行程・コース
天候
晴れ/晴れ/晴れ
登山口へのアクセス
タクシー
この登山記録の行程
鳥裏口(8:35)三伏峠(11:20)烏帽子岳(13:00)前小河内岳(13:55)小河内岳(15:00)大日影山(16:45)鞍部幕営(2525m/5:25)板屋岳(6:00)高山裏小屋(6:45)荒川前岳(10:1030)中岳(10:45)悪沢岳(11:25)鞍部(3045m/12:45)荒川小屋()大聖寺平(15:0025)赤石岳(17:00)大聖寺平(18:00/4:30)広河原(7:00)橋(10:00)釜沢(12:45)
高低図
登山記録
行動記録・感想・メモ
夜行列車とタクシーで苦労するが、予定の時間に豊口山南面の登山口に着く。林道終点の広場は十数台のマイカーで埋まっており、このコースの人気振りが窺われる。塩見岳を目指す人にとって三伏峠まで3時間で行ける事は大きな魅力であり、最近の一大勢力である中高年登山者にも有難い存在になっている事だろう。
3日間で荒川三山と赤石岳登頂を目指す我々にとっては、コースタイム通りに三伏峠へ登り、初日に最低でも大日影山まで歩く事が大前提で、連日10時間行動して南ア核心部の三千m峰4座を踏破して広河原へ下山すると言う男性にとっても楽ではない行程は、従来の塩川からの入山では悪沢岳か赤石岳のどちらか一方を諦めざるを得ない。
駅でタクシーを待っている間にウォーミングアップを済ませた我々は、予約車で先に上がった学生グループを尻目に直ぐに峠目指して出発する。樹林の中は前日の夕立に濡れて湿度が高く、歩き始めると直ぐに汗ばんでくる。山腹の登りを着実に稼いで一本立て(2,100m、9:25)、間もなく尾根に出て北面からの涼しい風で好い気持ちになる。
2本目を立て(2,340m、10:30)て次第に高度を上げるが、峠までは緩い巻道が続いて長く感じる。塩川小屋からの道を合わせてしばらく登ると青い屋根の三伏小屋が姿を現し、思ったより早く峠に着く。小屋の周りでは多くの登山者が休んでおり我々も一息入れたいところだが、未練を振り切って三伏沢小屋へ向かう。
東に向かうと樹林が切れ、お花畑を通ってガレの縁に出て足元が崩れ落ちそうな道を下ると、直ぐに水場への分岐点に着く(11:25)。周辺には気持ちの好い草原が開けてお花畑になっており、峠への長い登りの後の喜びをいっそう大きくする。
ザックを下ろしてありったけの容器を抱えて全員で水汲みに下ると、三伏沢小屋の手前にポリ管で水を引いたドラム缶の水場があり、峠の小屋へはここからポンプアップしている。水を汲んで分岐点へ戻り、ゆっくりと食事を取る(11:45~12:15)。
峠への登りで追い越した家族4人組は水場付近でテントを張るらしい。荒川岳の方から大学生パーティーが大きな荷を背負ってやって来て水場へ下って行き、高年夫婦はストーブに点火して昼食の支度を始める。沢を隔てて塩見岳が正面に大きく聳えており、直ぐ目の前には三伏山が這松の艶やかな緑の山肌を輝かせている。その稜線を登山者のシルエットが歩いて行き、如何にも夏山と言う雰囲気に浸る。
這松に覆われた魅力的な烏帽子岳が望まれ、樹林から抜け出すと岳樺や石楠花の灌木の登りで強い陽射しを受けて汗が滴る。時折吹いてくる伊那谷からの涼風が何とも心地好く、「最高!」、「気持ち好いね」等と感嘆の声を挙げる。
ほぼ1時間おきに烏帽子岳、前小河内岳、小河内岳とピークを踏んで、睡眠不足の入山初日にしては順調過ぎる程のペースで歩く。午後から入道雲が発達して夕立の懸念もあるが、大して悪化するようでもない。
小河内岳の頂上直下の這松のスロープに避難小屋がちょこんと建っており、屋根の三角形が遠くからよく見える。ぼちぼち疲れが出てきており、快適そうな小屋を見て行動を打ち切りたい気持ちになる。中を覗くと傷みが酷く、既に先着パーティーの大型テントが空間を占領してスペースが無い。財津は元気が良く、「当初の予定地まで行こう」と意欲満々で、大日影山の鞍部まで頑張る事にする。
