息もできないほどの風雨。決死の脱出行の行方は・・・『41人の嵐』③

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息ができない、烈風の稜線

伊那荒倉岳を過ぎる。倒木が多い。裂け口の生々しい倒木がいたるところに倒れている。大木が道をふさぐ。吉田君は、三重短大パーティーを気遣いながらうまく通り抜ける。新潟大の佐久間さん、安達さんも淡々と通り抜ける。順調なペースで進んで行った。

「イートゥイートゥイートゥ」

声はとぎれることなく続き、みんなを励ます。

いよいよ樹林帯を抜け出ることになる。ここから小仙丈ヶ岳までの間が勝負どころである。

樹林帯を抜け出るともろに風、雨を受ける。急激に休温が奪われるのは確実だ。全員ずぶ濡れである。ほとんど食べていない。精神的にもだいぶ参っている。ショックの連続の三日間を過ごしてきているのだ。そして、ほとんど休憩をとらずに歩き続けているのだ。何か事故が起きるとすれば、その稜線地帯で起きるであろう。

みんなもその点はよく承知している。いっそう身を引きしめて風雨と対決しようとしている。

「みんなー、気を抜くなー。緊張しろー。気をつけろー」「ガンバレよー」

あちこちから声がかかる。

「ファイトゥ、ファイトゥ、ファイトゥ」

愛知学院大のかけ声も一段と強くなる。

ハイマツ帯に出た。稜線上は風雨が吹きまくっていた。息ができない。突風にあおられ、よろめく者がでてきている。

「ふんばれー、ふんばれ」

みんなはよろよろしながらも一歩一歩稜線を登ってゆく。靴下だけで歩いている松岡さんも必死で足場を求めている。よつんばいになって登っている人もいる。風は衰えをみせず吹きまくる。

「ファイトゥ、ファイトゥ、ファイトゥ」
「ガンバ、ガンバア」

三重短大もなるべく声を出そうとしている。

「ファイト、ファイト、ファイト」

弱々しい声が響く。

突風は長野県側から吹いてくる。ルートも稜線の西側についている。風をまともに受けてしまっている。だが、そこを通過しなければならない。

「気をつけろー。吹き飛ばされるなあー」
「ファイトウ、ファイトウ、ファイトウ」
「ガンバ、ガンバー」

小屋番は祈った。

「必死になれ、必死になれ。緊張を持続してくれ。もうだめだと思うな。昔の人たちだってこういう目に遭ってきている。それを乗り越えてきている。われらにだってできぬことはない。山での諸先輩、近ごろでも松田隊員(ミニヤコンカから奇跡的な生還を果たした松田宏也)の例もある。あきらめるなよ。緊張を持続しろよ。ガンバレよ。ナチスに追われるユダヤ人しかり、満洲からの引き揚げ者しかりだ。必死になれ、必死になれ、われらもこれくらいやってのけようぞ。必死になれ、必死になれ」

風は容赦なく吹きつけてくる。よろめきながら二十五人の列は一歩一歩登っていく。緊張の極地であった。

道は、両側をさえぎるものは何もない地帯に来た。風はもろに吹き上げてくる。顔をどちらに向けても突風が当たる。ガスが顔をめがけて吹きつけてくる。息ができない瞬間がある。ほとんどの者がよろける。はいつくばっている者もいる。

「ガンバ、ガンバ」
「ふんばれー」
「ファイトウ、ファイトウ」

愛知学院大のかけ声は強風にあおられても途切れることがない。

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プロフィール

桂木 優(かつらぎ・ゆう)

1950年福島県生まれ。1971年頃から登山を始める。1978年から広河原ロッジで働き、冬は八方尾根スキー場に入る。1980年、両俣小屋の小屋番になり、1983年から管理人になり現在に至る。本名 星美知子。

41人の嵐 台風10号と両俣小屋全登山者生還の一記録

1982年8月1日、南アルプスの両俣小屋を襲った台風10号。この日、山小屋には41人の登山者がいた。濁流が押し寄せる山小屋から急斜面を這い登り、風雨の中で一夜を過ごしたものの、一行にはさらなる試練が襲いかかる。合宿中の大学生たちを守るため、小屋番はリーダーとして何を決断し、実行したのか。幻の名著として知られる『41人の嵐』から、決死の脱出行を紹介します。

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