赤岳鉱泉山岳診療所、独自の取り組みに迫る【山と溪谷8月号】
発売中の『山と溪谷』2025年8月号の特集は、「癒やしと冒険の八ヶ岳案内」。特集のなかから、赤岳鉱泉の山岳診療所の紹介です。救助から病院搬送までを円滑に行なう役割を果たし、全国の山岳地域から注目される取り組みについてを教えてもらいました。一般登山者も募金という形で取り組みに協力できます。
文・写真=柏 澄子
「山で人が亡くなるのを、見たくないんです」。赤岳鉱泉(あかだけこうせん)山岳診療所を作った理由を尋ねたときの、栁澤太貴さんの言葉だ。栁澤さんは赤岳鉱泉と行者小屋(ぎょうじゃごや)の主人であり、父から山小屋を引き継ぎ16年。その間に、八ヶ岳で幾人もの命が消えていくのを見てきた。従業員が国内外の山で遭難死する経験も何度もした。登山は本来楽しい遊びのはず。山に登るという魅力ある行為が死に至るというのは、やりきれない。少しでも遭難を減らしたい、登山の安全に寄与したいと、診療所を開設した。
赤岳鉱泉山岳診療所の原型となる活動がスタートしたのは2017年。栁澤さんの頭のなかにはそれ以前から構想があった。また栁澤さんは、診療所だけでなく、日頃から安全登山を強く意識した山小屋経営をしてきたのだ。たとえば「アイスキャンディ」。冬になると山小屋前に出現する人工氷瀑であり、アイスクライミングができる。ガイド講習、山に入る前の技術確認などにも使ってもらい、安全登山への第一歩を意識している。毎冬開催するアイスキャンディフェスティバルは、大勢の登山者、メーカーなどが集まりにぎやかであるが、夜には必ず長野県警察山岳遭難救助隊の講演や、山岳気象の講習なども用意し、安全登山を考える機会としている。
そのようななか、小林美智子さん(2024年没、国際山岳看護師)が栁澤さんに、「診療所をやろう」ともちかけた。小林さんの仲間である師田信人さん(国際山岳医)も加わり、形にしていった。
シームレスな活動
国際山岳医、国際看護師というのは、国際的な認定制度であり、彼らはみな日本登山医学会に所属しており、山岳医療におけるプロフェッショナルだ。まもなく、市川智英さん(国際山岳医)という強力なメンバーも加わり、心ある山岳医、山岳看護師たちが集まりチームができた。
赤岳鉱泉山岳診療所が、ほかの山岳診療所と決定的に異なるのは、通年開設している点だ。赤岳鉱泉が通年営業である強みを活かして、また冬は低体温症や凍傷の人が多いことも鑑みて、通年の運営に踏み切った。
もうひとつの特徴は、救助から診療所での処置、山麓の病院へと「シームレス」な活動をめざしていること。赤岳鉱泉周辺での遭難の場合、長野県警山岳救助隊と諏訪地区山岳遭難防止対策協議会(遭対協)、諏訪広域消防特別救助隊が出動する。遭対協は簡易無線をもっており、現場から診療所へ連絡。傷病者の様子や診療所到着時刻がわかれば、診療所は受入体制が作りやすい。
診療所には充分な医療器材があるわけではなく、投薬もこの夏からだ。限られた条件のなかで医師と看護師が、傷病者の状態を評価し、主に外傷に対する手当をする。
診療所は山麓にある諏訪中央病院と諏訪赤十字病院、さらには松本市の相澤病院と連携しており、特に一番近くて二次救急の役割をもつ諏訪中央病院とはLINE で繋がっている。諏訪の病院の場合、山小屋から林道までは搬送もしくは自力歩行、その先は専用車両や救急車をつないだとしても、病院到着まで3時間近く。その間にタブレット端末を利用したLINE からの情報で受入態勢を整えてもらうのだ。ヘリ搬送の場合は相澤病院へとなる。
遭難現場の救助隊、山の中の診療所、麓の病院。この3者が連携しシームレスに傷病者の対応にあたることができるのは、理想である。傷病の重篤化を防ぎ、ときには救命にも繋がるかもしれない。
