行程・コース
この登山記録の行程
七ツ石小屋(07:00)・・・ブナ坂(07:29)・・・奥多摩小屋跡(07:56)・・・小雲取山(08:42)・・・雲取山(08:58)[休憩 15分]・・・小雲取山(09:29)・・・奥多摩小屋跡(09:49)・・・ブナ坂(10:03)・・・七ツ石小屋(10:48)[休憩 15分]・・・堂所(11:25)・・・小袖乗越(12:27)・・・鴨沢(12:55) ・・・深山橋BS(13:43)
高低図
標準タイム比較グラフ
登山記録
行動記録・感想・メモ
起きたら、真っ白だった。
七ツ石小屋の周りはガスに包まれていた。
昨日、鴨沢BSから登り始め、予約しておいた山小屋に到着。
日没まで4時間ほどあったが、
小屋番さんの助言で雲取山への山行を翌日にしたのだった。
予報どおりの曇天となってしまい、昨日のうちに登っておけばよかった、
などと思っても、もう あきらめるしかない。
山頂からの展望はないだろう。
がっかりだが、こればかりはどうしようもない。
そそくさとカップめしの朝食を済ませ、出発した。
実は、寝坊している。
予定より1時間遅れの午前7時。今日は月曜日だ。
ブナ坂に向う巻道は、白くガスっている。
そんな中を下山してくる人が現われた。
山頂で日の出を見て下りてきた、という。
雲取山へ向かう登山道(石尾根)は、なだらかだ。
防火帯となっているので、左手(西側)は遮るものがないのだが・・・。
見上げると空の一部に小さい青空がある。
お、もしかしたらと思う。
前方に小高い丘が見え、ソロでペアで、と人が下りてくる。
この時刻だから、雲取山荘に宿泊された方々だろう。
ヘリポートを過ぎると見上げるような岩山だ。
「く」の字のように上がって行くとヨモギノ頭(1813m)の表示。
そこから雲取山の山頂までさらに200m近く標高を上げていくが、大したことはない、
というのは一個人の感想であって
これから山行を予定している方の参考にはならないかもしれない。
大したことはないと思えたのは、過去の山行と比較した話であって、
神奈川県の大山や、百名山の甲斐駒ヶ岳などと比べると、ということだ。
あの勾配は長くてきつかった。
ただ雲取山は
息が上がるほどの「急登」があるわけではないから、まあ登りやすい山ではある。
事故と隣り合わせのような梯子があったり、鎖場があったりするわけでもない。
ただし、滑落事故は起きているようで注意喚起の看板がある。
大したことがないと思えたのは、もう一つある。
爽快な気分になっていたのだ。
雲が流れていき、陽が差してきて天気が回復したのだ。
西側に雄大な眺めが目の前に現れている。
それで、登りの大変さが一気に吹っ飛んでしまったようだ。
富士山が見えた。
そのまま山なみを追っていくと、かつて登った山々も見える。
たぶん仙丈ケ岳と甲斐駒ヶ岳だ。
さすが百名山と言われるだけの眺望。
距離があるので泊を必要とする点、躊躇があるが、二日に分けての計画であればきつい山ではない。
今度は、「三条の湯」を経由するルートで登ってみたい。
〇追記
1.アクセス・ルートに関して
帰宅して、改めて深田久弥著「日本百名山 新潮文庫」を読んだ。
雲取山の章である。
それによると
「一番やさしい普通のコース」として紹介されているのは、三峰神社から白岩山を経由するルートだ。
神社までは「ケーブルカーであがって(原文ママ)」と書かれている。
調べてみると、
大輪 ⇔ 三峰山頂間 1.9Km を運行していたのはケーブルカーではなくロープウェイだ。
2007年に廃止となっている。
ただ、1964年に経路変更しているので
開業当初(1939年)は、ケーブルカーだったのかもしれないと思ったが、それはないようだ。
文筆家である氏が誤記することは考えにくいのであるが、
2つの乗り物の名称をごっちゃにして使うことは私自身も往々にしてあるわけで
ここで問題にしようなどという気持ちはさらさらない。
気が付いた、ということにとどめたい。
ちなみに、イギリス英語の「Cable car」はロープウェイを指す言葉だそうだ。
さらに調べてみて、
建設費用や輸送能力の点からすると、ロープウェイが勝(まさ)っていることを知った。
ケーブルカーは、山にレールを敷かねばならない。
ロープウェイが支柱を立てるだけなのに比べれば、建設費用の違いは大きい。
三峰神社は日本書紀より以前から崇められてきた神域だから、
索道建設に当たって大規模に森林を伐採することには反対の声もあっただろう。
そう考えると、ケーブルカー建設案は当初から除外されていたと思われる。
今回お世話になった七ツ石小屋の小屋番さんが
ロープウェイが無くなったことを残念に話していたが、
三峰口駅から雲取山を登るコースについてもアクセスの点であまりよくないらしい。
そして、三峰から登るのが本当だ、とも言っていた。
「本当」とは、どういうことなのか、もう少し話を聞いておけばよかった。
今回は鴨沢から登ったが、そのルートは、
神社と正対して鳥居をくぐって拝殿し、それから山頂へ進むのではなく、
失礼なことに裏側から行ってしまうような、そんな感じだろうか。
2.深田久弥の山行を著作から想像してみる
「三条の湯」を経由するルートで登ってみたい。
そう書いたが、深田久弥も「三条ノ湯」に泊まり、登っている。
同書によると、
翌日は、分岐から「青岩谷の鍾乳洞を見物し」ている。
「見物」とあるから洞内に入ったのだろう。
どんな光景を目にしたのだろうか。
登山地図によると、現在は通行止めとなっていくことはできない。
見物後は、そのまま沢沿いに歩いて「三条ダルミ」に至ったと思われる。
つまり、尾根道(水無尾根)を歩いていないということだ。
「稜線の鞍部に取りついた」という表現から読み取れるのは、
青岩谷を進み、水が涸れた辺りから藪漕ぎしながら急登していった様(さま)だ。
これは結構、大変だったに違いない。
ちなみに、ダルミとは鞍部のことだ。コルともいう。
ほっとした思いでその稜線に出たとき、もう陽が傾き始めていたのだろう、
雲取山の山頂は翌日にと判断したらしく、「山の家」に向かっている。
その道は地図上で薄い破線となっていて、2021年から通行止めとなっている。
「山の家」とは雲取山荘のことだ。
氏が宿泊したときは
「鎌仙人」と言われた初代小屋番の富田冶三郎さんはすでに亡くなっている。
雲取山からは、仙人が「独力で開いた新道」(富田新道)を下っている。
ペンはそこで置いているからこれも想像するしかないが、
尾根道を東に進んで行くと林道に出る。
それから川沿いに2時間近く歩けば日原鍾乳洞だ。そこからバスに乗り帰途についたのだろう。
このルートもオモシロそうだ。
山行を終えた後も、
かようにして深田久弥の歩いたルートを辿ってみるのも楽しい。
今回も、長々と書いてしまった。
最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。



















