大雪山の幻の花? ガンコウランの秘密と、この高山植物に依存するエゾナキウサギとカラフトルリシジミの物語
文・写真=昆野安彦
ガンコウランを漢字で書くと、岩高蘭となる。「高山の岩場に咲く蘭」という意味だそうだが、この花のことをよく知らない人が初めてこの漢字名を見たら、きっと誰もがランの仲間と思うだろう。
ガンコウランの分類
このガンコウラン、じつはラン科ではなく、ツツジ科の植物だ。わが国では本州中部以北と北海道に分布する高山植物だが、平均気温の低い北海道の道東では平野部にも自生地があるそうだ。
私がよく訪れる大雪山では稜線の岩場などで見られる高山植物だ。長さ5mmほどの細い葉が密生した茎が地表面をマット状に覆っているが、遠目に見て岩場に緑色がある場合、このガンコウランの群落であることが多い。
いたって地味な植物だが、後述するように、その枝葉がエゾナキウサギの重要な食料となること、カラフトルリシジミという大雪山の高山蝶の食樹であることなど、大雪山の生態系のなかでは、なかなかあなどれない、重要な地位を占めている。
エゾナキウサギ
秋になると、ガンコウランは英名ではクロウベリー(crowberry)と呼ばれる黒い果実をつける。ツツジ科には珍しい雌雄異株のため、果実がなるのは雌株だけだ。ガンコウランの群落をよく探しても果実が見つからないことがあるが、それはきっと雄株を見ているからだろうと思う。
大雪山ではウラシマツツジやヒメクロマメノキと混在していることが多いが、ガンコウランの葉は線形なので、慣れればガンコウランを見つけるのはそれほど難しくないだろう。
日本では北海道だけに生息するエゾナキウサギはさまざまな植物を食べるが、大雪山ではガンコウランの枝葉を採食、または貯食のために集めている様子をよく観察している。ガンコウランの葉は細くて小さいが、一つ一つの葉は革質で、案外、栄養分に富んでいるのかもしれない。
なお、私はエゾナキウサギが高山植物の果実を食べているところはあまり見たことがない。同所的に生息するエゾシマリスがコケモモなどの果実も食べることとは対照的だ。もしかすると、それぞれの食べる部分が異なることが、この2種の哺乳類の同所的な生息を可能にしているのかもしれない。
幻の花と呼ぶ理由
このように大雪山ではよく見られる高山植物のひとつだが、「花」を見るのは容易ではない。その理由は大雪山ではまだ冬の季節に相当する、5月中旬~6月上旬に開花するからだ。
ガンコウラン以外の大雪山の花はどんなに早くても6月上旬頃から咲きだすので、それより1カ月近くも前に咲くガンコウランは、開花期の点だけに注目すると非常に変わった高山植物と言えるだろう。
ちなみに大雪山の山開きが例年6月下旬なのは、この頃になってようやく降雪が稀になり、イワウメやミネズオウなどの開花期の早い高山植物が咲きだす季節だからだ。
ある年の5月下旬、私は大雪山を一人で訪れた。通常、その年の最初の大雪山登山は6月の山開き前後のことが多いが、この時はもう少し早い時期の大雪山の様子を見てみたいという思いがあった。もちろん、ガンコウランのことも念頭にあった。
5月の降雪は決して稀ではない大雪山なので、冬用の万全の準備で白雲岳避難小屋を訪れたが、重いザックを背負ってきた甲斐があり、小屋の近くで念願のガンコウランの小さな花も見つけることができた。今回の記事の花の写真はその時のものだ。
2種類の花
先ほども書いたようにガンコウランは雌雄異株なので、花にも雌花と雄花の2種類がある。両方とも3枚ある花弁の長さが2ミリほどと小さく、肉眼での区別が難しいが、雌花では赤紫色の雌しべの花柱の先が不規則に裂けていること、雄花では3本の雄しべが長く突き出ることに注意すれば、両者の区別は可能だ。
それにしても、雌花、雄花ともに大変小さな花で、花を探そうとする目的がなければ、気づくのは難しいだろう。開花期が非常に早いこともあり、一般の登山者にとってガンコウランの花は、なかなか見ることのできない「幻の花」であり、文字通りの「高嶺の花」と言ってもいいだろう。