4時の天気図を取るために1人で先行し、P2,623でラジオを聞いている間(15:55~16:35)に3人が追い越して行く。三伏峠から赤石岳往復を目論む単独者も、やがて追い付いて来る。ガスが湧いてやや暗くなってきた中を、途中の快適そうな幕営適地を横目に見ながら3人を追うが、いくら行ってもテントは見当たらないし追い付きもせず、「ヤッホー、ケロヨーン」と呼んでも応えが無い。「一体何処まで行く心算なんだろう。このっ!」と、いよいよ焦って歩く。大日影山付近まで来ると思い掛けず近くから3人のコールが聞こえ、やれやれと思う。
板屋岳との鞍部の格好の草地に3張りのテントを整え、ウィスキーを飲りながら、賑やかに楽しく、満ち足りて炊事の支度をする。20時頃、ガスに包まれて眠りに就く。
薄い霧の中に真っ赤な日の出を迎えるが、朝霧はすぐに晴れて清々しい夏の朝になる。食事を済ますと2ℓ/人の水が残り、安心して出発する。
昨夕の雨と夜間の気温低下により潅木と登山道沿いの夏草にはびっしりと露が着いて合羽を着たい処だが、「直ぐに暑くなるだろう」とスパッツのみで歩き出す。先頭は露払いで大変だが、後続も直ぐにニッカーを膝まで濡らす。とは言え、朝のこの時間帯は生命力に満ちて人を力強くしないではおかない夏山の最良の時でもある。
尾根の上に出ると谷から上がって来る風が爽快で、富士山が早くも朝日に青まんとしている。高山裏小屋からの縦走者に3人、2人と会い、板屋岳を目指す。頂上は縦走路から数m上がった所にあって岳樺に囲まれており、その木の枝に登って朝の澄んだ空気の中に落ち着いて見える赤石岳と悪沢岳を写真に収める。小河内岳の肩には避難小屋が黒い点に見え、その先の塩見岳の肩には大きなケルンが乗っている。
樹林から時々顔を出して西面の谷を覗きながら尾根に従って歩くと、高山裏の小屋に着く。この小屋は南に面した斜面に建ててあり、周囲の林を伐採した跡がお花畑になっている。中を覗くと客も番人も見えず、ラジオが空っぽな音を発てている。ザックを下ろして『水場まで2分』の看板に従って細い道を下って小沢へ降り、周囲が開けたテント場で水筒を満たして帰り、小屋のベンチで一休みしてから歩き出す。鞍部へ下る途中にもテント場が散在しており、全体では相当数の幕営が可能だ。もっとも、それ程の人がここに集中して泊るとは思えないが。
鞍部から荒川岳北西尾根の末端を少し登ると、緩く長い道が多少の登り降りを繰り返して続く。1時間たっぷり歩いて樹林帯を抜け出し、内無沢源流の頂上へ続く斜面の下で一本立てる(2,525m、8:05)。大学生の3人パーティーが大型のアタックザックを背負って降りて来るが、1人は足を痛めて膝が曲がらないようだ。最後の1人が彼の荷物を入れた大きなバッグを肩からぶら下げるようにして歩いて行く。3人の気持ちが通じ合っている気がして微笑む。
標高差600mの這松とガレの斜面を頑張って2ピッチで登ると、遮る物が何も無くて暑い! 後半は、立ち止まって何度も息を継ぎながらの登行となる。振り返ると大日影山付近の複雑な稜線が際立ち、その向こうには中央アルプスが隈なく見渡せる。ここからは以外と遠く、宝剣岳は遥か右手に小さく尖って辛うじて判別出来る程の大きさだ。
稜線に出ると僅かに風があり、シオガマ等の高山植物が咲き乱れる頂稜を緩やかに歩いて、2日目の第一関門である荒川前岳に辿り着く。頂上は広く、穏やかな気分で休憩して食事にする。ポットのお湯で飲むコーヒーが美味い。中岳はほぼ同じ高度で目の前に見えており、暑い思いをした長い登りの後の平穏な尾根歩きを楽しむかのような、余裕のある登山者の姿が目に付く。中岳の向こうに悪沢岳が大きく見えるが、これは結構距離がある。大聖寺平から赤石岳へは砂轢と這松の丸い尾根が長く続いて、たっぷり登り出がありそうだ。
