対談 吉永小百合×田部井進也。「田部井淳子が残したもの」

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この秋公開される映画で田部井淳子をモデルにした主人公を演じる俳優・吉永小百合。母・淳子の遺志を継ぐ田部井進也と、彼女の足跡について語り合う。

文=柏 澄子 写真=佐藤早苗 ヘア=西野行徳 メイク=今道秀子

田部井進也さんと吉永小百合さん

10月31日、映画『てっぺんの向こうにあなたがいる』が全国公開される。世界最高峰エベレストに女性として初めて登頂した登山家・田部井淳子をモデルに、その人生を描いたものだ。俳優の吉永小百合が演じるのは、1994年から亡くなるまでの多部純子(田部井淳子をモデルとした主人公)。今回は、対談の相手を田部井の長男である田部井進也が務め、映画を軸に、田部井淳子の人生について語ってもらう。進也は母・淳子の遺志を継ぎ、「東北の高校生の富士登山」プロジェクトのリーダーを担っている。

映画誕生のいきさつ

――田部井淳子さんとの出会いを聞かせてください。

吉永小百合:「今晩は 吉永小百合です」というラジオ番組をやっていまして、そこに田部井淳子さんが出演してくださったのが、初めての出会いでした。そのときの一度しかお会いしたことはありませんが、鮮やかな印象が残っていて、私は大ファンになりました。とっても明るくて、素敵な方でした。こういう方がエベレストに登り、山を愛しずっと登ってきていらっしゃったのだと思うと、感慨深かったです。

淳子さんの話しぶりも好きです。ちょこっと福島なまりがあって、それが温かく、耳心地がいいんです。

いつか淳子さんを演じることができたらと、心の奥底で思っていました。今回、阪本順治監督のもとで映画化が決まりましたが、とにかくうれしくて、クランクインが待ち遠しかったです。

田部井進也:おふくろの映画が日本で作られると聞き、最初は驚きました。海外では映画化の話をいただいたことがあったのですが、僕は吉永さんと生前のおふくろのお付き合いも知っていたので、いつか吉永さんが演じてくれたらなあ……と思っていたというのが本音です。それが実現して、とてもうれしいです。

いちばん気に入っているシーン

――演じてみて、いちばん気に入っているシーン、心に残ったシーンはどこでしょうか。

吉永:最後のシーンですね。富士山の元祖七合目に、佐藤浩市さんと座って語り合います。佐藤さんは、淳子さんの夫にあたる田部井政伸さんの役を演じています。そのシーンで私が、「ほんとうにすごいね、お父さんは」と佐藤さんに語りかける台詞があります。このシーンが大好きです。淳子さんのいろいろな思いが、表われていると思うんです。

淳子さんがお書きになった本をあらためて読んでみると、どんなに夫の政伸さんの存在が大きいか実感します。政伸さんが彼女にたくさんのサポートをしていた、深い愛情を注いでいた、それがよく伝わってくるんです。そして、そんな政伸さんを淳子さんは愛していた。それが「ほんとうにすごいね、お父さんは」という言葉につながるのだと思います。

淳子さんの結婚に、当初お母さんは反対されていた、お見合いもしたということも読みました。けれど、おふたりが結婚なさったということ、そしてふたりのお子さんができて育て上げたということ、田部井家という家族ができたことは、本当によかったと心から思いました。

富士山にて映画を締めくくるシーン
映画を締めくくるシーン。富士山にて。純子が夫正明に伝えることとは

進也:物語の90%ぐらいが、僕たちの家族そのままなんですよね(笑)。リアリティがあります。だからどの場面がいちばんか挙げるのは難しいのですが……僕は東北の高校生たちと富士山に登っているシーンが心に残っていますね。おふくろが僕に、手袋を差し出してくれるところです。これも実際にあったエピソードで、あのときのおふくろの手のぬくもりは、いまでも僕に残っているんですよ。

あの日は本当に寒くて、雨も降っていました。参加していた高校生の手袋がびしょびしょになってしまい、使えなくなったので、僕の手袋を貸したんです。おふくろは、がんの痛みや薬の副作用もあり体調がすぐれませんでした。振り返ると、このときがおふくろにとって最後の富士山でした。おふくろは、元祖七合目で、「ここまでにする」と決断するんです。そのとき僕の手を見て、「手袋はどうしたの?」と。僕の手がかじかんでいるのがわかったのでしょうね。あのときにいだいた感情やおふくろのぬくもりが昨日のことのようで、映画を観て泣きそうになりました。

純子が息子真太郎を思いやり、手袋を渡すシーン
純子が息子真太郎を思いやり、手袋を渡すシーン。映画では母と息子の愛も描かれる

――吉永さんが歌うシーンも印象的でした。そして映画をきっかけにピアスの穴を開けたというエピソードも。

吉永:田部井さんは歌うことをほんとうに楽しんでいらっしゃいました。映画では、埼玉県にあるホールを貸し切り、エキストラの方々に客席に入っていただき満席にして歌いました。私も一生懸命練習して舞台に立ち、いい思い出になりました。

