山小屋では下界以上にコミュニケーション能力が必要⁉ 山小屋の従業員ってどんな人?

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黒部源流の山小屋、薬師沢小屋で働くやまとけいこさんが、イラストとともに綴る山小屋暮らし。文庫版が発売された『黒部源流山小屋暮らし』(山と溪谷社)から一部を抜粋して紹介します。

文・イラスト=やまとけいこ

従業員十人十色

山小屋にはいったいどんな人が働きに来るのだろう。

きっと変わった人が多いのだろうな、なんて思っていたが、一緒に働いてみたら、まあそれほどでもなかった。たしかに独自の考えを持っている人が多いように思えるが、それは都会にあっても同じようなものだろう。人それぞれだから、ひとくくりにはできないが、基本は自然のなかにいるのが好きな人が多い。

最近の傾向としては、昔ながらの山屋風ではなく、牧歌的雰囲気をまとった、ノマド風な人が増えたように思う。山を下りたら何しよう、来年はどうしよう、といった感じだ。はたから見ていると、その時々を、明るく楽しく生きているように見えるが、しなやかでもあるし、強さも感じる。

これは世代的なものなのか、みんないい子だし、たいした問題も起こさない。以前はもっと、山で生きるんだ、というような意志を持っている人が多かったように思う。だから話だけとれば、昔の人たちの話は面白いし、そんな時代がちょっと羨ましくも思える。

そして昔はもっとおおらかだったのだろう。小屋の入り口に「夕方戻ります」と貼り紙をして小屋を空けたり、春山の薬師岳山頂から大滑降レースをしたりしたという。昭和のころの話だ。お酒もよく飲み、それにまつわる失敗談なんかもいろいろと聞いた。

飲みすぎて、定時交信に出るのをしょっちゅう忘れた某小屋番さん。寝込んで翌朝、お客さんに「朝食を作ってください」と起こされた。酔っ払って食堂の窓から外に落っこちたりもしたけれど、山では誰よりも強く、心優しく、従業員やお客さんから好かれた。

ビール歩荷の話も傑作だ。そのときは高天原山荘でビールが足りなくなり、薬師沢小屋からビールを歩荷することになった。せっかくだから登山道ではなく、沢沿いに行こうという話になり、従業員3人で黒部川本流を下った。立石という高天原との分岐の出合まで行き、天気もいいことだし、ちょっと休憩しようとビールを開けたが最後。そのまま宴会が始まり、3ケースあったビールは、いつの間にか2ケースになった。当然、高天原山荘で大目玉を食らう。

探検家の角幡唯介さんも学生のころ、太郎平小屋でアルバイトをしていたそうだ。なんでも早稲田大学探検部に所属していたときに、冬の薬師岳に来て、物凄く天候が悪く、太郎平小屋に避難した。そのとき、雪に埋もれた小屋の入り口がわからずに、やむをえず、2階の窓を破って中に入った。

春になり、従業員が小屋開けに来ると、2階の窓が破れ、冬の間吹き込んだ雪で、畳も布団もびっしょりになっていた。湿気もひどく、天井も張り替えねばならないような有様だった。誰の仕業かといっていたところに、自分がやってしまったので、働いてお返しします、と角幡さんが名乗り出た。

いまになっても律儀に、新しい本を出すと送ってくれるんだ、とマスターは笑う。角幡さんの人柄がうかがえるエピソードだ。

それはそうと、とにかくこの山小屋という場所においては、下界以上にコミュニケーション能力が必要になる。人と関わるのが苦手だから山に行く、というわけにはいかない。山であるより先に、ここは山小屋という閉鎖空間なのだ。それに関しては、私もいろいろと苦労したし、鍛えられたと思う。

なにせ赤の他人と朝から晩まで一緒なのだ。自分のスペースといえば、寝床くらい。薬師沢小屋においては、一畳と三分の一、天井高150センチ以下。上下段の相部屋である。小さな船の中で共同生活しているようなものだ。仲がよくなればよいが、悪くなったら目も当てられない。

太郎平小屋みたいに従業員の多い大きな小屋なら、まだ逃げようもあるが、3人程度の小さな小屋だと、逃げ場もない。おまけに電波もないときたら、外界にも通じることもできない。さて、どうすればいいのか。太郎平小屋、人事担当の一樹さんの元には、時折、通称「密書」と呼ばれる手紙が届くことがある。その手紙はおもに、内容を知らない常連客によって秘密裏に運ばれることが多い。

詳しい内容はわからないが、過去にあった密書には、小屋での不満や人事異動の希望が、綿々と書かれていたという。シーズン中、突然の人事異動があったときなど、事情を知らない各小屋では、さまざまなこの黒い想像を膨らませてしまうのである。

とはいうものの、まあたいていは平和に仲よくやっている。長いことこういう生活をしていると、ある種の寛容さを身につける。人それぞれなんだなあ、と感心したり、まあいいか、と諦めたり。逆に自分のなかの譲れない部分も見えてくる。

結局のところ、家族だろうが他人だろうが、一緒に暮らすのであれば、仲がよいに越したことはない。仕事の効率だって上がるし、精神衛生的にもよろしい。それにはやはりささやかな日々の積み重ねが大切だ。

自分のことよりも相手のことをまず考える気持ち。それを当たり前だと慣れてしまわない、ありがとう、という感謝の気持ち。人の悪口をいわないこと。朝の「おはよう」の挨拶。みんなでおいしいね、と一緒にご飯を食べる幸せ。

たったひと夏の疑似家族ではあるが、私にとっては大切な仲間との一期一会の日々である。次々と起こる事態を乗り越え、ともに笑って過ごすのだ。いろいろと苦労もあるが、楽しくないわけがない。自身、こうして毎年通ってしまうところを見ると、やっぱりこの薬師沢小屋が好きで、仲間との暮らしが好きみたいなのだ。

黒部源流山小屋暮らし

豊かな大自然、生き生きとした動物たちの姿、小屋のリアルな日常が目に浮かぶ。やまとけいこさんの名イラストエッセイ集『黒部源流山小屋暮らし』をついにヤマケイ文庫化!

やまとけいこ
発行 山と溪谷社
価格 1,100円(税込)
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プロフィール

やまとけいこ

1974年愛知県生まれ。山と旅のイラストレーター。武蔵野美術大学油絵学科卒業。29歳の時に山小屋のアルバイトを始める。シーズンオフは美術の仕事やイラストレーターとしての仕事をして過ごし、世界各地へ旅している。
イラストレーターとして『山と溪谷』などの雑誌で活動するほか、アウトドアブランド「Foxfire」のTシャツイラストも手がける。美術造形の仕事では、各地の美術館、博物館のほか、飲食施設等にも制作物が展示されている。著書に『蝸牛登山画帖』『黒部源流山小屋暮らし』(山と溪谷社)。

黒部源流山小屋暮らし

豊かな大自然、生き生きとした動物たちの姿、小屋のリアルな日常が目に浮かぶ。やまとけいこさんの名イラストエッセイ集『黒部源流山小屋暮らし』をついにヤマケイ文庫化! 記事では本書から一部抜粋して紹介。

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