【特別インタビュー】 街でも山でもない、上高地という場所での宿泊業とは。【山と溪谷5月号】

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中の湯温泉旅館小林清二さん、上高地 ホテル白樺荘の鳥居真太郎さん、横尾山荘の山田直さんの3人に、「上高地での宿泊業とは」をテーマにお話をうかがいました。雑誌『山と溪谷』2025年5月号「聖地 上高地へ」からの転載記事です。

目次

うちを頼って来てくれる人がいるから
冬の厳しい時も、休業したことがないんです。
今も、昔の山小屋の精神を受け継いでいます。

中の湯温泉旅館 小林清二さん

中の湯温泉旅館 小林清二さん
小林清二さん
こばやし・せいじ/1954年、徳島県生まれ。登山が好きで、東京の大学を卒業後に中の湯温泉に就職。その後93年に代表取締役に就任。2025年現在、上高地町会長を務める。旅館スタッフとともに、焼岳の登山道整備にも励む。

自然の厳しさを受け入れつつ、恵みへの感謝を忘れない。困難を乗り越え、謙虚な姿勢で歴史ある旅館を受け継ぐ小林さんの心持ちをうかがいました。

自然に寄り添って100年

中の湯温泉旅館(なかのゆおんせんりょかん)があるのは、上高地バスターミナルから直線距離で約5㎞手前。釜(かま)トンネル入り口から安房峠(あぼうとうげ)へ通じる国道158号(旧道)を上ったところだ。周囲は豊かな自然林に覆われている。石造りの大きな露天風呂には、やさしい泉質の温泉がかけ流され、湯に浸かるとほんのりと硫黄の香りが漂う。そして、その露天風呂や館内などからは、目線に近い高さで穂高連峰を見渡せる。

「ここはただの自然きりで人工物がないでしょう。周辺はブナの森で、きれいな空気と水を作ってくれています。部屋にも風が吹き抜け、自然のなかにいることを感じてもらえると思います」

手入れが行き届き、きれいな建物の中の湯温泉だが、歴史は長い。「上高地では江戸時代から伐採が行なわれていて、梓川(あずさがわ)の流れを使って木材を運び出していました。そのころの役人が温泉に浸かったという記録も残っているようです」

中の湯が開業したのは1915年。明治から大正にかけて、上高地は観光地として広く知られるようになり、にぎわいを見せはじめる。そのころ、上高地から中尾峠(なかおとうげ)、安房峠を経て白骨温泉(しらほねおんせん)などへ続く古道がこの辺りを通っていたが、途中には宿がなかった。そこで、松本市安曇稲核(いねこき)集落の出身である小林継太郎(こばやしつぎたろう)うが、湯宿を開いたのが始まりだ。

当時の場所は、現在の釜トンネル入口から国道158号を300mほど安房トンネル側へ入ったところだった。1915年といえば、焼岳が噴火した年。数年間は、ほとんどお客さんが来なかったという。

だが、この噴火によって梓川が堰き止められて、上高地に大正池という新たな景勝地が誕生。より多くの人を惹きつけることになる。

梓川右岸にあった中の湯の露天風呂。昭和初期、中の湯温泉絵葉書より
梓川右岸にあった中の湯の露天風呂。昭和初期、中の湯温泉絵葉書より

1933年には、乗合バスが釜トンネルを通って上高地への運行を開始。中の湯は、上高地への玄関口となった。「昔の釜トンネルは狭く、大きな観光バスは通れなかったので、お客さんは中の湯で小型バスに乗り換えていました。中の湯の売店や食堂、卜伝の湯(ぼくでんのゆ)は多くの方でにぎわいました」

1993年、大きな試練が訪れる。安房峠道路の建設により休業を迫られたのだ。建物を取り壊し空いた土地に新館を建設することになった。しかし95年2月、トンネルの関連工事現場で4人の犠牲者が出る水蒸気爆発が起き、その計画は白紙となる。

さらに周辺の危険性から、計画された場所での新館建設は許可されず、現在の場所に変更したのち、98年に営業を再開した。かつての建物や源泉があった場所から標高差にして約200mも上部への移転である。営業の要である温泉の供給でも悩んだという。

森の中の静かな環境にある中の湯温泉
森の中の静かな環境にある中の湯温泉。1998年に現在の場所へ移転した

「実は、今の建物がある場所でも豊富な温泉が出るんです。でも、どうも泉質に納得がいかなかった。元々のお湯のほうが柔らかくて、肌にやさしいんです。そこで新しく掘り当てた温泉は諦め、元の源泉からポンプで引き上げて使っています。温泉こそが命ですから」

