テントの外から聞こえてくる靴音。夜の工事現場跡をさまようものの正体とは

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

夢うつつに聞こえてきた靴音

5月とはいえ、夜の高原は想像以上に冷えこむ。このときも防寒着代わりにレインウェアを着こみ、なおも芯から冷えるほどの寒さだった。さらに翌朝は5時起床予定だったため、あまり深酒はせずに就寝することにした。

「でも……なんだか全然、寝られなくてさぁ。久しぶりだから目が冴えちゃったのかな。変に寝たり起きたりを繰り返してたから、半分夢かもしれないんだけど」

夜中、じゃりじゃりという靴音がすることに気がついたのだという。

「奥のほうから近づいてきて……。最初、Mくんかと思ったんだけど、でも、なんだかおかしいの」

砂利を踏みしめる足音はテントに近づいてきたかと思うと、なんとO川さんが入っているテントの周囲を回りはじめたのだ。

「じゃり、じゃり、じゃりってずっと回ってるんだよ! パラグライダーの人たちかと思ったんだけど、夜中にいるわけないし。そもそも車の音もしなかった。これ、絶対おかしいって思った」

パラグライダーが飛ぶ姿が見られたので、この工事現場跡地よりさらに上の山頂付近は発着場なのでは、と我々部員は考えている。昼間、横の道路を山の上のほうへ上る車も頻繁に見られた。

しかし、夜中に彼らのうちのひとりが突然訪れ、テントの周りをぐるぐると無言で回る、などという不自然な仕草をすることは考えられないだろう。

「怖えぇ……って思ってたらさ、急にガッ! って足を」

――外からつかまれて引っ張られたのだという。

「テントの布ごと無理やりつかまれたかんじ。おれの両足もって、そのまますごい力でグググって引っ張られた。あ、ヤバい! って思ったけど、その瞬間にたぶん気絶してた」

極度の緊張状態に陥ると、人は失神することがある。このときのO川さんもまさにその状態だったのだろう。

NEXT 未明の呼び声
1 2 3 4

この記事に登場する山

山梨県 静岡県 / 富士山とその周辺

富士山・剣ヶ峰 標高 3,776m

 日本の山岳中、群を抜いた高さを誇る富士山は、典型的なコニーデ式火山。いずれの方向から眺めても円錐形の均整のとれた姿は美しく、年間を通して人々の目を楽しませてくれる。東海道本線や新幹線の車窓から見ると、右手に宝永山、左手には荒々しい剣ガ峰大沢が望め、初めて見る人の心を奪う。  昔は白装束姿で富士宮の浅間(せんげん)神社から、3日も4日もかけて歩き通したという話を古老から聞いたことがある。現在では、富士宮と御殿場を富士山スカイラインが結び、途中からさらに標高2400m辺りまで支線が延びているので、労せずして雲上の人になれる手近な山となった。  日本で一番高い山、美しい山であれば、一生に一度は登ってみたい願望は誰にでもある。7月、8月の2カ月間が富士登山の時期に当たり、7月1日をお山開き、8月31日を山じまいと呼ぶ。  山小屋や石室が営業を始めると、日本各地や外国の人々も3776mの山頂を目指して集まってくる。特に学校が夏休みに入り、梅雨が明けたころから8月の旧盆までは、老若男女が連日押し寄せ、お山は満員となり、登山道は渋滞し、山小屋からは人があふれる。  富士宮口から登ろうとする場合は東海道新幹線の新富士駅、三島駅などからの登山バスで五合目まで行き、自分の足で山頂へ向けて歩きだすことになる。山梨県側には吉田口があり、東京方面からの登山者が多い。  目の前にそびえる富士山はすぐそこに見えるため、山の未経験者は始めからスピードを出しすぎ、7合目か8合目付近でたいていバテてしまう。登り一辺倒の富士山は始めから最後まで、ゆっくり過ぎるほどのペースで歩くことがコツである。新6合から宝永火口へ行く巻き道が御中道コースで、標高2300mから2500mを上下しながら富士山の中腹を1周することができたが、剣ガ峰大沢の崩壊で通行不能になっている。  山慣れたパーティならば新6合から左に入り、赤ペンキや踏み跡を拾いながら、いくつもの沢を渡り3時間もかければ大沢まで行くことができる。辺りは樹林帯で、シャクナゲの群落やクルマユリやシオガマなどの高山植物が咲く。  9合目右側の深い沢に残る万年雪は、山麓からも見ることができる。富士宮口を登りつめると正面に浅間神社奥ノ院がある。隣は郵便局。もうひとふんばりすると、最高地点の剣ヶ峰。山頂にはかつては毎日データを送り続けていた気象観測所跡が残っている。天候に恵まれたならば噴火口の周囲を歩く御鉢巡りが楽しめる。

プロフィール

成瀬魚交(なるせ・うこう)

1990年生まれ。東海大学探検会OB。学生時代はスリランカ密林遺跡踏査、秋田県民間信仰調査などの活動を行なった。現在は編集者・ライターとして各地の渓谷や不思議スポットを訪れたり、聞き書きなどで実話怪談を手がける。

登山者たちの怪異体験

太古の時代から、山は人ならざるものが息づく異界だった。そうした空間へ踏み込んでいく登山では、ときとして不可思議な体験をすることがある。そんな怪異体験を紹介しよう。

編集部おすすめ記事