クライミング事故の責任は誰にある? 登山の娯楽性と危険性に切り込むノンフィクション【前編】

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ベストセラー『荒野へ』(1996年)、『空へ−悪夢のエヴェレスト-』(1997年)で知られるジャーナリスト、ジョン・クラカワーの初期エッセイをまとめた『WILDERNESS AND RISK 荒ぶる自然と人間をめぐる10のエピソード』が発売された。

ビルの高さの大波に乗るサーファー、北米最深の洞窟に潜るNASAの研究者、70歳ちかくなってもなお、未踏ルートに挑み続ける伝説の登山家…。

さまざまな形で自然と向き合う人間模様を描き出す10編の物語から、1986年に起こったクライミング事故を通して、訴訟社会アメリカの姿を浮き彫りにするストーリーを、前後編に分けて紹介しよう。

グランドティトン

 

転落のあと  After the Fall

 1986年8月22日。ワイオミング州西部、ジャクソンホールの雲ひとつない空に朝日が昇る。ティトン山脈は絶好の登山日和になるだろう。ジム・ブリッドウェルはベッドから這い出ると、コーヒーのポットを火にかけた。〝ヨセミテの将軍〞の異名をとる、エル・キャピタン〔ヨセミテ国立公園内にある世界最大の花崗岩の一枚岩〕を1日で登りきった最初の男であり、悪名高いアラスカのムースズトゥース東壁の初登頂者。地球上でもっとも恐ろしい岩壁を制覇してきた歴戦の勇者であるブリッドウェルだが、今年はエクザム・マウンテンガイドサービスとスクール・オブ・アメリカンマウンテニアリングという2つの登山スクールでツアー客を相手にロッククライミングの基礎を教えるという比較的平凡な夏を過ごしていた。午前8時半、エクザムのオフィスに電話をした彼は、この朝、グランドティトンへの2日間のツアーに出発するはずだったグループ客からキャンセルが入ったことを知る。良くないニュースだった。つねに金欠で、借金取りに追われている身には手痛い収入減だ。

 しかし1分後に電話が鳴り、今度は運が良い方に転んだようだった。いますぐロッククライミングの中級者クラスを教えるガイドが必要なのだが、興味はあるか?

 「もちろん」。迷わずそう答えると、コーヒーを飲み干して登山道具をひっつかみ、エクザム・マウンテンガイドサービスの〝本社〞――といってもジェニー湖の湖畔にある小さな山小屋なのだが――へと急いだ。

 受講者は男性4人で、みな友人同士だった。最年長はヒューストンから来た41歳の弁護士で、愛想が良く、がっしりとした体格のエドワード・キャリントン。1967年から1969年までアメリカンフットボール・リーグのヒューストン・オイラーズでタイトエンドとしてプレーしていた大男だ。全員が危険を承諾する旨の書類にサインをし、ヘルメットとハーネスを身につけたのを確認したあと、ブリッドウェルは彼らとともにボートに乗って、ジェニー湖西岸、ヒドゥン滝のそばにある、スクールでよく使う練習用の岩場に向けて出発した。4人の受講者たちは、おそらくアメリカの登山界でももっとも過激で知られるクライマーから教えを受けることにすこし驚きつつも、これからはじまるクライミングについて陽気に軽口をたたき合っていた。

 このときはまさか、エドワード・キャリントンがこの日のうちに、いまだにはっきりとした原因がわからない不可解な事故で死んでしまうとは、誰も思ってもみなかった。アメリカ山岳会の調査によれば、アメリカでは毎年25人から40人ほどが登山中の事故で死亡しているという(保険統計の専門家によれば、この死亡率は芝刈機の運転よりやや低いとのこと)。もちろんこうした悲劇は遺族や友人をひどく悲しませるが、ほとんどの場合、それ以上の問題に発展することはない。だがキャリントンの死は、この国の最古かつ最大の登山用品メーカーの創設者であるイヴォン・シュイナードが、看板を下ろし、事業からの撤退を決断する契機となった。さらに、その後のアメリカの登山界に、法的、金銭的な影響を与えつづけることにもなったのだった。

 アメリカ合衆国国立公園局の資料によれば、ジム・ブリッドウェルの講習は開始の時点ではなんら変わったところはなかったという(ブリッドウェル自身はこれについてはコメントしていない)。受講者たちはその朝、練習用の岩場で、基本的なロープの結び方、ビレイ(安全確保)のとり方と金具の固定法などのおさらいをしながら、短いクライミングを2本こなすという上々の滑り出しだった。昼食のあと、それぞれの体をロープでつないだ彼らは、ブリッドウェルの先導のもと、エクザム・マウンテンガイドサービス中級者コースの総仕上げにあたる、「ホール・イン・ザ・ウォール」と呼ばれる難易度5・7の3ピッチのルートにとりかかる。最初の2ピッチは順調に進み、午後2時、5人の男たちはこのルートの名前の由来でもある、花崗岩の壁に深く刻まれた穴にできたレッジ(足幅程度の狭い岩棚)の上に身を寄せ合った。頭上の難所をどう攻略するかに頭を悩ませている初心者クライマーにとっては、狭苦しいうえに無防備で恐ろしい場所だ。実際、キャリントンも怖いと漏らしている。

