山の検索結果
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南アルプス (静岡県)
標高 2,330m
地元井川の人たちはこの山をダイムケンサンと呼んでいる。一般にはオオムゲンなどと呼ばれることもあるが、正式名称ではない。 静岡から車で井川へ入るには、富士見峠を越える。峠の駐車場からは眼前に大無間山が望まれるはずだ。ここから眺めると左手の高い方が大無間山、右手の低い方が小無間山で、この2つを吊尾根が結んでいる。2つの峰は横に広がりずっしりと大きく迫る。井川湖のすぐ西側にある山だが、南アルプス南部に属する。 山頂はかなり広い草地で幕営地には最適だ。一等三角点の上には木のやぐらが設置されている。やぐらの上からはアルプス核心部はもちろん、イザルが岳から光岳(てかりだけ)の山稜がことのほか美しく見える。 大無間山を訪れるには、井川湖の奥に田代という集落があり、そこの諏訪神社の鳥居から歩きだす。4時間弱で電波中継所跡の五葉沢ノ頭に着く。すぐ近くには小無間小屋がある。 1日目はここに泊まり、翌日早だちして、小無間山を経て、大無間山を往復するコースが一般的である。小無間山下の尾根は遠くからは鋸の刃のように見え、鋸歯と呼ばれるが、特に危険はない。
関東 (栃木県)
標高 2,330m
栃木県と群馬県の県境に位置する。奥日光~尾瀬の縦走の際や、夫婦淵温泉~金精峠への縦走の際に登られる山。 登/下山口となる夫婦淵温泉(一軒宿の女夫渕温泉ホテル)は、12の露天風呂があることで温泉ファンに知られた存在だったが、2013年2月の地震で倒壊し廃業となり現在は利用できない。 夫婦淵温泉から先に伸びる奥鬼怒スーパー林道(一般車両通行不可)には、加仁湯、八丁の湯、日光沢温泉と、秘湯の宿があり、ぜ根名草山登山の際には利用したい。 山頂からは尾瀬や会津、新潟の山々を望むことができ、鬼怒沼も光り輝いて見える。
標高 2,305m
群馬県六合村(くにむら)と長野県山ノ内町、高山村との境にある。志賀高原の代表的な山で、また日本海と太平洋の分水嶺でもある。西側の山腹はスキー場として知られ、厳冬期の樹氷の美しさは有名である。山頂にはパラボラアンテナや山頂ヒュッテがある。山頂のパノラマはすばらしく、特に頸城の山々が近づくのがよい。 北麓の志賀高原側には、白根、浅間山系から温泉も湧出し、美しい高原風景が展開する。 昭和40年(1965)、志賀草津高原ルートが完成し、中腹の渋峠(2152m)を越えている。以前は横手山の急斜面に、ひとりが通れるほどの道が細々と続いていた。甲信地方では、山腹を横に絡んで行く道を「横手」ということから、この山名がついたと思われる。 山頂へは、県境の渋峠からリフト利用、志賀高原の硯川から横手山リフトを3本乗り継ぎ、いずれも徒歩数分で山頂。
中央アルプス (長野県)
標高 2,296m
中央アルプスの北端にあり、なだらかな優しげな山容だが、眺めると登るとでは大変な違いである。その昔、慈覚大師が信濃に下向していた折、霊木を得てそれに十一面観音像を刻み、その木片にお経を書いて納めたので経ヶ岳という、とか。 登山コースは伊那市の羽広集落からが一般的。近年、権兵衛峠からの道が改修された。山頂からは南アルプスの展望がすばらしく、横川川源頭は原生林がそのまま残されている。対照的に伊那側はカラマツの植林帯とクマザサに覆われている。羽広から約4時間30分で山頂に立つことができる。 なお、この山は、雪の時期には格好の山スキーエリアとなる。伊那と木曽を結ぶ有名な権兵衛峠から稜線通しに登頂できるが、南アルプスと北アルプスの大パノラマを道連れにしてのツーリングは楽しさもひとしお。
南アルプス (静岡県)
標高 2,296m
