北アルプス・上高地の最近のクマ事情。ツキノワグマはどこにいるのか。そして、私のクマ対策と、とくに気をつけていること

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文・写真=昆野安彦

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2023年9月27日12時頃、上高地・岳沢湿原の遊歩道(木道上)で、明神池方向に一人で歩いていた男性が、木道脇から突然現われたツキノワグマに襲われる人身事故があった(信越自然環境事務所報道発表資料より)。上高地では2020年8月に小梨平キャンプ場で就寝中の方が襲われる事故があったが、遊歩道での事故は今回が初めてと思われる。

私は毎年上高地で自然観察を行なっているが、今回の記事では現地での観察を通して感じた上高地の最近のクマ事情と、私のツキノワグマ対策について、ポイントごとに紹介したい。

オスのツキノワグマ(飼育個体)。クマの前肢の爪は非常に鋭く、素手ではその攻撃をかわすのは容易ではない

上高地に滞在中は大正池から横尾までの範囲内のどこかを毎日歩いているが、この3年間でクマを見かけたのは僅かに一度だけだ。この事実は、上高地でクマと遭遇することが、そう一般的ではないことの証左となるだろう。

ところが上高地ビジターセンターのホームページにある「クマ目撃情報」を見ると、春から秋にかけて連日のように目撃情報が掲載されている。これはどういうことだろう。

上高地では毎日少なくとも数百人かそれ以上の観光客や登山者がほうぼうを歩き回っており、単純に人の目が多ければ多いほど、クマが目撃される確率が高くなるからだろうと思う。たとえば、もし私が上高地に千人いたとすれば、1日に1回くらいはクマを目撃する一人の私がいるだろう、ということだ。

河童橋と明神の間の遊歩道(梓川左岸)にあった上高地のクマの糞(2023年5月18日撮影)
河童橋と明神の間の遊歩道(梓川左岸)にあった上高地のクマの糞(2023年5月18日撮影)。新鮮な植物を食べたと思われ、全体に若草色をしている

クマのよく出るホットスポット

上高地ビジターセンターの「クマ目撃情報」には、目撃された日時と場所が集約されている。私は年間10日以上目撃された場所をクマのよく出る「ホットスポット」と呼んでいるが、2023年の上高地では4カ所がそのホットスポットに該当すると思う。すなわち、古池(ふるいけ)付近、西穂高岳登山口付近、田代湿原、それに事故の起きた岳沢湿原だ。

クマがよく出る4カ所のホットスポット(古池、岳沢湿原、西穂高岳登山口付近、田代湿原)の概略図(著者作成)
上高地のクマがよく出る4カ所のホットスポット(古池、岳沢湿原、西穂高岳登山口付近、田代湿原)の概略図(著者作成)

この4カ所に共通することは、いずれの場所も湿地が遊歩道の脇、あるいは近くにあることだ。上高地でのクマのおもな餌は植物と思われるが、湿地にはクマの好みそうな植物が繁茂し、湿地の周囲には身を隠すのに都合のいいササ原や木々が繁茂している。こうした点で、ホットスポットはクマが自身の生活の基盤をおく上で好都合な場所になっていると思われる。

古池付近(2023年6月撮影)
ホットスポットの古池付近(2023年6月撮影)。道に沿って水辺環境があり、クマの好む植物が豊富にあると思われる

ホットスポットでは今後もクマと遭遇する確率が高いと思われるので、この付近を歩く場合はとくに注意が必要だろう。また、4カ所のホットスポットは互いに離れていることから、上高地には複数の個体が分散分布していると思われる。

西穂高岳登山口(2021年5月撮影)
西穂高岳登山口(2021年5月撮影)。周辺はシナノザサが広く林床を覆い、クマの移動ルートになっている可能性がある

岳沢湿原

私がとくに危ないと思うホットスポットは岳沢湿原と田代湿原だ。見通しの悪い湿地帯の中に遊歩道が設置されているからだが、今回の事故のように突然茂みからクマに襲われたら逃げようがない。

岳沢湿原の遊歩道を歩くときはいつもどこかにクマの気配がするので、私はこのルートはあまり使わないようにしている。けれども、河童橋から岳沢に登るときはこのルートを通って行かざるを得ない。

岳沢湿原では遊歩道と並行して山小屋や工事関係者の車両が通行する車道が山側の一段高い位置に作られている。車が2台すれ違える見通しのよい道なので、単に河童橋と明神の間の梓川右岸を歩くのが目的なら、この車道を歩く方がクマ対策には安全だと思うが、所々に設置されている「歩行禁止」の看板を見る限り、歩行者の通行は原則禁止されているようだ。

