息もできないほどの風雨。決死の脱出行の行方は・・・『41人の嵐』③

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女の子って強いなあ

ルートは東側に入った。それでも悪戦苦闘は続く。三重短大の一人がとうとう飛ばされてずり落ちた。吉田君、田中さん、轡田さんがかけ寄って彼女をつかむ。彼女の荷を同僚が背負う。

「大丈夫でーす。ちょっとずっただけでーす」

吉田君がみんなに報告する。

田中さんと轡田さんが三重短大パーティーの中に分散して入り、彼女たちを励ます。

「ガンバレ、ガンバレ、ガンバレ、ガンバレ」

最後尾の小屋番のところまで二人の必死の声が流れてくる。三重短大も必死でこらえる。

「ファイトウ、ファイトウ、ファイトウ」

強風にあおられ、雨に打たれながらも確実に一歩一歩進む。

天気がよければ一番見晴らしのよい場所が、今はかえって最悪の仕打ちをしてくる。愛知学院大と小屋番は、声の出しっ放しであった。のどがひきつって声もひっかかりがちになる。それでも声を出さずにはいられない状況である。

「ファイトウ、ファイトウ、ファイトウ」
「ガンバ、ガンバー」

東側ルートに入ってから、風当たりは次第に弱くなってきていた。三重短大の女の子がまた一人倒れた。吉田君から「三重短のザックを持ってくれますかー」と声がかかる。新潟大の入野君と青山君が急いで前に行った。吉田君と田中さんで女の子の手足をマッサージしている。ザックマヒで手の色が変わっていたのだった。

「こんなになるまでなんで黙っていたんだよ」。吉田君が言う。

「みんな頑張っているのに私だけ弱音を吐けない」。彼女は弱々しく答えた。

「女の子って強いなあ。俺だったらとても耐えられないよ」

マッサージはしばらく続いた。

あまり立ち止まってもいられない。凍てつくような寒さが襲ってくる。雨は小降りになってきたが、それでもまだ降っている。おまけに稜線帯ということで風が吹きつけてくる。出発だった。彼女の荷物は青山君が背負って新潟大パーティーに戻って来た。

(書籍『ヤマケイ文庫 41人の嵐 台風10号と
両俣小屋全登山者生還の一記録』から抜粋)

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桂木 優
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プロフィール

桂木 優(かつらぎ・ゆう)

1950年福島県生まれ。1971年頃から登山を始める。1978年から広河原ロッジで働き、冬は八方尾根スキー場に入る。1980年、両俣小屋の小屋番になり、1983年から管理人になり現在に至る。本名 星美知子。

41人の嵐 台風10号と両俣小屋全登山者生還の一記録

1982年8月1日、南アルプスの両俣小屋を襲った台風10号。この日、山小屋には41人の登山者がいた。濁流が押し寄せる山小屋から急斜面を這い登り、風雨の中で一夜を過ごしたものの、一行にはさらなる試練が襲いかかる。合宿中の大学生たちを守るため、小屋番はリーダーとして何を決断し、実行したのか。幻の名著として知られる『41人の嵐』から、決死の脱出行を紹介します。

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