小さいコルにザックを置いて全員で悪沢岳へ向かう。自分はあまり体調が良くなく、「2回目になるから、悪沢行きを止して小屋まで下って休んで居ようか」等と弱気になる時もあったが、ここまで来て登らないのはやはり惜しい気がするし、3人にも悪いように思えて付いて行く。
中岳の東側の肩には小綺麗な小屋が建っており、宿泊者もそれなりに居る。凹地にはまだ雪が残っており、飲料水は雨水をドラム缶に貯めて利用しているようだ。中岳は悪沢へ向かう人や中岳へ登って来る人で賑わっており、悪沢岳への道を悉さに観察することが出来る。財津1人だけが元気で、先に立ってどんどん登って行く。我々3人は、「あまり離されない様に」と、息を切らせて後を追う。
悪沢岳の頂上部は赤茶色の大きな溶岩の魂が散乱した所で、千枚岳の方へも同じ様な道が続いている。その先には、途中で擦れ違った人が「是非行って見なさいよ」と勧めた丸山の対照的になだらかな姿が見下ろされる。真北には塩見岳が大井川西俣を隔てて高く、蝙蝠岳と東俣源流帯、三峰岳がその右側に続き、間ノ岳から南下する尾根は奈良田越を経て転付峠までを確認する事が出来る。
真夏の太陽に焼かれて暑くなり、前岳のコルに戻って砂轢の上に横になると昼寝の誘惑に駆られる(12:45)。しかし、赤石岳登頂と言う第三の関門が残っているので眠気と怠惰に流れそうな気持ちを奮い立たせて起き上がり、荒川小屋へ向かう。
這松の急斜面を下り小尾根を回り込んで高度を下げると目の前一面にお花畑が広がり、ミヤマキンポウゲとハクサンイチゲの黄色と白が斜面を埋める中をジグザグに下って行く。ハクサンチドリやクロユリ、オダマキ等も見る事が出来る。
お花畑が終ると灌木が生えた小屋へのトラバース道となり、その入口の小沢で水を得る。荒川小屋は岳樺の林の中に在り、小屋を取り巻くようにテント場が整備されている。水は小屋から20mの所に豊富に流れており、水筒を満たすべく支えている手が痛くなる程冷たくて美味しい。
ここで全員水筒を満タンにして大聖寺平へ向かう。小屋の上のテント場を横断して目の前の樺の斜面を一登りすると、大聖寺平まで水平な道が続く。3ℓの水ははっきりと肩に重く、先頭の遅いペースにじりじりしながら岩轢を踏み締めて歩く。西寄りの風が吹いて太陽が陰ると肌寒く感じ、長袖が恋しくなる。
1ピッチで鞍部に着き、這松の間の平地をテント場と決めてザックを降ろす。午後になって雲が広がって小赤石岳から先の稜線を包み、手前の丘もガスが巻いたり切れたりと言う状態で「赤石岳はもう好いや」と気力も無いが、川上は今までの弱気発言から一転して行く気満々になる。
3人を送り出し(15:20)、テントを張ってフライやシュラフを這松の上に拡げて乾かす。テントの中で天気図を描いていると陽が当って大汗を掻く。「ボチボチかな」とコーヒーを沸かして待つが降りて来ず、「遅いなあ」と思う頃には丘から先は濃いガスに覆われ、「迎えに行く必要があるかも知れないなあ」と心配すると、18時頃倉品が姿を現わし、続いて2人も降りて来る。
入山日にタクシーを予約したので、「約束の時間までに釜沢の山荘に下山できる様に」と早起きをする。小渋川の渡渉があるので5割増しの7時間と見て、林道歩きの1時間と大聖寺平から広河原までの3時間を加えて今日の行程を11時間と計算する。タクシーは30分は待ってくれるそうだが、間に合わなければ予約金1万円がふいになる。満天の星に気を好くして炊事をし、1時間で出発する。
広河原への分岐は健在だ。釜沢へのバス便が廃止されて20年以上も経過している(タクシーの運転手の話)ので廃道になってしまっているのではないかと心配したが、まだ少しは歩かれている様で、這松帯のガレ道は数か所で崩壊しているものの迷うような所は無い。樹林帯に入ると道はいっそうはっきりして程度も良くなる。百聞洞の上に大沢岳が見える付近で一本立て(2,190m、5:35)、かなり下った樹林の中で2本目を立てて(1,520m、6:25)、平坦になった川原の林の中で各々渡渉用の杖を誂える。
