日本植物学の父が見つめ表わした植物と山のエッセイ集『牧野富太郎と、山』 【書評】

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評者=若菜晃子

牧野富太郎と、山

著:牧野富太郎
発行:山と溪谷社
価格:990円(税込)

 

最近知人から勧められて始めたお灸に使うもぐさが、ヨモギの葉の裏の毛を集めたものだと初めて知ったので、本書の〈萌え出づる春の若草〉のヨモギの項をまず読んでみた。

そこには、摘み草としてのヨモギは「餅に入れて食べるよりほかしようがない」といささか消極的な意見が書かれていた。牧野先生は餅を好まなかったのだろうか。読み進めると、よもぎ餅の起源は、質の高い餅米が作れなかった時代に、つなぎとして草を入れたのがおこりで、その草も当初はハハコグサを用いていた、とある。たしかにハハコグサにも細かい毛が生えていたなと図鑑を調べると、やはり葉の両面が毛に覆われていた。なるほどこれをつなぎにしたのだ。さらにヨモギのほうが香りよく手に入りやすいことから、一般に使われるようになったという。ヨモギの葉の裏の銀色の毛がお灸のもぐさだけでなく、餅のつなぎにもなると知れたのはうれしい。

ヨモギは端午の節句でもショウブとともに湯船に入れて無病息災を願うし、アイヌの間でも魔物を払う神聖な草として用いられる。ほかにも多くの薬効をもつ植物として古くから知られてきた。ふだんはただそこにあるものとしか見ていない植物も、人はその恩恵を長い間享受しながら生きている。

植物学者牧野富太郎は、日本中を旅して植物に相対し、観察し採集し記録し、その名を冠する図鑑にまとめ、近代日本の野生植物研究の礎を築いた。本書は山野を歩いて記した文章が中心だが、古文調で学術的な視点や意見も挟まれ、やや難しく感じるものもある。しかし興味ある一編を読むだけでも、これまで知らなかった、気づかなかった植物の世界が見えてくる。

あるいは高知県佐川での幼少期、シイの林を落ち葉を踏んで歩いていて、「フットボールほどもある白い丸い玉」が頭を出しているのに出合い、恐る恐る近寄って、じっとして動かない「白い大きな玉を手で撫でて」みる場面などに、後年の活動の片鱗がすでに表われていて、深い味わいがある。

牧野は巻末の〈植物と心中する男〉でこうも言う。「少し位知識を持ったとてこれを宇宙の奥深いに比ぶればとても問題にならぬほどの小ささである」と。碩学の徒の多くは同じ意の言葉を語る。ある分野に生涯を賭した人が達する境地なのだろう。彼は続けて言う。「ただ死ぬまで戦々兢々として、一つでも余計に知識の収得に力むればそれでよい訳です」

読者は、生涯を植物と過ごした牧野から、山上で道端で地上のあらゆる場所で、今も人知れず生きている植物について、知識という人生を彩る花を一輪か二輪、受け取るのである。

 

評者=若菜晃子

わかな・あきこ/編集者。『mürren』編集発行人。『山と溪谷』副編集長を経て独立。山や自然、旅に関する書籍などを手掛ける。著書に『街と山のあいだ』『旅の断片』(アノニマ・スタジオ)ほか。

山と溪谷2023年5月号より転載)

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