(孫惣谷左岸径路〜天祖山裏参道)天祖山 ワンデイハイク
タワ尾根、孫惣谷左岸径路(=タワ尾根南面水源林巡視路)、アララギ谷、天祖山裏参道、梯子坂窪、梯子坂のクビレ、天祖山、天祖山表参道( 関東)
パーティ: 1人 (加藤キーチ(モンターニャ) さん )
タワ尾根、孫惣谷左岸径路(=タワ尾根南面水源林巡視路)、アララギ谷、天祖山裏参道、梯子坂窪、梯子坂のクビレ、天祖山、天祖山表参道( 関東)
パーティ: 1人 (加藤キーチ(モンターニャ) さん )
曇り、ときおり日がさす、とても蒸し暑い。タワ尾根と天祖山表参道の、およそ標高1000m以上では涼しい風が吹いた。
バス
08:18〜東日原バス停をスタート
08:40〜一石山神社
09:50〜金袋山(P1325)150m手前の孫惣谷左岸径路入口〜10:08
10:37〜オロセ尾根を乗越す
11:23〜ウトウ沢を渡る〜11:40
11:48〜奥多摩工業への下降分岐を直進する(P1157の東200m)〜12:03
12:14~ゴンエ窪を渡る~12:18
13:10〜アララギ谷に降りる〜13:20
13:28〜中尾根を乗越し裏参道に入る(co1270m)
14:09〜梯子坂窪に降りる〜14:31
15:22〜梯子坂のクビレに上がる
15:48〜天祖山
17:06〜日原林道に降りる
17:46〜中日原バス停フィニッシュ
孫惣谷に入るにあたっては、まずタワ尾根南西面の水平道を把握しておこうと考えた。タワ尾根とともに、目的地へのアプローチにも逃げ道にもなる「主要幹線」となるだろう。
時間に余裕があれば天祖山の裏参道へ回るとして、下調べに取りかかると不思議なことに気づいた。
孫惣谷左岸径路から裏参道と繋げて歩くのに、なぜかP1157(鉱山敷地内)の東200mからいったん孫惣谷に降り・渡渉を3回だか繰り返して上流に向かい・失った100mの標高を取り戻すために中尾根を登り返す。そんな記録が目についたから。
車道の孫惣谷林道ができる以前の、裏参道へのアプローチは孫惣谷左岸の径路が主だったろうと想像する。とすれば、
『P1157の東200m(孫惣谷左岸径路、co1250m)から中尾根のco1270m(裏参道入口)まで、おおよそ標高1250mをキープする水平道があるはず』だ。
机上演習の結果を確かめに、やたらと蒸し暑いなかを歩いてきた。
概略は本文を、詳細は写真のキャプションを参照。
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〇 孫惣谷左岸径路
左岸径路は現在ではもっぱら「タワ尾根南面水源林巡視路」と呼ばれるようだ。ただこの道の歴史に思いを馳せると、次のような順番になるのが妥当だろう。
①まず、日原から長沢谷や日影谷への樵路として歩かれ(日原~小川谷林道=小川谷右岸下段道~金袋山の手前でタワ尾根を乗越し~オロセ尾根を越えウトウ沢・ゴンエ窪を渡り~アララギ谷を渡って中尾根を乗越し~梯子坂のクビレに上がって天祖山の尾根を乗越し~桂谷=長沢谷上流部に降りる)、
②次に、明治の新興神道・天学教の天祖神社が天祖山に建てられてから裏参道として利用され(したがって古い山岳図書には左岸径路全体が『裏参道』として載っている)、
③天学教の廃れた戦後は、かわって水道局が水源林涵養保全のために利用している。
現時点での用途のみをしめす『タワ尾根南面水源林巡視路』の名称はいちハイカーとして残念に思えてならず、ニュートラルに『孫惣谷左岸径路』と呼ばせていただく。
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キコリ道ならば無駄な登降はぜず、大きく迂回して谷を渡り・尾根を乗越していたはずだ。御供所≪ゴクウショ≫に降りることなくおおよそ標高1250mをたどる道を探しながら歩いたが、はたしてときに明瞭に・幅広な緩斜面ではときにあいまいに踏み跡が続いている。アララギ谷と名前を変えた孫惣谷に下りる直前がやや剣呑だから注意を要する。谷に下りれば対岸に踏み跡が続き中尾根の林班界標識の直下に至る。
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〇 天祖山裏参道
矛盾するようだが、前述したとおり古くはタワ尾根の金袋山手前の分岐からアララギ谷を渡り梯子坂のクビレに上がる全体が「裏参道」と呼ばれていた※1。その用法ではなく、現代の「中尾根の林班界標識地点から梯子坂のクビレ」までを裏参道としてレポートする。
ところが、こちらは上手くいかなかった。ひとつは難しいこと。2020年秋の、東京緑峰クラブのタナカさんのレポートが最後※2で、ひんぱんに記録が上がるルートではないのには理由がある。もうひとつ、孫惣谷の左岸径路を歩いたあとで持ち時間が少なかったこと。17時半のバスで帰ることを念頭に入れ、様子を知らない孫惣谷の上流部探索を兼ねて梯子坂窪を遡ったが、滝はあらわれないにしても足元が悪くかなり手間取った。
もういちど歩きなおさないと、ちゃんとした報告はできない。あくまで備忘録としてレポートを残す。
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※1
再三ちがう話をすることになるが、1942年の概略図には御供所から先の径路がまったく異なる裏参道のルートが入っている(写真0)。御供所から(おそらく)九十九に「立岩」に上がり、そのまま西に上がって山頂手前の籠堂(社務所)に上がるのだという。ランドマークの立岩は氷川鉱山天祖事務所の敷地の(おそらく)ど真ん中にあり、現在どれだけ残っているかもわからない。今日、たどることは不可能だろう。
ということは。現在、我々が狭義で使用する「裏参道」は、奥多摩工業がやってきて石灰の採掘を始めて以降の「新しい裏参道=迂回路」ということになる。
※2
2022年の記録もあるが、タナカ氏の山行をなぞっているのみ。
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● メモ
初見のオフトレイルを、記録を探せないパートを追加して歩く。写真を撮りVRにメモを残し、やたらと時間をくった。
体調はこの日も70%。
きょうから孫惣谷、小川谷はまだ歩き足りないが、時間は有限なので。
「崩落・通行止め」のアナウンスがあった日原林道通過に支障なし。崩落跡不明で通行止めのサインもなし。
孫惣谷林道の施工年度=S.36 ~ S.38、犬麦谷林道に次いで新しい
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(20231007 了)
【その他】 ラ・スポルティーバのウルトララプターⅡ(以下ほとんどモンベル)。タイツ・半ズボン・チェーンスパイク。長袖ドライシャツ・ペツルのヘルメット・ブラックダイヤモンドのフルフィンガーグローブ。ザックはモンベルのアルパインライト30Lにヘッドランプ・スマホ(カメラ+GPS)・バッテリー充電器と予備電池・ココヘリ発信機・雨具上のみ・虫よけネット・ジャージ・ロールペーパー。ハイドレーションに水1.8L・コッペパンふたつ・カルパス・ナッツとドライフルーツ+塩。着替え一式とサンダルは奥多摩駅のコインロッカー。 |
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