登山者に何かあっちゃいけない

中の湯は、上高地では数少ない通年営業の宿泊施設だ。雪深いこの地で、冬も営業を続けるのは苦労が多い。安房峠道路から旅館までのヘアピンカーブの道のりは自前で除雪をしている。それでも通年営業をしているのは、昔ながらの山小屋の精神を受け継いでいるからだ。

「昔、釜トンネルはとてもおっかないところでね。冬に山へ入った登山者が、釜トンネルの向こう側で、雪崩に遭って何人も命を落としているんですよ」

大学山岳部や社会人山岳会がしのぎを削っていた昭和の時代は、冬季も中の湯から山へ向かう登山者が大勢いた。旧釜トンネルの上高地側出口は、梓川側が急峻に切れ落ちているうえ、山側からの雪崩が頻発する難所だった。「冬に上高地へ入るのは猛者だけれど、雪が降れば実力者でも太刀打ちできないことはある。それでうちに助けを求める登山者がいたんです。そういう人たちのためにというともあって、トンネル工事のとき以外、一度も休業をしたことがないんですよ」

今は釜トンネルが新しくなり、かつてのような危険はなくなった。さらに交通の便がよくなったこともあり、人助けの場面も減った。それでも、かつての山小屋の精神を大事にしている。

中の湯温泉の建物前の石碑にはこんな一文が記されている。「安房トンネル工事及び新館工事によって奪われた自然に対し謝罪と感謝の意を込めこの地にあった巨木にてモニュメントを作り記念とする」

登山者を思いやる気持ちと自然への敬意を胸に、今日も来訪者をもてなす。

文=小林千穂 写真=菅原孝司


上高地の魅力は、豊かな自然を楽しめること。
それこそが、ほかのリゾート地にはない
唯一無二の価値だと気がついたんです。

上高地 ホテル白樺荘 鳥居真太郎さん

上高地 ホテル白樺荘 鳥居真太郎さん
鳥居真太郎さん
とりい・しんたろう/1993年、長野県生まれ。大学卒業後にホテル業を学び、東京の有名ホテルで経験を積む。2019年よりホテル白樺荘の経営に参画。現在は、代表取締役社長として活躍。上高地観光アソシエーションの理事も務める。

河童橋のたもとにたたずみ、客室から穂高の絶景が広がる「上高地 ホテル白樺荘」。総支配人を務める鳥居真太郎さんに上高地の魅力をうかがいました。

豊かな自然そのものが上高地最大の魅力

ホテル白樺荘の前身だった丸西食堂「白樺」の創業は、1927年のこと。ちょうど上高地が「日本新八景」の渓谷部門トップに選ばれ、河童橋を題材にした芥川龍之介の小説「河童」が発表された年だった。それから約1世紀を経た現在、創業者を曽祖父にもつ鳥居真太郎さんは、上高地についてどのような想いを抱いているのだろうか。

「僕は、大学卒業後に東京のホテルに勤務していましたが、2019年にホテル白樺荘で働くために上高地にやってきたんです。最初は、『なんて退屈な場所なんだろう』と思いましたよ(笑)」

上高地には、観光客向けの派手なアクティビティ施設がほとんどない。鳥居さんも、当初はジップラインや自転車のダウンヒルコースを造ればおもしろくなるのではと考えたこともあった。

「でも、それでは普通の観光地と変わらなくなってしまう。上高地の最大の魅力は、豊かな自然を楽しめること。それこそが、ほかのリゾート地にはない唯一無の価値だと気がついたんです」

上高地 ホテル白樺荘
ホテル白樺荘は、キラキラと輝く梓川の清流沿いに立っている
上高地 ホテル白樺荘
ホテル併設のオープンテラスからは、美しい穂高連峰が眼前に迫る

日本の景勝地のなかでも、自然保護に早くから取り組んできたのが上高地だった。モータリゼーションが進んでいた1975年には、環境破壊や渋滞を防ぐためにマイカー規制を導入。さらに、激安バスツアーが流行したのを受け、2004年に観光バスの乗り入れを制限した。

「上高地には短期的な利益に流されず、流行に逆行してでも豊かな自然を守ってきた先人たちの歴史があります。それはこれからも私たちの世代が引き継ぎ、守り続けなくてはならないと思っています」

「稜線バタークッキー」に込められた想いとは?