なお、大雪山の高山植物のうち、ガンコウランを除くツツジ科の多くは虫媒花だが、ガンコウランは虫媒花ではなく、風媒花ではないかと思っている。それは花の姿に昆虫を引き寄せる要素に乏しいことと、開花期が早すぎて花を訪れる昆虫を見かけないことが主な理由だ。実際、開花期にガンコウランの雄花を軽くたたくと、風媒花のスギのように無数の花粉が煙のように散り飛ぶ様子を観察している。
大雪山の高山帯は風がつきものなので、昆虫の活動していない時期に開花しても大丈夫なよう、ガンコウランは風媒花の受粉システムを選択しているように思うが、本当に受粉に昆虫が関与していないかは、今後、花の時期に調べてみたいと思っている。
カラフトルリシジミ
ところで、大雪山の高山帯には5種類の高山蝶が生息している。ウスバキチョウ、ダイセツタカネヒカゲ、アサヒヒョウモン、クモマベニヒカゲ、そしてカラフトルリシジミだ。
カラフトルリシジミをのぞく4種の幼生期や幼虫の食樹については田淵行男(1905-1989)によって発見、解明されていたが、氏の没後も、大雪山高山帯のカラフトルリシジミだけは、幼虫も食樹も未解明のまま残されていた。
私はこの残された課題に取り組み、大雪山で幼生期の探索を始めてから数年後の1996年6月20日、赤岳(2078m)の高山帯において、ガンコウランの葉を摂食する小さな幼虫をついに発見することができている。
大雪山で見つけた幼虫
私が見つけた幼虫は緑色をしていたが、体の側面が赤みを帯びていた。その全体の色彩は、見れば見るほどガンコウランの赤みも混じる葉色にそっくりで、何年かけてもなかなか見つからなかった理由は、この点にあると思われた。しかし、一度コツを掴んだせいか、その後は同じ場所からさらに数個体の幼虫を見出している。
カラフトルリシジミは北方系の蝶で、日本以外ではアラスカ、シベリア、ラップランドなどの寒冷地に分布している。日本では北海道にのみ見られ、大雪山、知床、日高山脈、西別岳などの山岳地帯と、根室半島や野付半島など道東平野部に生息しているが、その希少性により、地域を定めない国の天然記念物に指定されている。
なお、私が大雪山で初めて幼虫を発見した経緯については、『月刊むし』という昆虫専門誌の1998年1月号に、「大雪山系産カラフトルリシジミの幼虫」というタイトルで発表している。念のため、付記しておく。
ライチョウによる種子散布
ガンコウランにまつわる種々の話を私の体験をもとに書いてみた。すべてにおいて大変地味な高山植物だが、エゾナキウサギや高山蝶との関係など、その生活史や生態にはいろいろと面白い事実があることがお分かりいただけたのではないだろうか。
皆さんもいつか、大雪山や日本アルプスに登ってガンコウランを目の前にする機会があれば、今回の記事のことも思い浮かべながら、その姿かたちを観察していただければと思う。
なお、日本アルプスに生息するライチョウは、秋になるとガンコウランの黒い果実を好んで食べることが知られている。この黒い果実を食べたライチョウの糞にはガンコウランの種子が含まれており、ライチョウがいろいろな場所に糞を排泄することが、高山帯でのガンコウランの分布拡大に一役買っているそうだ。
こうした役割を担う生物のことを「種子散布者」と呼ぶが、日本アルプスに登ってライチョウを見る機会があれば、そのことも念頭に彼らの行動を観察してみると良いだろう。
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プロフィール
昆野安彦(こんの・やすひこ)
フリーナチュラリスト。東京大学農学部卒(農業生物学科)、東北大学農学部名誉教授。著書に『大雪山自然観察ガイド』『大雪山・知床・阿寒の山』(ともに山と溪谷社)などがある
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