水の補給はせず五合目まで一気に下ることにした。昨日の宿泊客で最後に小屋を出たのは我々だった。下り始めるとザックに外付けしていた借り物のシュラフが何度もバラけてそのたびに括りなおすことになり苦しんだ。一方の旗くんは元気を取り戻し足取りも速く好調になってきた。五合目小屋では水を補給したが、例の若夫婦と再び合流。2日間の行程をほぼ前後していることになる。五合目からは下りを加速させた。自分でも驚くほどの速さで駆け下りており、両側に笹が群生する道を休みなく下っていった。スピードがつくと左右に振れるせいもあり括りつけていたシュラフがまたバラけて長くなってしまった。何度もバラけてしまうシュラフをここからは抱えながら下った。身体も火照り始め、空腹にも耐えながら「早く着かないか!」と念じていると笹ノ平に到着。待望の昼食を摂った。はじめここにいたのは大学生風の3人と我々だけだったが、食事の準備をしていると次々と下山者がやってきた。そのうちの1人の中年男性が「荷物を減らしたいから。」と言って持参したオレンジを居並ぶ人たち全員に配っていた。そう言いつつも話を聞いているとこの方は超健脚のようだ。何と今朝仙水小屋を出発し駒津峰を経由して甲斐駒に登頂。その脚でもう黒戸尾根の3分の2を下っているのだ。その方と別の2人の中年男性と会話が弾んだ。3人が去った後、今度はどこぞの山岳会の人たちが登ってきた。「甲斐駒まであと何時間くらいでしょうか?五合目までは?」など聞かれて応えたが、そのうち会話が弾み始めた。この山岳会の方々は、ついこの間北岳を登頂したようで、しかも九州から遠征してきているのだという。再び登り始める彼らを見送り「頑張って下さい!」と声をかけると、「お気をつけて!」と返してくれた。昼食が済み再び下り始めた。分岐点では左に折れ竹宇口へ向かった。旗くんと竹宇駒ヶ岳神社までノンストップで進もうと決めたものの、途中山道の中央部が窪んでおり歩きにくい場所が続いた。それでも下るにつれて下界が近づいてきたのを感じさせる喧騒が入ってきた。笹ノ平で抜かされた例の若夫婦や会話が弾んだ3人のうちの2人を抜いた。旗くんが「先に行ってて。」と何やら用を足しに行った後もそのまま下り、沢の流れが聞こえてきた頃、オレンジをいただいた男性に追いついた。あらためてお礼を言うと「ああ、さっきの人か」と遅れて気がついたらしかった。長い黒戸尾根をようやく下り切った。少し待つと旗くんの姿が見えた。吊り橋を渡り竹宇駒ヶ岳神社に達すると、突然2人のお巡りさんが近寄ってきて「今日の山の天候はどうだった?」「人数はどのくらいだった?」「昨晩山小屋に泊まった人は何人くらいだった?」と矢継ぎ早に聞かれ応えた。更に「笹ノ平からどのくらいかかった?」と聞かれたので「57分ですね。」と伝えると「速いね!」と驚いていた。挨拶をしてその場を去った。平坦になった道を少し進むと売店が見えてきた。バス停はその売店前にあったが混雑していたため、更に5分ほど行ったバスが停まっている所まで行き荷物を置き、運転手さんに「土産を買ってくるので出発を少し遅らせて下さい。」と告げると了承してくれたので急いで売店まで戻った。駆け足で戻っているとちょうど例の若夫婦とすれ違い「元気だね!」と声をかけてくれた。売店では旗くんがジュースを買い、私はキーホルダーとジュースを購入。ジュースを飲みながら旗くんを追いかけバスに乗車。走って戻ってきた我々をバスで待つ皆さんがあたたかく迎えてくれた。例の若夫婦からは「もう一つ3000m級の山に登れるんじゃないの!」と声を掛けられ、「もうくたばっています。」と苦笑しながらも華奢だった自分にだいぶん体力がついてきたことを実感した。韮崎駅行きのバスが発車すると途中雨が降ってきた。甲斐駒の雄姿も雲に覆われ拝むことはできなかったが、心地よい疲れの中、とても良い山行だったと回想した。新小平駅からの帰路は、予想通り旗くんの自転車はパンクしており、遥か東の空に輝く稲光を眺めつつ2人で手押ししながら帰途についた。


































































