『日本百名山』と『日本200名山』はいかにして書かれたのか?【山と溪谷2024年1月号特集より】

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百名山も二百名山も元々は本として出版され、世に広まったものである。それぞれの本はなぜ書かれ、書き手はどんな思いを込めたのか。それを知れば、百名山・二百名山登山はより奥深くなる。『山と溪谷』2024年1月号の特集「日本百名山と日本二百名山」の解説記事を抜粋して転載する。

文=谷山宏典、写真=大童鉄平、写真提供=深田森太郎

深田久弥『日本百名山』。2000字に凝縮された山の「品格」「歴史」「個性」

『日本百名山』の選定基準とは?

「私は新しく日本の百名山を選んでみたい」――『別冊文藝春秋』(62号・1958年2月発行)に掲載された「混まない名山 品格と孤独に憧れて」の中で深田久弥が書いたこの一文が、『日本百名山』誕生のきっかけだった。当時、朋文堂(山岳図書の専門出版社)の月刊誌『山と高原』の編集者だった大森久雄は、深田の文章を読み、百名山の執筆を依頼。連載は59年から4年2カ月続き、連載終了後の64年7月には単行本が新潮社から刊行された。

大森はなぜ、深田に百名山を書いてもらおうと思ったのか。その動機について、著書にこう書いている。

「山の雑誌が、当時はまだ盛況をきわめていた体育会系・山岳部系の山の世界とはちがう、情緒と思索の世界を志向するものでありたいと考えていた(中略)書き手のもっている文学性と豊かな山の経験は、わたしの欲しいものそのものであった」(『山の旅 本の旅』平凡社)

なお、深田の百名山選定の試みは戦前にも行なわれており、40年に雑誌『山小屋』(朋文堂刊)で連載をしていた。このときは20座まで掲載されたが、途中で頓挫している。しかし、「山に関しては執念深い」(『日本百名山』「後記」新潮文庫)という深田は諦めておらず、その思いが戦後の百名山執筆へとつながっていったのだ。

数多の山々から百名山を選ぶにあたって、深田は「品格」「歴史」「個性」の3つを基準とした。品格とは「厳しさか強さや美しさか、何か人を打ってくるもの」(同)があること、歴史とは神社や祠をまつり「昔から人間と深いかかわりを持った山」(同)であること、個性とは「その山だけが具えている独自のもの」(同)があることだという。また、標高1500m以上という付加的条件も設けた。「ある程度の高さがなくては、私の指す山のカテゴリーには入らない」(同)と考えたためだ(ただし、筑波山と開聞岳は例外として百名山に選んでいる)。

自分が登っているかも重視し、登っていない山は右の条件を満たしていても選外とした。その理由を「登ってみもしないで選定するのは、入社試験に履歴書だけで採否を決定するようなもので、私の好まないところであった」(同)と書いている。

豊かな山の経験を文学として結実

選定した100座の山の歴史や文化、自分が登ったときの体験を、深田は400字詰原稿用紙5枚にまとめていった。その文章は端的かつ含蓄のある言葉で表現され、深田自身の山への思想や信条も随所にちりばめられていた。「層々たる岩に鎧われて、その豪宕、峻烈、高邁の風格」(剣岳)、「富士山の大通俗に対して、こちらは哲人的である」(北岳)などの一節を読めば、その山の存在感が鮮烈に浮かび上がってくるだろう。

1964年に新潮社から刊行された『日本百名山』の「後記」
1964年に新潮社から刊行された『日本百名山』の「後記」

刊行後、作品への評価は文学界から起こった。作家の林房雄は新聞の文芸時評で「正確簡潔、無償の歓喜にみちた文章で百名山を描いた」と絶賛。読売文学賞を受賞した際には、選考委員の小林秀雄が「文章の秀逸」と評している。大森久雄は著書で「『日本百名山』によって、日本の山が新しい顔を見せてくれた」「単なる山の羅列的記録ではなく、深田久弥の山歩きの幅と奥行きが独自の世界をつくり、文学として結実したものである」と書いている。

『日本百名山』を語るとき、多くの人の関心は目次(山名一覧)に向きがちである。しかし、百名山をめざすのであれば、深田の文章も味わってほしい。なぜなら、それぞれの山について書かれたわずか2000字の中に、文学者・深田久弥の真骨頂が凝縮されているからだ。

深田久弥

深田久弥

ふかたきゅうや/1903年-1971年。旧制高校時代に「新思潮」同人、大学在学中に改造社の編集部員となる。1933年小林秀雄らと「文学界」の創刊に加わる。戦後は小説から遠ざかり、ヒマラヤ研究や山岳紀行で活躍した。『わが愛する山々』(左)には山の紀行文が収録され、『日本百名山』の背景にどんな山行があったかを知ることができる。『ヒマラヤの高峰』(右)はヒマラヤ研究者でもあった深田の不朽の名著。どちらも深田の文章の魅力を堪能できる。

『わが愛する山々』(左)、『ヒマラヤの高峰』(右)
『わが愛する山々』(左)には山の紀行文が収録され、『日本百名山』の背景にどんな山行があったかを知ることができる。『ヒマラヤの高峰』(右)はヒマラヤ研究者でもあった深田の不朽の名著。どちらも深田の文章の魅力を堪能できる。
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プロフィール

山と溪谷編集部

『山と溪谷』2024年6月号の特集は「アルプス名ルート100」。日本アルプスの名ルートを100本、編集部が厳選しました。アルプスビギナーがまずはめざしたい名ルートから、ベテランにおすすめしたい通好みのルートまでテーマ別に紹介します。北・南・中央アルプスの綴じ込みマップ付き。

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雑誌『山と溪谷』特集より

1930年創刊の登山雑誌『山と溪谷』の最新号から、秀逸な特集記事を抜粋してお届けします。

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