息もできないほどの風雨。決死の脱出行の行方は・・・『41人の嵐』③

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真っすぐ小仙丈へ

竹内君が北岳チェックと交信する。吉田君が小屋番のところへ来て「仙丈山荘に寄りますか。それとも真っすぐ小仙丈へ行きますか」と聞く。小屋番は、小仙丈へ直行と指示した。

「小仙丈までだったらあと一回しか休憩できそうな場所はありませんよ。仙丈山荘で休まないんですか」

「少しでも早く長衛荘に着きたい。真っすぐ小仙丈へ行こう」

小屋番は言った。

ヘタに休むよりは惰性で歩いた方が歩ける。仙丈ヶ岳までの間に倒れる者が出た場合は別だが、それ以外は立ち寄る意味はない。むしろ、仙丈山荘に立ち寄ることで気力が失せてしまうことの方を小屋番は恐れた。どうしても長衛荘まで行くんだという気迫が欲しいのである。

ビバークは許されない。装備も食料もなにもないのである。小さな小屋で二十五人の大パーティーが気力うせて泊まることにでもなれば、それはビバークに等しい。再び不愉快な時を過ごさなければならなくなる。そんな事態にこれ以上遭遇したくはない。

小仙丈ヶ岳に一時でも早く着けば、それはみんなの喜びとなるであろう。いくら消えてしまいそうな気力でも持ち直すことができるはずである。下り道をたどれば電話のある電気のある大きな山小屋なのだから。

吉田君はヤレヤレという風で先頭に戻って行った。続いて竹内君が「今、シーバーで交信しているのですが、両俣のことを何と言いましょうか」と言って来た。小屋番は「両俣崩壊、小屋埋没」とだけ言った。竹内君は、苛立たしげに「両俣崩壊、小屋埋没」とシーバーに向かって言い放ち、スイッチを切った。

午後零時五分、出発。空腹感、疲労感に耐えて、みんなは急坂を登り始めた。わりあい元気そうに歩いている。「ファイトー、ファイト」「……イートゥイートゥ」のかけ声がかかる。

「ガンバ、ガンバ、ガンバー」

雨はまだやまない。

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プロフィール

桂木 優(かつらぎ・ゆう)

1950年福島県生まれ。1971年頃から登山を始める。1978年から広河原ロッジで働き、冬は八方尾根スキー場に入る。1980年、両俣小屋の小屋番になり、1983年から管理人になり現在に至る。本名 星美知子。

41人の嵐 台風10号と両俣小屋全登山者生還の一記録

1982年8月1日、南アルプスの両俣小屋を襲った台風10号。この日、山小屋には41人の登山者がいた。濁流が押し寄せる山小屋から急斜面を這い登り、風雨の中で一夜を過ごしたものの、一行にはさらなる試練が襲いかかる。合宿中の大学生たちを守るため、小屋番はリーダーとして何を決断し、実行したのか。幻の名著として知られる『41人の嵐』から、決死の脱出行を紹介します。

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