歴史を感じる中山道ハイク【続編】木曽・妻籠宿から馬籠峠を越えて、馬籠宿へ

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江戸時代に整備された五街道の一つ、中山道(なかせんどう)。江戸の日本橋と京都の三条大橋を内陸経由で結ぶ街道で、「中仙道」とも記されます。今回は、前回紹介した奈良井宿と並んで江戸時代の面影が色濃く残る、木曽路の妻籠宿(つまごじゅく)から馬籠(まごめ)峠を越えて、馬籠宿へと下るルートをご紹介しましょう。

写真・文=原 誠一

男滝・女滝から馬籠宿へ

ひと息ついたあと階段を上がり、しばらくは車道歩きとなります。車の通行に注意しながら進みましょう。やがて橋が出てくるので、渡って山道へと入ります。しばらくして再び車道に出て、向かいにある石標から石畳の道を進みます。道中にある樹齢300年のサワラの大木を横目にさらに進んでいきます。

「中山道 一石栃口」と刻まれた石標の脇に石畳の道が続く
サワラの大木

植林帯を抜けて周囲が開けてくれば、一石栃(いちこくとち)の番所跡に到着です。江戸の時期、良質な木曽の木材を守るために停止木(ちょうじぼく)制度が設けられ、特に利用価値の高い木曽五木(ヒノキ、サワラ、アスナロ、コウヤマキ、ネズコ)の伐採が禁止されました。貴重な木材が盗伐されないように、この一石栃番所で取り締まりが行なわれていたのです。番所跡のすぐ先には一石栃立場茶屋があるので、立ち寄っていきましょう。

一石栃番所跡
一石栃立場茶屋

再び木々に囲まれた道に入り、緩やかに登って進んでいけば、馬籠峠に飛び出します。峠には茶屋があるので、ここでもひと息入れることができます。振り返ると、日本三百名山の南木曽(なぎそ)岳が眺められます。

馬籠峠の標識の奥に、南木曽岳が望める

馬籠峠は長野県と岐阜県の県境となっており、ここより南は馬籠宿も含めて岐阜県中津川市になります。馬籠宿があった場所はかつては長野県山口村でしたが、2005年の市町村大合併の際に長野県から岐阜県に越県合併し、中津川市に編入合併しました。そうした変遷に思いをはせるのも、一興かもしれません。

馬籠峠を後にして、車道から細い旧道に入り、集落へと下っていきます。11月には、各所で紅葉の彩りが楽しめます。

集落に入ってすぐの熊野神社の鳥居と紅葉
十返舎一九の歌碑が立つ休憩所
紅葉越しの水車。癒される風景です

車道を交差しながら南下していきます。車道から離れて石畳の道を進み石段を上がると、視界が開けてきます。ようやく馬籠集落に到着です。展望台からは、日本百名山の恵那山と馬籠宿方面の展望が広がり、解放感と合わせて充実感も感じられることでしょう。

展望台からは恵那山が一望できます

馬籠宿の中心部は観光客でにぎわい、これまで歩いてきた静かな中山道と比べると別世界のようです。なだらかな傾斜地に延びる道に沿って土産店や飲食店が点在しており、古きよき江戸の雰囲気が漂います。『夜明け前』で知られる文豪・島崎藤村の生家跡に藤村記念館もあるので、時間があればゆっくり散策していきましょう。

馬籠宿の町並み
藤村記念館の前には木曽五木が植えられています

中山道は、外国人ハイカーがたくさん訪れ、にぎやかになってきました。また、妻籠宿では毎年11月23日の勤労感謝の日には、「文化文政風俗絵巻之行列」という、江戸時代の中山道を再現したお祭りが行なわれます。ぜひこの機会に、妻籠宿や馬籠宿、そしてこれらをつなぐ中山道ハイクを歩いてみてはいかがでしょうか。

MAP&DATA

中山道地図

コースタイム:妻籠宿~男滝・女滝入口~馬籠峠~馬籠宿 :約3時間15分

妻籠宿の位置を確認する

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プロフィール

原 誠一(はら・せいいち)

信州阿智村在住の登山ガイド。中央アルプス富士見台高原の萬岳(ばんがく)荘の管理人。ガイド範囲は、日本アルプス全域、熊野古道や旧東山道、中山道などの古道歩きなど。

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