山でも見えた! 紫金山・アトラス彗星

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13日、新潟県魚沼市自然科学館付近で撮影(写真=菊池哲男)

13日、新潟県魚沼市自然科学館付近で撮影(写真=菊池哲男、以下同)

昨年発見されたばかりの彗星「紫金山・アトラス彗星」。地球に最接近する10月に観察のチャンスが訪れるということで、山小屋やテント場で夜空を見上げた人も多かったのではないだろうか。各地の山で観察できたという報告がSNSをにぎわせたが、タイミングが合わず見に行けなかったという人、雲や霧に阻まれて見えなかった人もいたことだろう。写真家の菊池哲男さんから届いた写真を紹介しよう。

北アルプス より天の川と剱・立山連峰(右半分)とのランデブー(写真=菊池哲男)

北アルプスより天の川と剱・立山連峰(右半分)とのランデブー

「13日より数度にわたって紫金山・アトラス彗星を撮影してきました。20日は長野県小川村展望台で、鹿島槍ヶ岳に沈む彗星を、21日には北アルプス爺ヶ岳南峰で天の川と剱・立山連峰とのランデブーを撮影しました。少し暗くなったものの、だいぶ高度も上がって尾が20度ほど伸びてしっかり見えました。目視はそろそろ限界に近づいていますが、双眼鏡や写真撮影ならもうしばらく楽しめそうです」(菊池さん)

11日の低緯度オーロラや17日のスーパームーンなど、10月に天体ショーの魅力に開眼した人も多いはず。空気が澄む秋から冬は星空の観察に適した季節。泊まりがけで山に登って、夜空を見上げてみてはいかがだろうか。

北長野県小川村展望台より雲表の鹿島槍ヶ岳(右)と爺ヶ岳に舞う紫金山・アトラス彗星(写真=菊池哲男)

長野県小川村展望台より雲表の鹿島槍ヶ岳(右)と爺ヶ岳に舞う紫金山・アトラス彗星

いて座からはくちょう座にかかる天の川とのツーショット(写真=菊池哲男)

いて座からはくちょう座にかかる天の川とのツーショット

この記事に登場する山

富山県 長野県 / 飛騨山脈北部

爺ヶ岳 標高 2,670m

後立山連峰の南部にあり、3つのピークからなる。北から一直線に南下してきた後立山の主稜線は、この爺ヶ岳で西方へ大きく湾曲し、越中側にすり鉢を半分に切ったような、ハイマツの見事な大斜面をつくっている。 一方、東面には大きな白沢天狗尾根を張り出している。この天狗尾根や扇沢にはかつて登山道があったが、現在は廃道となり、種池山荘の柏原正泰氏が拓いた柏原新道がある。新道は扇沢出合から爺ヶ岳南稜をたどって種池に登るもの(扇沢出合から所要3時間30分)で、2つの廃道の欠点を取り除いた、後立山連峰の主稜線へ登るものとしては、最も容易なコースである。 爺ヶ岳の山名は、南峰と中央峰との間、白沢の上部に、残雪期に種子蒔き爺さんの雪形が現れることから付けられたもので、爺さんが蒔く種を漬ける種池だ、というおまけまでついている。種池は主稜上の池塘で、そばには種池山荘があり、幕営地にもなっている。この西方にも棒小屋沢乗越の池がある。種池から南峰にかけて、またその南斜面も広大なお花畑である。 積雪期の爺ヶ岳東面は、ヒマラヤひだが発達して壮観で、いくつかのバリエーション・ルートが拓かれている。

富山県 長野県 / 飛騨山脈北部

鹿島槍ヶ岳 標高 2,889m

 この山は、後立山連峰の中央部に位置し、名実ともに後立山の盟主という存在である。  端麗と表現される南北2つの峰と、それを結ぶ吊尾根がつくるこの山の姿は、どこから眺めても美しい。この山に魅せられた岳人たちは、同時にこの山が内懐に秘める荒々しさのとりこにもなったのである。それは山麓からではうかがい知れない、北壁や荒沢奥壁などのバリエーション・ルートである。これらのルートの開拓は大正末期から昭和の初期に、学校山岳部を中心に華々しく行われ、それは日本におけるアルピニズムの歴史に、貴重な一頁を記しているのである。  鹿島槍ヶ岳への登路は、縦走路のほかには、東面・信州側から短くて急峻な赤岩尾根1本のみである(鹿島から所要9時間)。この尾根の途中の高千穂平は、鹿島槍ヶ岳のよき展望台ともなっているが、そこから眺める大冷(おおつべた)沢の源頭には、残雪期に獅子やツルの雪形が現れる。そこから昔は、山名をシシ岳とかツル岳、あるいは双耳峰からの連想で背比べ岳などとも呼ばれていた。現在の鹿島槍ヶ岳の山名は鹿島集落の背後にある槍ヶ岳といった意味である。山体は信州側は急崖、西面・越中側はなだらかな非対称山稜の典型である。  西面には、支稜の牛首尾根を挟んで東谷と棒小屋(ぼうごや)沢が、西面の水を集めて黒部川に注いでいる。この棒小屋沢と、剱岳東面を流下する剱沢とが、黒部峡谷に対して対向から合流する、有名な黒部の十字峡を形成している。  東面を落ちる白岳、大冷の各沢は、源頭部にバリエーション・ルートを提供している。その1つ、カクネ里はU字谷をなし、平家の落武者が隠れ住んだという(隠(かく)れ里(さと))伝説をもつ、ロマンを秘めた圏谷である。もちろんここに人が隠れ住むというのは不可能だが……。  南峰から主稜を南へ下ると、肩といった存在の布引岳(残雪が布を敷いたように見えるのでこの名がある)で、付近には船窪地形が散見される。その南の小平地には冷(つべた)池があり、冷池山荘が建っている。また吊尾根の雪田付近から北峰を巻いて北へ下ると、両側の谷からの浸食によって、主稜線に深いⅤ字形の切れ込みの入った八峰(はちみね)のキレットに出る。その北側にキレット小屋がある。  登山口の鹿島集落は昔から戸数11戸しかなく、集落の人々は平家の落武者の子孫といわれている。ここで民宿を営んでいる狩野氏宅には、近代登山以降の鹿島槍ヶ岳の登高記念帳が保存され、それがそのまま鹿島槍ヶ岳の登山史ともなっている。

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