「あの楽器」の音に似ている!? ザトウクジラが奏でるラブソングの謎

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すべての生物にとって「生きること」は結構大変だけど、それだけで素晴らしいこと。 ザトウクジラは、なぜソングを歌うのか? ヤギの交尾が一瞬で終わる切実な理由とは? ヒトはもともと難産になりやすい? 求愛の悲喜こもごもから交尾の驚くべき工夫、妊娠・出産の不思議、環境に適応した多様な子育ての方法まで、めちゃくちゃ面白くて感動する動物の繁殖のはなしを集めた『クジラの歌を聴け』(山と溪谷社)が発刊されました。本書から、一部を抜粋して紹介します。

 

 

聴覚に目をつけたザトウクジラ

陸上の動物は、視覚や嗅覚をフルに活用しながら求愛戦略を練ることが多い。一方、太陽光のほとんど届かない海の中では、視覚はさして役に立たない。嗅覚も、水中ではニオイの分子の拡散速度が遅く、十分に働かない。

そこで、流行りのラブソングを歌い、聴覚を利用してメスにアプローチする海の動物が現れた。その代表格がザトウクジラである。水中での音の伝搬速度は大気の4倍ともいわれており、より遠く、より速くソングを響かせることができるのである。

ザトウクジラはナガスクジラ科の一種で、世界中の海に生息する。赤道を挟んで北半球に生息する群と、南半球に生息する群に大別でき、それぞれさらに複数の群に分かれるが、すべてのザトウクジラに共通するのは、毎年数千キロメートルに及ぶ季節性の大回遊を行うことである。

北半球では、暖かい季節(初夏から初秋)は、エサが圧倒的に豊富な寒い高緯度の摂餌海域で、むさぼるようにエサを食べて体に栄養を蓄え成長し、寒い季節(晩秋から初春)が近づくと、暖かい低緯度海域へ移動して繁殖活動を行い、春になると再び高緯度の海域へ戻っていく。

そうした回遊を毎年繰り返している。日本近海では、初秋から早春にかけて、沖縄や小笠原諸島周辺でザトウクジラの姿を目にすることができるが、この一群は約5000キロメートルも離れたベーリング海から、出産・子育てを目的にやってくる。

オスもメスも長旅に備え、ベーリング海にいる間に、オキアミやイカナゴ、タラ、カラフトシシャモ、カタクチイワシなどの群性生物を「これでもか」というほどたらふく食べる。エサの豊富な海域で体にたっぷり栄養を蓄えたザトウクジラは、秋を迎える頃、約30〜40トンもの巨体を揺らしながら、時速5〜15キロメートルで大海原を泳いで5000キロメートル先のハワイや沖縄、小笠原諸島という繁殖海域へ向かう。

その道程で、ザトウクジラのオスたちは、求愛のためのソングをつくり上げていくのである。

 

まだ見ぬ相手に出会うための歌

ザトウクジラのソングは、複雑な階層で構成されている。少し専門的な話になるが、ザトウクジラのオスは、繁殖期になるとどこからともなく、ある規則をもって発せられるいくつかの音の連なりと定義される「ソング(歌)」を奏でるようになり、これが反復されると長時間の鳴音となる。

音の最小単位をユニットと呼び、ユニットがいくつかのかたまりをつくりだして、サブフレーズやフレーズを形成する。同じフレーズがテーマを構成し、フレーズが異なって出てくると、それに伴いテーマも変化する。このいくつかのテーマが集まって「ソング」を形成するようだ。

このような「ソング」は、ザトウクジラほど複雑な構造ではないものの、同じヒゲクジラ類のシロナガスクジラ、ナガスクジラ、ホッキョククジラ、ザトウクジラ、ミンククジラも奏でることが知られている。

ヒゲクジラ類は、ハクジラ類の行うエコロケーション(自ら発した超音波の反響により、自分の位置や周囲の物体との距離、方向などを認知する方法)を行わないため、ハクジラ類の発する「鼻声門(フォニック・リップス)」や、その鳴音を調整する音響脂肪の「メロン」は存在しない。

そのため、ソングをどこから発しているのかは、いまだに明確には解明されていない。繁殖時期にオスだけがソングを奏でることから、メスに対する求愛行動の一つであることは明らかだが、実際にどのように活用されているのかは未解明な部分が多いのが現状である。

ザトウクジラのソングは、毎年変化する。つまり、繁殖期の初めの頃には、前年と同じようなソングを歌っていた個体も、誰かが新しい歌を奏でるようになるとすぐに覚えて、その繁殖海域のザトウクジラはみな同じソングを奏でるようになり、流行歌が生まれる。

いったい誰が最初に歌い始めて、それがどうやって広まるのか、そのメカニズムは今でも研究されている。ただ、北半球では西から東の海域へ伝わることが確認されている。つまり、摂餌海域からこの歌合戦は始まっているようなのである。

ザトウクジラのオスが、求愛戦略として他のクジラと一線を画す複雑なソングを歌い始めた背景には、大規模回遊を行うことが深く関係すると考えられている。繁殖海域へ向けて回遊する際、ザトウクジラは20〜30頭で移動するが、固まって移動するわけではなく、おのおの自分のペースで進む。

