ニホンオオカミはどこへ消えたのか? イヌの来た道、ニホンオオカミがたどる道【後編】

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絶滅したとされる一方で、目撃情報が後を経たないニホンオオカミ。それらは本当にオオカミなのか、そもそもニホンオオカミとはなんなのか?オオカミライターは取材を進めるうちに、「犬」や「ヤマイヌ」、「ニホンオオカミ」を巡る謎に突き当たった。

文・写真=宗像 充

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「オオカミを見た」はイヌとの見間違い?

現代の日本犬には2〜4%と高い割合で、ニホンオオカミのゲノムが引き継がれている。その割合は現生のイヌのなかでも高割合だ。そしてイヌに一番近いオオカミはニホンオオカミで、それぞれの先祖は共通の先祖から分岐した兄弟関係だということがわかってきた。

現在においても「オオカミでは」とイヌ科動物の目撃情報や写真が度々国内で話題になる。アカデミズムでは、確実なニホンオオカミの生息情報は1905年に東吉野村で捕獲され、大英博物館に送られた個体が最後なので、以後120年の間、いるかいないかの論争が続いている。しかし日本犬がニホンオオカミの性質を強く受け継いでいるなら、時々報告される情報は、実のところ文字通りイヌとの見間違いかもしれない。

「DNA調査の結果からは、イヌとニホンオオカミの交雑は過去1回だけという結果が出ています。人為的じゃないと交雑個体は維持できません。そして交雑個体は人の手に負えない(ほど狂暴)か、オオカミの中でも仲間外れにされる。結果生き残れない」

イヌとニホンオオカミのDNA研究を担った総合研究大学院大学の寺井洋平さん(准教授、進化生物学)はそう推測する。オオカミ以外に「ヤマイヌ」もいたのではという説も根強い。

「昔の人はイヌと野犬だけを見ていたのでは。ニホンオオカミは用心深くて人前に出てこなかった。そうすると『ヤマイヌ』と呼ばれていた動物はほとんど野犬では」(寺井さん)

国立科学博物館で常設展示しているニホンオオカミ
国立科学博物館で常設展示しているニホンオオカミ。現在国内で気軽に見ることができる唯一の剥製となっている

ニホンオオカミとはなにか?

では「ニホンオオカミとはなにか」。

この問いは過去繰り返されてきた。というのも、学術研究では生息情報もまれな状況で、研究対象を特定することがまず求められたからだ。

分類学では、ある動物を特定する際、基準となるタイプ標本が指定され、それに該当する特徴をもつ動物を、たとえばニホンザルならニホンザルと呼ぶことになる。ニホンオオカミの場合は、シーボルトが入手してオランダのライデンの自然史博物館(現ライデンナチュラリス生物多様性センター)に送ったものが、それに該当する。

ヘルマン・シュレーゲルが剥製をもとに描いたとされる、シーボルトがライデンに送った「ヤマイヌ」の絵。『日本動物誌』(京都大学理学研究科所蔵)を改変
ヘルマン・シュレーゲルが剥製をもとに描いたとされる、シーボルトがライデンに送った「ヤマイヌ」の絵。『日本動物誌』(京都大学理学研究科所蔵)を改変

ところがこれには3個体の動物が含まれ、しかもそのうち1つはかねてからイヌと鑑定されてきた。山と溪谷オンラインでも昨年国立科学博物館の収蔵庫に保管されていた剥製が中学生の小森日菜子さんの手で「再発見」された顛末を記事にした。鑑定が可能となるのは、3個体のうち、現在剥製にされた個体をもとに特徴を拾い出せるからだ。

小森日菜子さんが国立科学博物館の収蔵庫で「再発見」したニホンオオカミの剥製
小森日菜子さんが国立科学博物館の収蔵庫で「再発見」したニホンオオカミの剥製

ところが、寺井さんたちの近年のDNA調査では、剥製として保管されている個体はイヌと「ニホンオオカミ」とのハイブリッドとされている。倒錯した話なのだけど、共通する特徴から「ニホンオオカミ」とされた頭骨等のDNA上の特徴に、タイプ標本は該当しなかったのだ。

更新世オオカミとニホンオオカミの謎

ニホンオオカミの成立にかかわるDNA研究の結果も混乱含みだ。

それは、ニホンオオカミは3万5000年前の日本の更新世オオカミと大陸のオオカミの双方から遺伝的寄与を受けて成立したというものだ。国立科学博物館も加わり、寺井さんたちの研究結果と前後して公表されたこの研究結果は、ニホンオオカミは複数の系統の交雑によって成立したという。

1万年前に終わる更新世(氷河時代)に、日本では世界的に見ても最大級のオオカミ頭骨が見つかっている。一方、以後の完新世にはオオカミの仲間の中でも小型のニホンオオカミの頭骨が見られるようになっている。まるで2つのオオカミが入れ替わっているかのように見える。ニホンオオカミは更新世のオオカミが小型化(島嶼化)したもの(大陸に広く見られるオオカミの亜種=同種)か、それとも独立した系統(別種=独立種)なのか。

