クライミング事故の責任は誰にある? 登山の娯楽性と危険性に切り込むノンフィクション【後編】
ベストセラー『荒野へ』(1996年)、『空へ−悪夢のエヴェレスト-』(1997年)で知られるジャーナリスト、ジョン・クラカワーの初期エッセイをまとめた『WILDERNESS AND RISK 荒ぶる自然と人間をめぐる10のエピソード』が発売された。
ビルの高さの大波に乗るサーファー、北米最深の洞窟に潜るNASAの研究者、70歳ちかくなってもなお、未踏ルートに挑み続ける伝説の登山家…。
さまざまな形で自然と向き合う人間模様を描き出す10編の物語から、1986年に起こったクライミング事故を通して、訴訟社会アメリカの姿を浮き彫りにするストーリーを、前後編に分けて紹介しよう。

ブリッドウェルは、プロの山岳ガイドとして20年近く、なんの問題もなく働いてきた。彼が有能で良心的な、さらに言えば慎重派のインストラクターであることを示す証拠はいくつもある。だが、彼の擁護者たちは、この〝ヨセミテの将軍〞のイメージについて不安を抱いていた。1986年5月8日に発売された『ローリングストーン』誌の記事で、無軌道なスリル中毒者として紹介されていたからだ。記事のなかでブリッドウェルは、UFOを見たことがあると熱っぽく語っている。さらに、ブリッドウェルの弟子として知られるクライマーのジョン・ロングが師匠について、「何かにつけてのめり込みがちな人で、自分に酔っているところもある」と評してもいた。こうしたイメージは、社会奉仕団体の会員や主婦が中心の陪審員たちの前に立つブリッドウェルにとって、決して有利には働かないだろうと、仲間たちは危惧したのだった。
キャリントンの死をめぐる訴訟の話が世間に広まる頃には、クライミング業界では、ブリッドウェルが事故の責任の大半を負い、彼を雇用したエクザム・マウンテンガイドサービスにもその一部が波及するだろうとの見方が大勢を占めるようになった。そのため、今年の3月、ローザ・キャリントンの弁護士であるラリー・ボイドに電話で取材をしたときに、おもに責められるべきはブリッドウェルでもエクザム・マウンテンガイドサービスでもないと考えていると聞いて、私は驚いた。「本当に悪いのは、こんな危険なクライミング用ハーネスをつくった会社です」と彼は断言したのだ。
ボイドがどのような法的根拠を持ってシュイナード・イクイップメントを訴えるかについてはさておき、ひねくれた見方をする野次馬たちは、関係者のなかで金を取れるとしたらシュイナードからしかありえないことにすぐに気づいた。ブリッドウェルは無一文に近いし、エクザム・マウンテンガイドサービスの資産など、数十本のロープとタイプライター1台、ロッカーいっぱいのクライミング用具くらいのものだ。一方で、シュイナード・イクイップメント社には年間600万ドルの売り上げがあるうえに、優秀な弁護士の手にかかれば、イヴォン・シュイナードが経営するアパレル会社――年間1億ドルを生み出すあのパタゴニアとこの訴訟を結びつけることも、理屈の上では不可能ではなかった。潜在的責任を問うことが可能なうえに、そうした金の匂いがかすかにでも漂ってくれば、原告側の弁護士がそれを見逃すはずがない。
自身も伝説的なロッククライマー(かつアイスクライマー)であったイヴォン・シュイナードは、自らの登山用具ビジネスを、文字通りひとつひとつその手で積み上げてきた。1957年、当時の粗末な道具を使って3年ほどクライミングをしたあと、独学で鍛冶の技術を学んだ彼は、自分や友人たちのために、市販の製品よりも品質のいいハーケンやカラビナをつくれると思った。そして実際につくったハーケンを車に積み込み、1個1・5ドルで売り出した。これは当時のヨーロッパ製のハーケンの5倍の値段だったが、クライマーたちは次第に彼のつくるものが既製品よりも丈夫でデザインがいいことに気づきはじめ、シュイナードお手製の道具はつくったそばから売れていくようになった。その後、1966年、シュイナード・イクイップメントは、カリフォルニア州ベンチュラの廃墟となった食肉解体場の隣にある、〝密造酒工場(スカンクワークス)〞という愛称で呼ばれるトタン屋根の小屋で操業を開始する。その年の売り上げは3000ドルほどだったが、それから4年間にわたって売り上げは倍々ゲームで増えていった。
