作家・北杜夫が愛した上高地の昆虫とは? 河童橋近くの小梨平で考えたこと

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文・写真=昆野安彦

作家と呼ばれる人のなかにも、いわゆる昆虫マニアと呼ばれる方がいる。私が知るそうした作家のなかで、もっとも有名なのは北杜夫さんだろう。北さんについて少し紹介すると、「夜と霧の隅で」で芥川賞を受賞した小説家であるが、実体験を元にした洒脱なエッセイストとしても知られる。とくに「どくとるマンボウ航海記」に端を発するマンボウシリーズは北さんの代表的作品群だ。

私が中学生の頃、すでに出版されていた「どくとるマンボウ昆虫記」は、昆虫少年だった私のいちばんの愛読書だった。なかでも、北アルプスの昆虫の話は東京で近所の昆虫を相手にしていた私には夢のような内容で、いつかは自分も北アルプスに登って昆虫を追いかけてみたいと思っていた。この想いは後年叶えられるのだが、私の夢の実現には北さんの本が果たした役割はとても大きい。

ところで、昆虫マニアと一口に言っても、対象とする昆虫にはそれぞれの人によって違いがある。蝶だけを集める人もいれば、蛾だけを集める人もいる。北さんはと言うと、コガネムシなどのコウチュウ目昆虫の熱心な愛好者だったことが知られている。コウチュウ目というのは、前翅が硬い昆虫のグループの総称で、カブトムシやカミキリムシなどが含まれる。

北さんは旧制松本高校(現在の信州大学)の学生時代に登山や昆虫を目的に上高地に通われていたため、上高地には特別の愛着があったようである。たとえば、お嬢様の斎藤由香さんのエッセイ「父、北杜夫が愛した上高地」(『山と溪谷2020年5月号増刊』に所収)には、奥様(喜美子さん)の北さんの思い出としてこんなくだりが紹介されている。

梓川の岸辺に咲くヨツバヒヨドリの花にとまるアサギマダラ。昆虫マニアだった北杜夫さんは旧制松本高校の学生時代から上高地をよく訪れていたそうである

「四月にパパと結婚したけど、喜美子に上高地を見せたいといって、二人で六月には上高地を訪れているの(以下、略)」

「パパは昆虫マニアだったから、花に群がる花カミキリをたくさん捕まえた(以下、略)」

新婚早々、美しい上高地を奥様にも見せたいという、北さんの優しい気持ちがよく伝わるエピソードである。

北さんが夢中になった花カミキリ(一般にはハナカミキリと呼ぶ)とはどんな昆虫なのだろうか。ハナカミキリは、コウチュウ目カミキリムシ科ハナカミキリ亜科の総称で、大部分の種の成虫が春から夏にかけて花に集まり、その花粉を食べる生態で知られている。大きさは1~2cm程度の小型の種が多いが、黄色や赤色の斑紋がとても綺麗な種が多い。

では、北さんは上高地でどんなハナカミキリに出会ったのだろうか。ご一緒したわけではないので想像の域を出ないが、以下、私が上高地でよく見かける種類を写真で紹介してみることにする。いずれの種も小梨平キャンプ場や河童橋周辺に咲くオニシモツケ(バラ科)とノリウツギ(アジサイ科)の花での撮影である。

北さんも訪れたであろう小梨平。キャンプ場が併設されており、7~8月になると、オニシモツケやノリウツギの白い花でハナカミキリやハナムグリを観察できる
小梨平に咲くノリウツギの白い花。この花には北さんの大好きなハナカミキリやハナムグリの仲間がよく集まる

カラカネハナカミキリ、ヤツボシハナカミキリ、マルガタハナカミキリは上高地ではもっともよく見かけるハナカミキリ。なかでも、カラカネハナカミキリはその金属光沢が青や緑色に輝くとても美しい種である。

オニシモツケの花にとまるカラカネハナカミキリ。カラカネ(唐金)は青銅のことで、その金属光沢の色彩から付けられた名前である
オニシモツケの花にとまるヤツボシハナカミキリ。黒い斑紋が八個あるのが名前の由来だ
ノリウツギの花にとまるマルガタハナカミキリ。他のハナカミキリに比べてやや丸みを帯びているのが名前の由来だ

キヌツヤハナカミキリは臙脂(えんじ)色がとても美しいハナカミキリ。上高地では比較的珍しく、その分、巡り合えた時の喜びは大きい。

ノリウツギの花にとまるキヌツヤハナカミキリ。臙脂色がとても美しい。上高地では比較的珍しい種類である

北さんはコガネムシの熱心な愛好家だったことが良く知られているが、上高地のノリウツギの花にはハナカミキリ同様、花粉を目当てにコガネムシの仲間も集まる。花に潜るようにして花粉を食べることから「ハナムグリ」と呼ばれているが、北さんも無数のハナカミキリに混じってその姿をきっと見ているはずだ。

それは恐らくアオアシナガハナムグリ。青い体に等間隔に並んだ白い点がとてもお洒落な感じのするハナムグリだ。山地性で比較的珍しい種類だが、上高地ではノリウツギの花を注意すると見つけることができる。

ノリウツギの花にとまるアオアシナガハナムグリ。北杜夫さんが大好きだったコガネムシの仲間である。大型の美しいハナムグリとしてコガネムシ愛好家の人気が高い。きっと北さんも見ているはずだ

以上、北さんも見たであろう上高地のハナカミキリとコガネムシについて紹介した。上高地ではハナカミキリは白い花に集まる傾向があり、今回紹介したノリウツギとオニシモツケにはハナカミキリの仲間がよく群がっている。上高地に行かれた際は、こうした白い花に注意すると、北さんが愛した上高地の昆虫を見つけることができるだろう。

私のおすすめ図書

どくとるマンボウ 青春の山(ヤマケイ文庫)

この本は奥様があとがきに書かれているように、若き日の北杜夫さんがご自身の登山や自然観察の体験をもとに書かかれた作品で構成されています。これらの作品を読むと、とくに上高地や穂高の自然や昆虫については非常に博識で、北さんが自然観察者としても一流であったことが分かります。また、この本の最後を飾る自伝的作品「神河内」には大歌人・斎藤茂吉の子息として生まれた宿命と、それによる若き日の内面の葛藤も詩情豊かに描写されており、人間・北杜夫を知る上で極めて重要な一冊だと思います。

北杜夫
発行 山と溪谷社(2019年刊)
価格 880円(税込)
詳細を見る

プロフィール

昆野安彦(こんの・やすひこ)

フリーナチュラリスト。日本の山と里山の自然観察と写真撮影を行なっている。著書に『大雪山自然観察ガイド』『大雪山・知床・阿寒の山』(ともに山と溪谷社)などがある

ホームページ
https://connoyasuhiko.blogspot.com/

山のいきものたち

フリーナチュラリストの昆野安彦さんが山で見つけた「旬な生きものたち」を発信するコラム。

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