赤岳鉱泉山岳診療所運営委員会では、このような周辺との繋がりを重視している。年に1回、南八ヶ岳救助救護合同連携会議を開催。茅野市役所、地域連携病院、県警、遭対協、消防と共に遭難事例報告や次年度の計画などを話し合う。また年に2回ワークショップを開催。診療所に関わる医師、看護師にくわえて、前述の連携病院の医師たちにも参加を呼びかける。これによって顔の見える信頼関係が構築され、また遭難救助や山岳医療の現場を知ってもらう好機となっている。近年、ワークショップにはほかの山域の診療所スタッフや山岳医療に関心のある医療従事者たちの参加希望も多い。栁澤さんは常々「赤岳鉱泉をモデルケースとして、さらによい診療所をほかの山でどんどん開設してほしい」と話しており、ほかからの参加者は歓迎するという。
山岳医療の積み重ね
赤岳鉱泉山岳診療所で診察したケースは、必ずフィードバックをもらうようにしている。病院搬送となったものは病院から。病院へ行かなかったケースは下山後に登山者にアンケートに答えてもらう。QR コードでグーグルフォームを読み取るもので、写真添付もでき、事後のことが具体的にわかる。これらをまとめ、症例検討会を行なう。自病院へと「シームレス」な活分たちの評価、判断、処置は正しかったのか。よりよい方法はあったのかなど。市川さんは「日ごろ病院で接している症例と比較すると、山岳医療の症例数は極めて少ないですが、山岳診療所では日々貴重な現場経験をしています。読んで知っていただけの症例が目の前にあることもあり、これらを大切に扱い山岳症例の蓄積に努めています。これは必ず山岳医療の発展に繋がると思っています」と言う。
安定な運営のために
栁澤さんは今期より診療所の法人化に踏み切った。煩雑な手続きには時間も労力も要したが、運営を安定させるためだ。現在はボランティアであるが、医師、看護師たちを有償にしたいと考えている。市川さんも「山岳医療の社会的立場を確立したい、山岳医療についてもっと知ってもらいたい」と言う。そのためには持続可能な運営が大切だ。法人会員を募り、登山者からの募金も始めた。
(山と溪谷2025年8月号より転載)
関連リンク
この記事に登場する山
プロフィール
山と溪谷編集部
『山と溪谷』2026年1月号の特集は「美しき日本百名山」。百名山が最も輝く季節の写真とともに、名山たる所以を一挙紹介する。別冊付録は「日本百名山地図帳2026」と「山の便利帳2026」。
柏 澄子(かしわ・すみこ)
登山全般、世界各地の山岳地域のことをテーマにしたフリーランスライター。クライマーなど人物インタビューや野外医療、登山医学に関する記事を多数執筆。著書に『彼女たちの山』(山と溪谷社)。
(公社)日本山岳ガイド協会認定登山ガイド。
(写真=渡辺洋一)
雑誌『山と溪谷』特集より
1930年創刊の登山雑誌『山と溪谷』の最新号から、秀逸な特集記事を抜粋してお届けします。
こちらの連載もおすすめ
編集部おすすめ記事

- 道具・装備
- はじめての登山装備
【初心者向け】チェーンスパイクの基礎知識。軽アイゼンとの違いは? 雪山にはどこまで使える?

- 道具・装備
「ただのインナーとは違う」圧倒的な温かさと品質! 冬の低山・雪山で大活躍の最強ベースレイヤー13選

- コースガイド
- 下山メシのよろこび
丹沢・シダンゴ山でのんびり低山歩き。昭和レトロな食堂で「ザクッ、じゅわー」な定食を味わう

- コースガイド
- 読者レポート
初冬の高尾山を独り占め。のんびり低山ハイクを楽しむ

- その他
山仲間にグルメを贈ろう! 2025年のおすすめプレゼント&ギフト5選

- その他