同社が当初から成功を収めたのは、デザインが新しいうえに、質の高い素材を丁寧に組み上げた商品のおかげだった。とはいえ、アイゼンやピッケルをはじめとするシュイナード・イクイップメント製の登山用具は、使っている最中にときどき壊れることもあった。シュイナードは当時から徹底した製品テストをおこなっていたので、おそらく他社のものに比べれば丈夫だったと思うが、それでも数百個に1つくらいは壊れていたはずだ。同社製の登山用具の故障がもとで亡くなったクライマーは一人もいなかったが、怪我をした者は少なからずいた。だが、それでも訴訟にはならなかった。牧歌的だった当時のクライマーたちは、雪崩や突然の嵐などと同じく、ツールの破損もこの遊びにつきもののリスクのひとつとして受け入れ、アイスクライミングのときには可能なかぎり予備のピッケルを用意したり、ビレイアンカーで安全を確保したりすることでそれに備えていた。私自身、1979年にソロで凍った滝を登っている最中に、地面からだいぶ離れたところで、ブーツに取り付けていたシュイナード・イクイップメント製のアイゼンが壊れて外れてしまうという、非常に危険な状態におちいったことがある。結局、なんとか窮地を脱することはできたが、イライラが収まらず、怒りの手紙をシュイナード・イクイップメントに送りつけた。だが、同社から返事代わりに交換用のパーツが送られてきて、壊れたアイゼンを元に戻すことができたので、これで手打ちにしようという気になった。むしろ、無料で換えのパーツを送ってくれたことに、感謝さえしたのを覚えている。
それからまもなく、シュイナードは業界でももっとも優れた品質管理体制を確立し、登山用具の破損をほとんどゼロにまで近づけた。そのため、1986年3月にアトランタの窓ガラス清掃員、ギルマー・マクドゥガルドが、同社を相手に製造物責任訴訟を起こしたのは皮肉だったと言えるだろう。これはシュイナードが会社をはじめてから29年間で初めてのことだった。さらに皮肉だったのは、ここで争点となったロック式のカラビナ自体は、まったく問題なく本来の性能を発揮しうるものだったことだ。マクドゥガルドがビルの外壁の高所から転落して大怪我をしたのは、カラビナゲートを固定するスリーブを正しい方法でねじ込んでいなかったからだった。だが彼は、この道具の設計自体に「欠陥があり、安全に使用目的を果たすことができないものだった」と訴えた。
アメリカの司法のいびつさを知らない人なら、この訴えはあっさり却下されると思うだろう。だが近年、不法行為法(事故と人身傷害に関する法律)の解釈は大きく変化していて、製造物責任訴訟においてどのような判決が出るかは非常に読みづらくなっている。製造物責任法はもとは労働者や消費者、事故の被害者を守るためのものだったが、この解釈の変化によって誰でも簡単に訴訟を起こせるようになった。もとは崇高な理念によって制定されたはずのこの法律は、結果としてアメリカ経済に年間3000億ドルもの損害を与え、利益を得るのは場合によっては弁護士だけという状況をつくりだした。製造物責任訴訟は1976年から1986年のあいだに400パーセントも増加し、20年前と比べて原告側が勝訴する割合は倍になった。平均的な賠償額は60年代前半の5万ドルから、現在(1990年)では25万ドル以上に膨れ上がり、100万ドルを超えるケースも珍しくない。
司法界のこのような風潮に鑑み、裁判での争いを避けることにしたシュイナード側の保険会社は、マクドゥガルドに35万ドルを支払うことで示談を成立させた。だが1988年の3月、2度目の訴訟が起こる。そして同じ年の8月にキャリントンの訴えがあったあと、さらに3つの製造物責任訴訟が立て続けに起こった。その結果、シュイナード・イクイップメント社にかかる保険料は跳ね上がった。200万ドルの補償を(20万ドルの控除条項付きで)得るのに、シュイナードは年間32万5000ドルも支払わなければならなくなった。1984年と比べてじつに1625パーセントもの増加である。