南アルプス深南部には奥深い山がたくさんある。地形図を見ても道の記号もない。中でも中ノ尾根山は深南部のほぼ真ん中に位置する山で、遠くから見ると大きなたおやかな山容をしている。標高は2296m、二等三角点の山である。 さて、この中ノ尾根山へ登るには、自動車を使って1泊2日の日程が必要だ。まずは道路地図を見て浜松市天竜区水窪町(みさくぼちょう)を目指す。水窪からは水窪川沿いの曲がりくねった舗装道路を登り、有元集落からは白倉川に沿って、白倉権現のゲートまで入る。 車はここまでで、さらに林道を歩いて約2時間遡ると、白倉川橋となり、ここから西俣沢に沿っての登高が始まる。水量の少ない沢を中ノ尾根山の北側の鞍部を目がけてつめる。砂礫状になっている部分もあるので、補助ザイルを携行したい。鞍部から山頂までは30分かからない距離だ。
上信越 (長野県)
標高 2,295m
岩菅山は、笠ヶ岳と並んで志賀高原を代表する山である。山頂は岩菅山と裏岩菅山(2337m)の2つに分かれていて、高度では裏岩菅山の方が高い。しかし普通、岩菅山といえば頂上に祠のある前者を指す。 岩菅山に登るには、発哺(ほっぽ)温泉からロープウェイを利用する。寺小屋山からは尾根を登り下りし、合流点ノッキリから急坂を頂上に登る(東館山山頂駅から3時間で山頂)。頂上には一等三角点と避難小屋がある。頂上からは魚野川源流域の原生林が見事だ。千古斧鉞(ふえつ)の入らざる深い森の眺めは、この山の最高の贈り物である。 もちろん山々の展望もすばらしい。特徴ある平坦な頂上部を見せる苗場山、そして白根山や遠く北アルプス、北信五岳、鳥甲山と見渡せる。 なお一ノ瀬からもコースがある(約3時間)。 1998年の長野冬季オリンピックの際、この岩菅山山頂をスタート地点としてアルペンスキーのコースを開設するプランがあった。しかし、戦後の志賀高原は開発し尽くされ、わずかに昔の姿をとどめているのは、この岩菅山と志賀山くらいしかない。市民運動の結果、会場は八方尾根に移され、この山のブナの森が救われたのは、幸いなことである。
標高 2,291m
大雪山の盟主として、また北海道の最高峰として、誰もが一度は登りたい、また登らねばならない山が旭岳である。「ヌタプカムウシュペ」というのはこの山塊全体の呼称で、個々のピークにアイヌは名をつけなかったようだ。旭岳という名称は、忠別川の源頭にあるところからきており、アイヌ語でチュプ・ベツ「日の川」を旭としたもの。旭川市や忠別岳の名も同じ由来である。 古くから登山道は開かれていたようで、明治36年(1903)、上川文武館生徒21名が集団登山した記録があるが、往復に3日を要している。この頃、旭岳は「於武建志計(オプタテシケ)山」と呼ばれていたという。明治の文学者・大町桂月の登山はずっと後で、大正10年(1921)、黒岳沢から無名峰(現在の桂月岳)に達し、北鎮岳を経て旭岳に登り、松山温泉(天人峡)に下っている。冬の登頂は翌大正11年(1922)1月、北海道大学の板倉勝宣、加納一郎らが最初である。 いま夏の登頂は全く容易になった。ふもとの旭岳温泉(旧名 勇駒別温泉)から、2本のロープウェイを乗り継いで一気に1600mの姿見駅へ。お花畑の中の道をたどって、旭岳の姿を映す「姿見ノ池」のほとりから、火山礫の登山道を、白く煙を上げる火口を見下ろしながら登ること2時間ほど。ついに頂上に立てるのだ。道内最高地点だけに展望は広大で、国立公園内の山々はもとより、天塩岳、暑寒別岳(しよかんべつだけ)、芦別岳(あしべつだけ)なども見え、さらに快晴の日には遠く利尻山までも望むことができる。 黒岳からの縦走はもっとすばらしい。黒岳石室を早朝に出発し、第2の高峰北鎮岳(ほくちんだけ)にも登って旭岳に至るコースは、約5時間の行程だ。旭岳の北東面には遅くまで雪渓が残り、夏スキーを楽しむ人々も多い。雪渓の下が指定のキャンプ地になっていて、最盛期には色とりどりのテントが花と咲く。頂上に登らず、途中の中岳から旭岳の山腹を巻き、山中に湧く無人の中岳温泉を経て姿見駅に出ることもできる。駅付近には姿見ノ池のほかにもいくつかの沼が点在し、それらを散策するのもよい。 頂上付近は草も木もないから、どこへでも行ける。なかには道を踏み外してどんどん下ってゆき、帰ってこられなくなった例もある。姿見駅の付近でさえ、ガスがかかると分かりにくくなる。ロープウェイは冬には多くのスキーヤーを運び上げるが、軽装で頂上を目指したまま行方不明となる人が時々出るのも、目標物に乏しい頂上付近の地形に惑わされるからであろう。充分、注意したい。