「2つの説のどちらでもなかった。古い系統が新しい系統に完全に置き換わるのではなく、ニホンオオカミは多分日本列島内で小さいのと大きいのが交雑してできた」

研究にあたった瀬川高弘さん(山梨大学講師)は振り返る。大陸から複数回にわたっての移動があり、ニホンオオカミは複数のオオカミ系統の交雑によって成立したというのだ。

栃木県産更新世オオカミの頭骨(国立歴史民俗博物館)
瀬川さんたちのグループが調査対象とした栃木県産更新世オオカミの頭骨(国立歴史民俗博物館)
瀬川高弘さん
瀬川高弘さん

一方イヌのゲノムとの比較も行なった寺井さんは、「更新世のオオカミとはニホンオオカミは違う系統で、ニホンオオカミ内で由来の違う別系統のものがあったとは認められなかった」という。なにしろ「ライデンのものしか交雑個体は見ていない。交雑はほとんどしていないという結果しか出ない」という。そうなると更新世の巨大オオカミは絶滅したことになる。

更新世の巨大オオカミの時代にはニホンオオカミの頭骨が発見されないし、両者の年代にブランクもある。「そこで大きさが変わった。ブランクはしょうがない」と瀬川さんは言う。そして「イヌの起源は東アジアと寺井さんたちは言うけど、そうするとイヌの先祖が日本列島に生まれることになるはずでは」と瀬川さんも疑問符を付ける。

「ライデンの剥製にしても、博物学者(シーボルト)がたまたま入手して持って行くとかあるでしょうか」

この点については「なんであんなのがいたのかわからない」と寺井さんも同意する。

更新世巨大オオカミと縄文犬の復元模型(写真提供=茂原信生)
更新世巨大オオカミと縄文犬の復元模型(写真提供=茂原信生)

日本のイヌの来た道

「イヌの起源も正直まだわからないですよ」と瀬川さんは言う。

DNA研究は分類学に比べればデータのあいまいさは少ないのかもしれないけど、学問としての蓄積は少ない。相互に矛盾した解釈が生まれる場合もあり、そのため自説を維持するためにさらに立証を重ねる必要もある。

それでも寺井さんたちの研究結果からは、「イヌの中で一番ニホンオオカミに似ているのが縄文犬」なのはわかり、アジアで一番古いイヌの系統はその後縄文時代を通じて列島内に広まり特徴に変化がない。これは人の手を介さなければ無理だっただろう。

その後弥生時代には海外からやってきたイヌと縄文犬は混血していく。イヌの先祖がニホンオオカミの先祖と別れた後、イヌはさらに東西の系統に別れ、ニホンオオカミと交雑した東ユーラシアのイヌと違って西ユーラシアの系統はその痕跡をとどめていない。ところがシルクロードを通じて早くから西ユーラシアの系統のイヌも日本に入り込んでいる。耳が垂れた西洋のイヌの系統はすでに江戸時代の末にも見られる。

「ニホンオオカミなしではイヌの先祖はわからなかった」(寺井さん)

ニホンオオカミが人々の前から姿を消していく過程でイヌと交雑し、イヌの中にニホンオオカミの性質が溶け込んだという説を、過去博物学者たちが唱えたことがある。差し尾やスミレ腺の存在、楕円形の足裏などは、ぼくの暮らす山深い大鹿村のイヌの特徴でもたびたび見られる。

日本の在来犬の中にニホンオオカミの特徴が見られるのは、その血を強く引いているからだとは言えそうだ。しかしそれがどのような経過をたどったのかというストーリーは一つに定まっていない。

「オオカミを見た」との目撃情報に「イヌとの見間違い」は多そうだ。しかしニホンオオカミの存在抜きに、それら情報が途切れることなく届き続けるだろうか。すべてが見間違いとは、いよいよ誰も言えそうにない。

大分県日田市で撮影されたイヌ科動物の写真(撮影=河津聖駒)
「ニホンオオカミの特徴がある」と筆者のもとに送られてきた大分県日田市で撮影されたイヌ科動物の写真(撮影=河津聖駒)。寺井さんに毛のDNA調査をしてもらったところイヌとされた

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プロフィール

宗像 充(むなかた・みつる)

むなかた・みつる/ライター。1975年生まれ。高校、大学と山岳部で、沢登りから冬季クライミングまで国内各地の山を登る。登山雑誌で南アルプスを通るリニア中央新幹線の取材で訪問したのがきっかけで、縁あって長野県大鹿村に移住。田んぼをしながら執筆活動を続ける。近著に『ニホンカワウソは生きている』『絶滅してない! ぼくがまぼろしの動物を探す理由』(いずれも旬報社)、『共同親権』(社会評論社)などがある。

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