南山 権現平 丹沢宮ケ瀬の渓谷にフサザクラ咲く ーーー「地震峠と十六の瞳」ーーーーーーー
「地震峠と十六の瞳」 ・南山 544m ・権現平 568m三角点(別名:東山・永山・長山) ・鳥居原P ・白馬の雪形 ・宮ケ瀬湖 ・鳥屋(とや) ( 関東)
パーティ: 1人 (トマトとケチャップ さん )
「地震峠と十六の瞳」 ・南山 544m ・権現平 568m三角点(別名:東山・永山・長山) ・鳥居原P ・白馬の雪形 ・宮ケ瀬湖 ・鳥屋(とや) ( 関東)
パーティ: 1人 (トマトとケチャップ さん )
鳥居原ふれあいの館(09:00)・・・9:12登山口・・・9:54鉄塔・・・分岐(10:00)・・・
権現平(東山・長山・永山)(10:20)[休憩 5分]・・・南山(10:48)[休憩 42分]・・・
権現平(東山・長山・永山)(12:00)・・・分岐・・・鉄塔・・・登山口・・・
鳥居原ふれあいの館(13:10)
計 4-10 (休憩を含む。)
明日は早くも啓蟄、丹沢名物の虫が這いだす前に山歩きします。
何日か前にウグイスの鳴き声を耳にしたような気がする。
最初はきれいな声が出なくて、練習中?
二度目の暖かい日には、もう上手に鳴いていた。
スタートしようとしたら、ふれあいの館の鐘が9時を知らせる。
午前中は風もなく陽当たりはぽかぽかと暖かい。
だんだん暑くなってきて、最初の急登を登り、2番目のピークで早くも上着の調整をした。
小さなピークが数か所ある。
鉄塔が見えると茅との原で明るく、宮ケ瀬湖の先に高取山、仏果山方面の展望が良い。
西側の展望は茅が高くて茨菰山方面の展望できない。
陣馬山の白馬よりも大きい、丹沢の大きな白馬が山を駆け登る姿(雪形)が見られるかと思いましたが、残念ながら見られません。
権現平の最後の急登の長い階段を前にして呼吸を整えるべく休憩した。
「一本立てる」場所が最近やたらと多くなったような。
ふつうは、山稜を越える鞍部の峠や、十字路などの分かれ道、大きな展望地などでしょうが。
「遠野物語」だったかには「道ちがえ」という言葉が使われたとか。
これまで歩いてきた長かった道をしみじみと振り返り、汗を拭きながら自分の労を労い、峠の風で体を冷やし、未知のこの先の不安と希望を遠見して気持ちを一新し、自分を励ます場所らしい。「せこ道」1ー「奥相模に残る道しるべ」より。
権現平は開けた広い空間にベンチなどがあり東側の展望が素晴らしい。
急登で追い越された人に挨拶して、南山へ向かいます。
権現平まではヒノキが多かったので、まだ良かったがここから杉の木が目立ってきた。
道はほぼフラットで落葉樹林の開けた陽当たりも多い。
間もなく分岐を右、東側へとって鉄塔巡視路の分岐を過ぎると階段が2か所ある。
坂を見上げる前方にデーンと広がる宮ケ瀬湖、その先に高取山、丹沢方面の山並みが広がっていた。
誰もいない展望地で暖かい陽を浴びながら、コーヒータイム
一人だけ後で登ってきたが、休憩後に先に行ってしまったので、再び一人。
一瞬だけ陽が陰ったら、やっぱり空気の冷たさがわかり、陽当たりのありがたさを実感する。
さて、来た道を下山です。
午後から風通しの良い場所では、東風(こち)?が吹き冷たかった。
「東風吹かば匂いおこせよ桜花ーーー」平安の昔より季節はどんどん暖かくなって、今は東風にはサクラになってしまった感じです。 やっぱりサクラではなく梅ですねーーー。
今回は、3.11を前に、前回の地震峠に関連して、関東大震災により崩落して、鳥屋の馬石、渡戸地区に大災害を起こした南山の道を歩いてみました。
地震峠、関東大震災(大正12年9月1日・震源地は相模湾)から100年、鳥屋の馬石、渡戸地区の被災地を訪ねて慰霊・追悼するとともに防災意識を新たにしたい。
地震峠、関東大震災の発生により、山津波によって南山が崩れる災害が発生し、鳥屋の馬石、渡戸地区の家屋や大勢の住民が埋没被災した。
標高256m、串川がせき止められ、上流500mまで湖のようになったといわれる。
この震災の記憶や教訓を忘れないように伝承していくために、地元の方々が慰霊碑を設置して守っている地震峠。
「悲しいだけの場所ではなく、生きていることの大切さを知る場所としてください。」とのことでした。
「地震峠と十六の瞳」ーーー芳晴ーーーという歌を聞いて、心に響きました。
国土地理院の地震災害伝承碑として認定され、地理院地図にも表示されている。
今回二度目のお参りをさせていただきました。
また雪が振るらしい。 なごり雪? 淡雪?
春と冬のせめぎあい。
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