使命感を抱いた鳥居さんが発案したのが、収益の一部が周辺の歩道や登山道の整備の寄付となる「稜線バタークッキー」だった。新型コロナ禍で時間ができた鳥居さんは、積極的に北アルプス南部の山に登り、山小屋の方々と話す機会を得た。そのなかで、登山道の維持・整備は一部の公的支援を受けているが、多くは山小屋事業者が自費で賄っていることを知った。

「いろいろな議論があることは承知していますが、私自身は登山道整備というものは本来、行政の仕事だと思っています。しかし、現実はそうではない。では、自分にできることはないかと考えたとき、『稜線バタークッキー』のアイデアを思いついたのです」

上高地の新名物として話題の「稜線バタークッキー」
上高地の新名物として話題の「稜線バタークッキー」

クッキーは、河童橋を挟んで対岸に位置する五千尺ホテル上高地との共同開発。1枚の売上げにつき10円が寄付にあてられる仕組みで、発売初年度の2022年は、111万円余りを寄付。翌年は、高地のホテルや山小屋など21施設で取扱いが広がり、寄付額は403万円余りに達した。

「上高地周辺のホテル、山小屋、そして登山者のみなさん。この三者をつなぐお手伝いができたことがうれしいです。今後も発売は続けるので、行動食やお土産としてご購入いただけたらと思います」

上高地の魅力を探すお手伝いができたら

そして、ホテル白樺荘が特に力を入れているのが、ネイチャーガイドツアーだ。気軽に参加できる1時間のビギナー向けツアーから、プライベートガイドウォークまで、多彩なプランを用意している。

「上高地には、雄大な山岳景観だけでなく、貴重な自然や文化資源が数多く存在します。しかし、初めて訪れた方は『なにを見たらいいのかわからない』と感じることも多いのではないでしょうか。実は、私自身もそうでした(笑)。そんな方には、毎日実施している『60分上高地ネイチャーガイド』(1000円)に参加していただきたいですね」

このツアーでは公認ガイドが明神池や大正池の歴史、バードウォッチングなど上高地の魅力をダイジェストで紹介。さらに興味をもった人向けに花などのテーマ別ツアーも実施している。そのなかも鳥居さんのおすすめは、星空観察ツアーだという。梓川のせせらぎを聞きながら、澄んだ空気のなかで眺める稜線と星空のコントラストは、上高地に宿泊した人だけが体感できる特権だ。

「上高地は日本の山岳リゾートのなかでも、本当に自然を愛する方が訪れる場所だと思います。アクティビティ施設が整備されていないからこそ、自分の足で歩きながら、その魅力を見つけていく。だからこそ、楽しいのです。当ホテルは、リラックスできるお部屋やお食事、そしてネイチャーガイドなどを通じて、そのお手伝いができたらと思います。読者のみなさんも、今シーズンはぜひ、自分だけのお気に入りの上高地を見つけにいらしてください」

文=大関直樹 写真=福田 諭


山に登る思いに応えらえる施設でありたい。
そのために、できる限りの力を注ぐ。
山へ来てよかったと感じて帰ってもらえるように。

横尾山荘 山田 直さん

横尾山荘 山田 直さん
山田 直さん
やまだ・ただし/1961年千葉県生まれ。高校、大学で登山を覚え、社会人山岳会で登攀にも傾倒。84年横尾山荘に入り、現在三代目として代表取締役を務める。北アルプス山小屋友交会会長、北アルプス南部地区山岳遭難防止対策協会救助隊長。

河童橋から約3時間。ハイキングコースの最終地点、奥上高地に立つ横尾山荘(よこおさんそう)。槍ヶ岳(やりがたけ)や穂高連峰、蝶ヶ岳(ちょうがたけ)などの登山拠点として、長く登山者を迎えてきた。

「やっと来た横尾」であること

梓川沿いを横尾谷出合に向かって進む。たどり着いた横尾山荘では、山田直さんが雨に濡れた登山者に声をかけている。

「お客様は上高地から3時間かけて歩いてくるわけです。ここからがまさに登山になります。社会情勢の変化で、上高地への入山は手軽になり、施設の規模も大きくなりました。ですがやはりここは、やっと山の奥へ入ってきたと感じられる場所で『やっと来た横尾』であることが重要だと思っています。ここから槍・高などへ登る登山者が、気持ちを切り替えることができ、下山をしてきたときには、安堵感を得る場所。登山者が快適に、休息と栄養を補給できる山小屋であること。それがコンセプトです」