岳沢湿原の遊歩道でクマの目撃情報があった場合は、歩行者にも車道の歩行が許されるなど、今後、検討していただけると有難い。

岳沢湿原(2021年6月撮影)
ホットスポットの岳沢湿原(2021年6月撮影)。2023年9月27日にクマによる事故が起きた場所だ。クマの好む植物が水辺に豊富にあると思われる

田代湿原

田代湿原には遊歩道が2つあり(林間コースと梓川コース)、たとえば行きと帰りは別のコースを歩くことができる。私が危ないと思うのは見通しの悪い林間コースの方で、その理由はクマの生息するササ原や湿原に木道を含む遊歩道が設置されているからだ。

林間コースはクマがよく出るので、できれば梓川コースだけを利用するのが安全と思うが、林間コースを歩かれる場合は、クマ鈴の携行など、特段の注意が必要だろう。

小梨平キャンプ場

小梨平キャンプ場はバスターミナルから15分ほどの歩行で行けるので、シーズン中は外国人も含めて多くのキャンパーで賑わう。2020年の事故後、クマの移動ルートとなるササの刈り払い、食料庫の設置、ゴミ管理の徹底、利用者へのクマ情報の周知(レクチャー)、BBQの禁止など、多くのクマ対策が実施されている。

その甲斐あって事故は起きていないが、クマは24時間自由に行動しているので、時折、キャンプ場周辺でもクマが目撃されている。この記事のクマの糞の写真も、キャンプ場から1キロほど先の遊歩道での撮影だ。クマの生息地の中の野営場ということで完全なクマ対策は難しい面もあるが、利用者全員がルールを守ってキャンプすることが大事だろう。

小梨平キャンプ場の食料庫(2021年5月撮影)
小梨平キャンプ場の食料庫。テント宿泊者は、食料をこの中に保管することが義務づけられている(2021年5月撮影)

上高地でクマに遭わないために

次に、上高地での一般的なクマ対策について書いてみる。岳沢湿原での人身事故のあとに発表された信越自然環境事務所の報道発表資料(2023年9月29日発表)では、上高地の歩道を歩く場合は、事前に人が近づくことをクマに知らせるためにクマ鈴の携帯が推奨されている。

クマ鈴の有効性について

私もクマの出そうな場所を歩く時はクマ鈴を鳴らしているが、クマ鈴の有効性についてはこんな経験をしている。

2023年7月24日10時頃、私はホットスポットの一つである田代湿原の林間コースを田代湿原方面に向かってゆっくり歩きながら生きものの調査を行なっていた。クマ鈴を鳴らしていたが、途中、クマ鈴を持っていない女性二人のハイカーとすれ違った。

挨拶をして別れたが、およそ2分後、その女性陣が青い顔をして戻ってきた。聞くと、100mほど先でクマと出会ったという。私も驚いた。先ほどまで私もいた場所だからだ。

もしかするとクマは私が立ち去るのを待って移動を始め、クマ鈴を持っていない女性陣とばったり出会ったのかもしれない。なお、このお二人については、もう一つのコースである梓川コースに誘導して別れた。

私はクマ鈴で100%被害を防げるとはとても思っていないが、このケースの例では、ある程度は有効である可能性を示していると思う。

田代湿原(林間コース、2022年10月撮影)
ホットスポットの田代湿原(林間コース、2022年10月撮影)。この遊歩道沿いでハイカー2人がクマと遭遇し、私のもとに引き返してきた(本文参照)

ササの刈り払い

クマは自身の姿が周囲からなるべく見えないように、ササ原や藪の中を移動すると言われている。そのため、最近の上高地ではササの刈り払いが実施されている。小梨平キャンプ場では環境省の指導のもと、テント場のすぐ近くまで生い茂っていたササの刈り払いが行われ、現在はとても見通しがよくなっている。

小梨平キャンプ場内を流れる中川の岸辺では、クマの通り道となるササの刈り払いが行われている(2023年6月撮影)
小梨平キャンプ場内を流れる中川の岸辺では、クマの通り道となるササの刈り払いが行われている(2023年6月撮影)

外国人への周知

コロナが沈静化した2023年に上高地を訪れた外国人の数は、それ以前に比べて大幅に増えたように感じる。たとえば、河童橋と明神の間の遊歩道ですれ違う人の約半数が外国人という日も経験している。話す言葉を聞いていても、欧米、アジアと多岐にわたる。

これらの外国人に共通しているのはクマ鈴を携帯している人がごく少ないことで、果たしてどれだけの人がクマの怖さやクマ対策の知識を得ているのかと思う。

遊歩道にはクマ情報の看板が設置されているが、看板を見なかったり、文言を理解できない人もいるだろう。岳沢湿原での被害者が外国人であっただけに、いかにクマ情報をすべての人に周知するかも課題になるだろう。