別会社のパタゴニアは莫大な利益を上げつづけていたが、シュイナード・イクイップメント自体はつねに、かろうじて利益が出ればいい程度の経営状態だったため、保険料の負担が増えると一気に赤字に転落する恐れがあった。同社のゼネラルマネージャーだったピーター・メトカーフは、「1989年の12月に保険契約が更新されることになっていて、保険料は年に50万ドルにまで値上がりする見込みだったんです。それも、そもそも加入ができれば、の話ですよ」と語った。
シュイナードに対する6件の賠償請求のうち、3件はクライマーではない使用者(配管工、屋根職人、そして前に挙げた窓ガラス清掃員)によるカラビナの明らかな誤用に起因すると思われるもので、さらに、キャリントンの訴訟を含む残りの3件は、すでに販売が停止されているカルプ・アルパインハーネスの不適切な使用に端を発するものだった。だが、これらの訴訟の行方をさらに危うくする出来事が起こった。キャリントンの訴えが起きた直後に、シュイナード・イクイップメントと競合するある会社がつくった一本のテープが、まるでスキャンダラスな外国製のポルノのように、クライミング界にひっそりと出回りはじめたのである。
このビデオは、ニューハンプシャー州発祥の最新のクライミングギアブランドである「ワイルドシングス」のオーナーであり、型破りな行動と奔放な発言で知られるジョン・ブシャールの手によるものだった。それは、実験室でのテストで「シュイナード・ハーネス」(カルプ・アルパインハーネスの後継モデルであり、タイインループが省かれているが、基本的にはバックルの設計は同じもの)からロープが外れる様子をわかりやすく撮影したものだった。このビデオをつくったブシャールいわく(ちなみに彼自身、当時、同じく根拠の疑わしい製造物責任訴訟に直面していた)、この映像は消費者向けのものではないし、シュイナードの抱える法的な問題を悪化させることは絶対にしたくなかったという。このビデオは、クライミング界の日和見主義者たちの目を覚まさせ、業界が一丸となって防御策をとる必要があることに気づかせるためのものだ、と彼は主張している。
ただ、ブシャールの動機がどうあれ、このビデオはシュイナードの問題を軽くしはしなかった。むしろこれが裁判の証拠として採用されれば、まずいことになるだろう。ただ、このビデオのなかでシュイナード・ハーネスのバックルはたしかに体の重みだけで外れているが、この実験の状況設定は(ブシャールはともかく)ほとんどのクライマーから見て、実際のクライミングではまず起こりえないようなものだったし、さらに言えば、旧モデルであるカルプ・アルパインハーネスのタイインループをちゃんと使っていれば、このロープの脱落は絶対にありえなかった。
しかし、クライミングの素人である裁判官や陪審員には、こうした細かいニュアンスは伝わらない可能性が高い。「原告はクライミングなど人生で一度もやったことのない工学部の教授を、専門家の証人として1日500ドルで雇うでしょう」と語るのはニューヨークの弁護士で、自身もロッククライマーでありかつてアメリカ山岳会の会長を務めたこともあるジム・マッカーシーだ。「そして証言台に立ったその自称専門家はこう言うんです『この製品の設計には明らかな欠陥があります』と。例のビデオと組み合わせれば、非常に効果的でしょうね」
WILDERNESS AND RISK 荒ぶる自然と人間をめぐる10のエピソード
ベストセラー『荒野へ』(1996年)、『空へ−悪夢のエヴェレスト-』(1997年)で知られるジャーナリスト、ジョン・クラカワーの初期エッセイをまとめた『WILDERNESS AND RISK 荒ぶる自然と人間をめぐる10のエピソード』が発売された。 ビルの高さの大波に乗るサーファー、北米最深の洞窟に潜るNASAの研究者、 70歳ちかくなってもなお、未踏ルートに挑み続ける伝説の登山家・・・。 さまざまな形で自然と向き合う人間模様を描き出す10編の物語から、 1986年に起こったクライミング事故を通して、訴訟社会アメリカの姿を 浮き彫りにするストーリーを、本書から一部抜粋して紹介しよう。
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