槍沢と横尾谷出合に立つ横尾山荘
槍沢と横尾谷出合に立つ横尾山荘。山荘前から前穂高岳の岩壁が望める
横尾山荘 宿泊者限定のお風呂(加戸昭太郎=写真)
宿泊者限定のお風呂も快適至極で、ゆっくり疲れをとることができる(写真=加戸昭太郎)

その理念は、完璧なまでの清潔さ、栄養バランスの整った食事やお風呂をはじめ小屋の隅々に表われ、実感できる。「たとえ求められ収益につながることでも、山に不似合いなサービスを謳い誘うことを私たちがしてはいけない。そのため、登山に必要のないものは提供しないことを運営方針としているのです」

そう話す山田さんは、横尾に至る道程を、上高地と北アルプスを理解する道として楽しんでほしいとも言う。

「上高地の地形の成り立ちや梓川河畔の植生、森林の様相。自然からたくさん教わるこがあります。毎年幾度も山荘にお見えになり、都度3泊ほどしていくお客様がいるのですが、奥上高地の自然、山全体を楽しみ、多くのものが見えているんですよね。『山を正しく畏(おそ)れる』。私はこのことが大事だと。山から教わるんです。たくさんのことを。そこが登山の楽しさで、だから山に行くんでしょうね」

山小屋の運営は登山そのもの

「登山では、綿密に準備を重ね、自己統制をして一つ一つの挙動に集中し、判断する。山小屋の運営も同じで、登山そのものです。水も電気もない自然のなかで、準備を整えお客様に安全に山を楽しんでもらうことは、簡単なことではありません。その経済活動のなかで、私も従業員も生活できているわけですが……、施設を維持するため、つまりこの横尾にある山小屋の役割を継続するために、営業をしている面もあります」

その役割は多岐にわたる。登山者が宿泊できる場・飲食の提供のみならず、横尾を通過する大勢の登山者への飲料水やトイレの提供、登山道の点検、維持補修、登山者への安全登山の普及、遭難救助に至るまで。中部山岳国立公園・上高地の公的な役割も担っているのである。

だが、2020年からのコロナ禍を経て、山小屋の事業活動に依存した登山環境の維持は困難であることが顕在化。山田さんは「行政機関が主体となり、利用者、山小屋事業者が連携し、適正利用を目的としたルール、持続可能な制度の構築」の必要性を訴えている。

「上高地は、国立公園、国有林、文化財に関する3つの法律によって指定されたエリアです。まず、ここにしかない自然環境、その価値を理解して、価値に見合った適正な利用が必要です」

そのうえで必要なのは、「山を正しく畏れる」ことを前提とした登山文化の継承だと山田さんは言う。

「今、一部の人には、山は特別な場所ではなくなりました。ですが、時代が変わっても一級山岳における山の険しさ、厳しさは変わりません。山に畏敬の念をもってきちんと準備をし、自分の力で歩き自分の力で帰る。そうした登山の基本を継承していくことが、自然・登山環境の維持につながると考えています」

近年増加する実力に見合わない登山が引き起こす遭難救助の負担が登山環境の維持を困難にしているのはもちろんだが、山田さんは、山岳地のトイレの利用方法について横尾山荘の役割を例に挙げる。

「横尾山荘では、トイレの紙の分別をしています。ここではほかの処理方法もあるのですが、横尾山荘から上部の山小屋は環境配慮型のトイレを採用していす。紙の分別が必要で、街中のトイレとは違います。まずは、ここで行動様式も変えてもらわないといけない。それも登山活動の一つですよね。環境保全のために利用者の協力を得ないと施設の維持もできなくなる。つまり登山ができなくなるので、私たちが伝えていかないといけないんです」

小屋閉め後も、冬季登山者用の水の確保と避難小屋の状況確認のため、山田さんは、定期的に冬の上高地に入る。

「山に登る思いに応えられる施設でありたい。そのために、できる限りの力を注ぎ、快適性を提供していく。山へ来てよかったと感じて帰ってもらえるように。それが私たちの役割だと思っています」

文=大武美緒子 写真=高橋郁子

『山と溪谷』2025年5月号より転載)

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プロフィール

山と溪谷編集部

『山と溪谷』2026年1月号の特集は「美しき日本百名山」。百名山が最も輝く季節の写真とともに、名山たる所以を一挙紹介する。別冊付録は「日本百名山地図帳2026」と「山の便利帳2026」。

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1930年創刊の登山雑誌『山と溪谷』の最新号から、秀逸な特集記事を抜粋してお届けします。

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