見捨てられて夏草に埋もれた広河原小屋の前を通り、草に隠れた大石の間を用心しながら本岳沢沿いに下ると二俣で、荒川を渡って右岸の川原にザックを下ろす。直近の大雨で川原に堆積した土砂が流されて広い流路が出来ているが、取り残された砂利の段は数mの高さがあり、出水時の凄まじいエネルギーを想像する。寛いで食事を取り、渡渉に備えてゼルプストを着用する(7:00~20)。この間、2パーティー6人が小渋川を下って行く。巻道の方は放置されて崩壊が激しく、通行出来ない様だ。
広い二俣から下って行くと川原の幅は10m前後に狭まり、水勢は強くなる。最初の渡渉点まで下ると先行した4人が裸足で渡っている最中で、「上流を向いて杖を突き、摺り足で川底を探る様に歩くべし」と渡渉の要点を一通り話してから、靴のまま流れに踏み込んで渡る。
水の冷たさは思った程ではない。後の3人も慎重に渡って来る。そのまま川原を歩いて次の渡渉点を探して下る。膝位までの渡渉は如何と言う事もないが、腰の探さになると危険を感じ、補助ザイルを張り渡してカラビナを通して渡る。しかし、ザイルを使用すると時間が掛かるので極力使わないようにし、先頭で渡ってみて多少の不安がある場合には流れの強い所に立って手を貸す。2人(又は3人)が渡る間水に浸かっていると徐々に冷たさが身に沁みて痛く感じる。
倉品が流芯でバランスを崩して流されるが、ザイルを付けていて事無きを得る。足を捕られて体が浮いてなかなか川底に立つ事が出来ず、暫く流れに翻弄される。財津と2人で両端を確保しているので慌てる必要は無いが、細いザイルが肩に食い込んで痛くて閉口する。ラストの財津は、杖が折れて危うく水の中に膝を着きそうになってハラハラする。
谷の底までは陽射しが届かず、渡渉を繰り返しているうちにすっかり体が冷えてしまう。休みたそうな素振りを無視してどんどん歩き、やっと陽当りを見付けて一本立てる(1,100m、9:00~20)。「以外と順調に下っている様だ」と思うが、まだ油断は出来ない。食事をして力を補給する。再び渡渉に挑戦しながら下降を続ける。瀞状の所といえども、お腹まで水に入るのは勇気が要る。左岸に生えた木に流木が引っ掛かっており、「川原から2mもある!」と目を見張る。流れを横断している大木の上を渡っていた財津がバランスを崩して水の中に飛び降り、転んだ際に足を打って緊張するが、大した事はない様だ。
下るに従って川幅が広くなり、水の勢いも落ちて何処でも渡れる様になる。気が付くと川原の大岩も少なくなっている。暑さも加わってきたので、水の冷たさを楽しんで各々鼻歌混じりで好きな所を歩いて下降を続ける。
20回程の渡渉を繰り返して下ると、前方に赤いアーチ橋が姿を見せる。「まだ早過ぎるなあ」と思いながら進むと砂防堰堤が現れ、小渋ノ湯まで下った事を知る。「早かったね」、「もっと渡渉をしたいねえ」と言いながらも、ほっとして橋の下で荷を下ろす。
素足になり、素裸になって水に浸かると冷たさが快感をもたらす。汗を洗い落して短パンに着替え、ザックの中身をかんかん照りの川原にぶち撒けて乾かす。女性陣も上流で水浴びをして夏の沢遊びの快味を楽しんでいる。たっぷり休んで気怠るくなる頃、「ぼちぼち行くか」と腰を上げる(10:00~11:45)。
財津はマイペースで歩く事にして、小川は先を急ぐ。暑い林道を100m登り返し、ひたすら釜沢の荒川荘を目指す。湯折レ沢の300m程上流で奥の方へ伸びる林道が右へ派生しているが、ここには車止めのゲートが在る。
荒川荘着いて「直ぐに迎えに来てくれ」とタクシー会社に電話する。荒川荘は落着いた控え目な雰囲気の民宿で、庭の流しには冷たい水が豊富に流れている。倉品に続いて2人が姿を現す。
タクシーは50分程で登って来る。駅への途中、勧められて無人販売所で新鮮な李を買う。








