がんばれ新人!ハラハラの山小屋シーズン初めから、いつの間にやら頼もしく成長

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黒部源流の山小屋、薬師沢小屋で働くやまとけいこさんが、イラストとともに綴る山小屋暮らし。文庫版が発売された『黒部源流山小屋暮らし』(山と溪谷社)から一部を抜粋して紹介します。

文・イラスト=やまとけいこ

新人を抱えて

私自身、長いこと薬師沢小屋の厨房長としてやってきたので、小屋番がいなくなってから、さて受付の仕事はどうしようかと考えあぐねた。さすがに受付の仕事は私にもできる。しかし突然始まるハイシーズンの厨房仕事をいきなり新人に任せられるかどうか。かといって受付の仕事は宿泊者の受付だけではなく、売店、帳簿付け、登山者からのさまざまな質問、無線の対応など煩雑だ。しかも一人でこなさなければならないので、多少の経験がないと難しい。

支配人1年目は経験者に受付に入ってもらい私は厨房に立ったが、2年目からは私以外すべて新人。まあ厨房の仕事はやっているうちにできるようになるだろう。食材の発注は私がやればいいし、在庫や野菜の管理はまめに確認すればいい。正直にいうと、私は厨房の仕事が好きなので、受付を誰かに任せたいところではあったが、思案の末、厨房は新人に任せることに決めた。

小屋開けから海の日連休の始まる短い期間に、野菜の切り方、調理の仕方、圧力釜でのご飯の炊き方、味噌汁の作り方、配膳、片づけ、皿洗い、食事の入れ替えなど、厨房作業のありとあらゆることを新人に覚えてもらう。いままでまともに包丁を握ったことのない男性などは、目を白黒させているが、頑張ってもらうしかない。

教えるというのは難しい。伝えたと思っても、お互いに持っているイメージが違うことが多々ある。例えば「味噌汁に入れるネギを切って」というだけでは足りなくて、これではぶつ切りネギが出てきても文句はいえない。正確には「味噌汁に入れる薬味用のネギを輪切りで切って。輪切りはできるだけ薄く」。最初はこのくらいいわないと伝わらない。たいてい下の人間ができないときは、上の人間の伝え方が悪い。

私も厨房を離れる以上、もっと細かなマニュアルを作るべきかとも思ったが、マニュアル通りにやる厨房作業がはたして面白いのかとも考える。ある程度教えたらみんな大人だし、そのシーズンのメンバーでよりよいやり方を見つけていったほうがやりがいあるのではないか。キッチリカッチリ教えるのが面倒臭いというところもあり、ひと通り教えたらあとは実践。適当に任せることにしている。その代わり失敗しても怒らない。

そんなわけで厨房も初めのころは作業の流れが悪く、時間が読み切れずに食事の提供時間が間に合わないことがよくある。食堂からずらりと廊下に並んだお客さんが受付の前まであふれて「まだかしら」なんて立ち話をしている。1分、2分、3分。5分も過ぎてくると、私のほうまでソワソワしてくる。「すみません、まだ新人ばかりで慣れていないものですから」と困ったような笑顔でフォローを入れる。お客さんに申し訳ないのはもとより、面倒を見てあげられない厨房の新人にも申し訳ない。

生真面目なスタッフは食事の時間に間に合わなかったことを気にしてしまうが、私は大丈夫だという。やっているうちに間に合うようになるし、たかだか食事の時間が5分、10分遅れたくらいで誰も死にはしないからと。実際、私がガタガタいわなくても、厨房は厨房のスタッフ同士で話し合ったり工夫したりしながら、次第にスムーズに食事を提供できるようになってくる。頼もしい限りだ。

さて厨房を新人に任せて受付に入った私のほうはというと。薬師沢小屋の受付は実にマルチタスクを必要とする仕事だ。受付をしながら売店のお釣りを渡し、トイレどこ?から明日の天気はどうですか?の質問に答え、無線で予約の追加が入れば部屋割りを変更し、水槽にコーラが入っていないとかコーヒーを淹れていただけますか?の要望に対応し、サインしてくださいから写真を一緒に撮ってもいいですか?