クマ目撃情報看板(2023年7月撮影)
クマ目撃情報看板(2023年7月撮影)。上高地ではクマが目撃されると、日本語と英語の併記による注意看板が目撃地点付近に設置される

警鐘の設置

上高地自然管理官事務所が発行した「上高地地域のツキノワグマ対策実践マニュアル(令和4年4月)」には、クマ対策として警鐘の設置が検討されている。

私が実際に警鐘を見ているのは徳沢の2基だが、見通しの悪い場所やホットスポットなどには設置を検討した方がいいのではと思う。

徳沢の遊歩道に設置されている警鐘(2023年6月撮影)
徳沢の遊歩道に設置されている警鐘(2023年6月撮影)

私のクマ対策

上高地に行く前はもちろん、いるときも、クマ目撃情報をチェックし、危なそうな場所を回避している。

クマが出そうな場所ではクマ鈴とホイッスルを携帯している。クマ撃退スプレーは大雪山で使うので持っているが、上高地ではまだ携帯したことがない。また、上高地ですれ違う登山者やハイカーで、持っている人を見かけたこともほとんどない。

クマ撃退スプレーは腰に下げればさほど邪魔にならないので、今後のクマの出没状況によっては、上高地でも携帯してみようと思っている。

蝶ヶ岳に登るために夜中の3時頃に小梨平キャンプ場を出発することがあるが、クマ鈴とヘッドライトだけでは不安なので、トレッキングポールを一本手にして夜道を歩くようにしている。暗闇の中でクマが突然目の前に現われた場合を想定すると、何も手にしていないよりは、多少は安心感がある。

私のクマ対策グッズ
私のクマ対策グッズ。①クマ撃退スプレー、②クマ鈴、③ホイッスル、④トレッキングポール、⑤晴雨兼用の日傘(全長67cm)。すべてを同時に携行することはなく、適宜必要なものを選んでクマの生息地に入っている

晴雨兼用の日傘

最近の日本の夏はとても暑いので、ふだんもクマの出没する自宅近くの里山歩きでは、晴雨兼用の日傘を携帯している。SNSを検索すると、傘がクマに有効かもしれないという記事が幾つかあるが、私も広げた傘はクマの最初の一撃をかわすのに有効かもと思い、夏の上高地でもときどき携帯している。

私の日傘は持ち手がJ字型で、撮影などのときに両手をあけたい場合はザックのショルダーストラップに持ち手をかけられる。実際にはクマの攻撃には役立たないかもしれないが、藪から突然クマが現われた場合を想定すると、素手よりは幾分はいいだろうと思っている。

この日傘は日用品を扱う店で購入したが、アウトドアメーカーで同じタイプの、より堅牢なものを作っていただくと有難い。販売されれば、購入したい方は多いのではないかと思う。

その他

上高地では夕方5時を過ぎると、遊歩道を歩く人の数が急に減少する。この時間帯に徳沢から小梨平まで歩いたことが何度かあるが、誰もいないのでクマの出没が不安だった。この時間帯のクマ目撃情報は少なくなく、夕刻に歩くときはとくに気をつけている。

最近、YouTubeなどの動画サイトで、山の中で実際にクマに襲われた方の映像を見ることができるが、これらを見ると、クマがその気になったら、どんな対策をしていても完全に防ぎきるのは難しいように思う。

このため、上高地でのクマ対策は出会いがしらに遭遇しないなど、クマとの接近をできるだけ回避することが基本になるだろう。今回の記事が、上高地を歩く方々への参考になれば幸いである。

私のおすすめ図書

人を襲うクマ(ヤマケイ文庫)

人を襲うクマ(ヤマケイ文庫)

この本はクマによる人身事故の実態について、被害者を中心に入念な聞き取り調査をもとにまとめたものです。ヒグマに関しては1970年の日高山脈における学生遭難の1例、ツキノワグマに関しては2007年~2017年におきた本州各地の山や里山での7例が紹介されています。実際に襲撃を受けた方々の証言は貴重で、クマがいかに手ごわい相手であるかを再認識できます。クマ対策に絶対的なものはありませんが、この本を一読することで、クマとの危険を減らす手段やクマの生息地に入るときの心構えなどの理解が深まると思います。

著者 羽根田治
発行 山と溪谷社(2021年刊)
価格 968円(税込)
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プロフィール

昆野安彦(こんの・やすひこ)

フリーナチュラリスト。日本の山と里山の自然観察と写真撮影を行なっている。著書に『大雪山自然観察ガイド』『大雪山・知床・阿寒の山』(ともに山と溪谷社)などがある

ホームページ
https://connoyasuhiko.blogspot.com/

山のいきものたち

フリーナチュラリストの昆野安彦さんが山で見つけた「旬な生きものたち」を発信するコラム。

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