 ブリッドウェルは彼を慰めたあと、全員がしっかりとアンカーにつながれていることを確認すると、穴から出て、最後の急斜面を登り、ルートのてっぺんにたどり着いた。次にロープにつながっているのはキャリントンだ。彼は3人の仲間に「装備をチェックしろよ!」と声をかけたあと、ピンと張ったロープで安全を確保しながら登りはじめる。だが、小さな出っ張りに手をかけてぎこちなくリッジを出発したあと、穴からいくらも行かないうちに「つかんでくれ!」と叫ぶと、仲間たちの目の前で急に岩肌から手を離してしまった。だが、あらかじめこうした事態を想定していたブリッドウェルがすぐにロープを締めたため、せいぜい50センチ程度滑落しただけで済んだ。

 いったん安全な穴に戻ったキャリントンは、心を落ち着けてもう一度挑戦した。ふたたびぎこちなくリッジから這い出したものの、穴から1メートルも行かないうちにまたしても岩肌から手を離してしまった。そのとき10メートルほど上にいたブリッドウェルは、彼が「落ちる!」と叫ぶのを聞いた。

「一瞬、ロープが強く引っ張られたが、そのあとはなんの手応えもなかった」。国立公園局の調査官に対して、ブリッドウェルはそう答えている。「だから、エド(キャリントン)が岩に取り付いたのかと思った。でも何かが違う。そう思って下を見たら、彼が落ちていくところだった」。ぞっとしたブリッドウェルの目に映ったのは、なぜかロープから切り離されたキャリントンが、岩肌にぶつかって跳ね返る姿だった。落ちはじめた瞬間はまっすぐな姿勢を保っていたので、何かにひっかかって何事もなかったかのように元の状態に戻れるのではないかと思えた。だが、ほどなくして、崖に激突して逆さまになった彼の体は人形のように回転し、何度も岩壁にぶつかってシャワーのような落石を引き起こしながら、地面に向かって勢いよく落ちていった。崖の下までだけでは済まず、山の麓でピーター・レヴというインストラクターの周りに集まっている、何も知らないほかのクラスの受講者のところまで吹っ飛んでいくのは間違いなかった。

 ブリッドウェルはショックを受けながらも、なんとか下にいる者たちに警告を発する。それに気づいたレヴ(エクザム・マウンテンガイドサービスの共同オーナーでもある)は、4人の受講生に逃げろと叫ぶ。「本当に恐ろしかった」と、いまだにそのときの記憶にさいなまれている彼は振り返る。「キャリントンはとても体が大きくて、体重は90キロを超えていた。実際、彼が落ちたとき、地面が震えたよ。すんでのところで身をかわしていなければ、私は死んでいただろう」

 キャリントンの体は50メートルほど滑落し、崖の下で一度跳ねて、その下の木の枝にひっかかった。レヴは生徒の一人をジェニー湖のほとりのボートデッキまで助けを呼びに行かせると、キャリントンのもとに駆け寄る。ほどなくして救急救命士の訓練を受けた生徒も駆けつけた。キャリントンは頭にひどい傷を負っており、生体反応がまったくなかった。ブリッドウェルの生徒たちも一人ずつ、レッジからラペリングで降りていく。最初に地面に降り立った、被害者の義理の兄であるジェームス・マクラフリンに、レヴはこう告げざるをえなかった。エドワード・キャリントンは、この転落によって明らかに首が折れ、亡くなっている、と。

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WILDERNESS AND RISK 荒ぶる自然と人間をめぐる10のエピソード

ベストセラー『荒野へ』(1996年)、『空へ−悪夢のエヴェレスト-』(1997年)で知られるジャーナリスト、ジョン・クラカワーの初期エッセイをまとめた『WILDERNESS AND RISK 荒ぶる自然と人間をめぐる10のエピソード』が発売された。 ビルの高さの大波に乗るサーファー、北米最深の洞窟に潜るNASAの研究者、 70歳ちかくなってもなお、未踏ルートに挑み続ける伝説の登山家・・・。 さまざまな形で自然と向き合う人間模様を描き出す10編の物語から、 1986年に起こったクライミング事故を通して、訴訟社会アメリカの姿を 浮き彫りにするストーリーを、本書から一部抜粋して紹介しよう。

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