いや、これはありがたいことだった。

とにかくお客さんの対応をしているうちに、私自身訳がわからなくなってくる。宿泊のお金をもらい忘れそうになったり、売店のお釣りを渡し忘れたりとミスが増える。言い訳にしかならないが、前にも書いたように私は数字にめっぽう弱い。あれやこれやとやりながら、しまいには、たいした計算でもない食事の数まで間違える。気づいて慌てて厨房に飛び込み、「すみません、食数間違えました。ひとつ追加でお願いします」といったときに一瞬凍りつく厨房の空気。本当にごめん。

何度かそんな食数違いや弁当の数違いが発生したあと、厨房の新人が時折受付に顔を出しては、スマホで台帳の写真を撮っていくようになった。二重チェックというわけだ。賢い新人たちのおかげで、食数の間違いはほぼなくなった。ここまで来ると、今度はこちらのほうが見習わなければならないなと感心する。成長したものだ。

新人を抱えたシーズンはたしかに大変ではある。とくにシーズン初めはお互いに会ったばかりでコミュニケーションは手探りだし、気疲れもする。何もかもがわからない状態からのスタートだから、教えるほうも覚えるほうも目いっぱいだ。人にもよるが、最初の二週間くらいが新人の踏ん張りどころかなと思う。皆が仕事に慣れて仲間と楽しく過ごせるようになれば、そのシーズンは成功したようなものだ。それに大変なことばかりではない。いいことだってたくさんある。

新しい人が来てくれるおかげで、私は同じ場所にいてもなお新鮮な驚きに巡り合える。黒部源流の透明な水やその冷たさ、はじめて釣るイワナ、水泳大会。屋根の上に広げた布団にはしゃぎ、愛らしいヤマネの姿に満面の笑みを浮かべる。焼き鳥パーティーにたこ焼きパーティー、餃子パーティー。何もかもが彼ら、彼女らにとっては初めての体験だ。その感動を共有することで、私にとってもたしかに、ひとつひとつの出来事がはじめての瞬間なのだということに改めて気づかされる。

新しい空気が入るのもよい。当たり前に使っていたもの、やっていたことを、よりよくする目を持っているのも新しく来た人たちだ。彼らの提案で変えたものはいくつかあるが、もっとも大きな変更は消灯時間だった。薬師沢小屋の消灯時間は21時なのだが、お客さんを詰め込んでいたコロナ禍以前は、それでも仕事が終わらない日があった。だが完全予約制になったいま、忙しい日に仕事を終えて従業員が夕食を食べても、二十時にはなんとか終わる。消灯時間の21時まで誰かが起きている必要はない。

20時になったら、ほとんどのお客さんは寝床に入っている。だが電気がついていればお酒を飲んで騒ぐ人もいる。消灯すればみんな寝てくれるし、私たちも早く休めるではないか。これは画期的な提案だった。それに……。朝から晩まで一日働いたあと、消灯後に従業員がこっそりお酒を飲むこともある。いままでは消灯後に1時間飲むと寝るのが22時になってしまい、翌朝4時からの仕事がつらかったが、消灯時間を早めたことによって、1時間夜更かしをしても21時には寝床に入れるというこのマジック。年々体力の落ちている私にとっては、目から鱗の名案だった。

黒部源流山小屋暮らし

豊かな大自然、生き生きとした動物たちの姿、小屋のリアルな日常が目に浮かぶ。やまとけいこさんの名イラストエッセイ集『黒部源流山小屋暮らし』をついにヤマケイ文庫化!

やまとけいこ
発行 山と溪谷社
価格 1,100円(税込)
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プロフィール

やまとけいこ

1974年愛知県生まれ。山と旅のイラストレーター。武蔵野美術大学油絵学科卒業。29歳の時に山小屋のアルバイトを始める。シーズンオフは美術の仕事やイラストレーターとしての仕事をして過ごし、世界各地へ旅している。
イラストレーターとして『山と溪谷』などの雑誌で活動するほか、アウトドアブランド「Foxfire」のTシャツイラストも手がける。美術造形の仕事では、各地の美術館、博物館のほか、飲食施設等にも制作物が展示されている。著書に『蝸牛登山画帖』『黒部源流山小屋暮らし』(山と溪谷社)。

黒部源流山小屋暮らし

豊かな大自然、生き生きとした動物たちの姿、小屋のリアルな日常が目に浮かぶ。やまとけいこさんの名イラストエッセイ集『黒部源流山小屋暮らし』をついにヤマケイ文庫化! 記事では本書から一部抜粋して紹介。

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