ゴールの繁殖海域は決まっているものの、繁殖海域に到着してからメスを探したのでは、ライバルがわんさかといて、遅きに失する可能性が高い。ゴール地点までに少しでも早くメスに出会ったほうが断然有利になるが、広い大海原でオスとメスが出会うのは、そう簡単なことではない。

そこで、繁殖海域へ向かう途中でメスに気づいてもらえるように、ザトウクジラのオスは、自慢の複雑なソングを奏でて「ボクはここにいるよ」とメスにアピールすることにしたと考えられる。その歌声は、およそ3000キロメートル先まで響くといわれている。

 

オスの優しさを利用するメス

オスの必死の努力とは裏腹に、繁殖期のザトウクジラのメスは、何もしなくてもとにかくモテモテである。メスの周りには複数のオスが集まり、一夫多妻ならぬ〝一妻多夫〞の様相を呈する。確実に子孫を残すためにメスは何頭ものオスと交尾をし、妊娠して出産したあとは子育てに専念する。

子連れのメスは、基本的に発情することはない。子どもが生まれると、分泌されるホルモンが切り替わるからだ。発情している間は、女性ホルモンの一種であるエストロゲン系のホルモンが多く分泌されるのに対し、子育て中は乳汁分泌を促すプロラクチンや、愛情ホルモンとも呼ばれるオキシトシンなどが多く分泌される。

このホルモンの影響で「オスより我が子!」のモードになり、オスのことはまったく眼中になくなる。しかし、そんな子育て中のメスの周りにも、常に数頭のオスが寄り添い、ソングを歌い続ける様子が見られる。陸上の哺乳類のオスに見られる「子殺し(別のオスの子どもを殺してメスの発情を促す行為)」などは行わず、それどころか、子連れのメスを見つけると母子を共に守るような行動を示す。

そうしたオスは「エスコート」と呼ばれ、母子クジラが波風の少ない浅瀬や島影などへ行けば、エスコートのオスも大きな胸ビレを巧みに操って、母子に危険が及ばないように注意しながら並走するのである。ザトウクジラのオスの徹底した〝ジェントルマン〞の対応は、まさにエスコートの呼称がふさわしい。

もちろん、オスたちも無償で母子をエスコートしているわけではない。母子を守りながら交尾のチャンスを虎視眈々と狙い、わずかな確率に賭けるのである。実際にエスコート役のオスが交尾する行動が繁殖海域で見られることはあるが、それが妊娠に繋がっているかどうかは定かでない。

そんなオスを尻目に、子連れのメスはエスコートされることを当たり前と受け止めているのか、オスに守られながら子育てを完遂する。その年に交尾できなかったオスは、翌年までチャンスをもち越すことになる。不憫な気もするが、「来年こそは」というオスの強い思いが、他のクジラに真似できない特有の複雑なソングを生み出す原動力になっているのかもしれない。

ザトウクジラの優しさは、繁殖活動以外の場面でも散見される。たとえば、繁殖海域で子育てをしていた母子クジラが、春になってエサの豊富な海域へ移動する際、子どもはまだよちよちの幼い場合が多い。そんな母子を摂餌海域で待ち伏せしているのが、Killer whale と呼ばれるシャチである。

カナダの研究チームが撮影に成功したケースでは、メキシコの近海からベーリング海の近くまでやっとの思いでたどりついたコククジラの親子に対し、突如どこからともなくシャチの群れが猛スピードで襲いかかろうとした。しかしその瞬間、こちらもどこからともなく数頭のザトウクジラが現れ、コククジラの母子をかばうようにシャチとの間に分け入った。

その結果、あのシャチですら止むなく退散したという。間一髪でコククジラの母子は助かり、ザトウクジラたちは何事もなかったかのように、その場をスーッと立ち去ったそうだ。まさに、ヒーロー中のヒーローである。

ザトウクジラのソングは、繁殖海域の沖縄や小笠原諸島で、素潜りすれば生のソングを聞くことができるし、ハイドロフォン(水中マイク)を搭載した観光船に乗れば、スピーカーから今年流行りのソングも耳にすることができるかもしれない。

ザトウクジラのソングは、音に高低差や強弱があり、長い音や短い音の繰り返しで、楽器の中ではビオラやオーボエの音色を彷彿させる。ザトウクジラのソングを愛してやまない私は、その鳴音を聴くとすぐに涙腺が崩壊してしまう困った事態に陥る。

ソングを奏でているクジラに素潜りで近づいていくと、音が聞こえるだけでなく、身体にその振動も伝わってくることもしばしばであり、まさに、天然のドルビーサラウンド効果であろう。

 

※本記事は、『クジラの歌を聴け 動物が生命をつなぐ驚異のしくみ』(山と溪谷社)を一部抜粋したものです。

 

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note「ヤマケイの本」

山と溪谷社の一般書編集者が、新刊・既刊の紹介と共に、著者インタビューや本に入りきらなかったコンテンツ、スピンオフ企画など、本にまつわる楽しいあれこれをお届けします。

クジラの歌を聴け

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