進也:ピアスのことは、僕も驚きました。日和田山の撮影のとき、吉永さんが「どう?」とピアスの穴を見せてくれたんですよね。最初にお会いしたときは、耳にピアスの穴はなかったのに。おふくろのピアスを見て、開ける決心をしたというのがうれしくて、おふくろが持っていたピアスをお渡ししました。

吉永:山に登る人がピアスというおしゃれをするなんて知らなかったので、驚いたんです。淳子さんに尋ねると、ニューヨークシティマラソンに出走した記念に、五番街で開けたとおっしゃるので、またまたビックリしました。私もピアスをしたいと思いましたが、勇気がなく、今回の映画をきっかけにピアスをするようになりました。

進也さんから淳子さんのピアスを譲ってもらったのですが、サンゴやターコイズなどどれも美しいです。淳子さんがいろいろな国を訪れたとき、その山麓で買ったのかと思うと、淳子さんの思いや、その土地の歴史、ストーリーが―詰まっているのを感じて、大切なものをいただいたと思っています。

吉永小百合さん

「淳子さんにいただいて、
   生まれてはじめて
   ピアスをするようになりました」

夫婦とは、家族とはなにか

――映画には夫婦愛や家族の愛も描かれています。

吉永:私も親に反対されて結婚しました。昨年夫は他界しましたが、50年以上連れ添って、ほんとうに彼と結婚してよかった、自分の意思、気持ちを通してよかったとつくづく思っています。淳子さん役の純子を演じながら、どこかで私たち夫婦のことを思い出していました。

また、進也さんが高校時代にいろいろなことがあったことも映画のなかにありますが、それがあってかえって最後、母と息子の絆が強くなったのではないかと感じています。

私自身は、この仕事をしていると子どもをもつのは難しいと考えていて、夫婦ふたりの家庭でした。淳子さんは子どもを産み育て、山を登り続けました。私にはそこまでできなかったけれど、淳子さんの力強さを感じます。

私は、進也さんの二代目の母なんですよ(笑)。「母ちゃん」と呼んでくれたこともあります。撮影前に日和田山のベンチに座って、景色を眺めていたとき、進也さんに「おふくろに似ていた」と言われ、嬉しかったです。

進也:おふくろはどんな存在だったか、その質問に答えるのは難しいですね。「僕のDNAの半分はおふくろから受け継いだものだから、半分は俺じゃん」という感覚をもっています。おふくろのことはよくわかるんです。自分と同じだから。けれど、その分ぶつかることも多かったです。世界中のみんなが田部井淳子を大好きなんだと思っています。もちろん僕も。けれど恥ずかしさもあり、なかなか本人に気持ちを伝えるのは難しかったです。

「山ばっかり行って、家にいない」 と思われていたかもしれませんが、そんなこともありません。僕はレトルト食品を食べたことはなかったんです。おふくろは、留守の間のご飯を全部作り置きしてくれました。たまの贅沢で、家族でファミリーレストランに行ったことがありますが、ハンバーグを食べて「おいしくない」って思いました。おふくろの料理がいちばんなんです。

吉永:1週間分のお惣菜を作って、ひとつひとつタッパーに詰めて冷蔵庫に入れるシーンも撮ったんですよ。作品の中に入れることはできませんでしたが、淳子さんがどんなに家族に愛情を注いでいたかよくわかりました。そんな彼女の気持ちを胸に秘めて、演じました。

「てっぺん」とは?

――映画のタイトルにある「てっぺん」。これはエベレストの山頂だけを指しているのではないと思います。淳子さんの「てっぺん」とは何であったのでしょう。

吉永:てっぺんはいっぱいあるのかもしれませんね。山の頂もてっぺんですし、それぞれの心の中にもてっぺんはある。淳子さんは、最高のシチュエーションを求めていたのではないでしょうか。最高の時間、それを味わいかみしめていらっしゃったのではないかと思います。いろんな意味のてっぺんが、淳子さんにあったと思います。

進也:おふくろは、エベレストのてっぺんも日和田山のてっぺんも同じだと思っていたんです。僕も同感です。吉永さんのお話を聞き、共感します。おふくろは最高の時間であるてっぺんをめざし続けていたのだと思います。てっぺんという目標を掲げれば、それに向かって歩んで行くことができる。

映画のなかで多部純子がエベレスト山頂に立った瞬間
映画のなかで多部純子がエベレスト山頂に立った瞬間ネパールへと日本の国旗を両手に掲げる

田部井さんが残したもの

――田部井さんが私たちに残してくれたものは、とても大きいと思います。それぞれの胸の内にあるものについて、聞かせてください。

吉永:『田部井淳子の人生は8合目からがおもしろい』というご著書がありますね。私はそれを知りませんでしたが、偶然にも今回の映画の記者会見で、「私はいま、人生の八合目にいます」と言ったんです。いままさに、私は人生の八合目。淳子さんを見習って、人生をおもしろく楽しんで、そしてしっかり生きていかなければと思っています。

私はせっかちな性格で、山に行くとしゃかしゃかと歩いてしまい、あとで疲れが出るんです。人生も同じですね。焦らずに、けれど諦めることなく生きていこう、淳子さんが教えてくれたことです。

親友の北山悦子とテントを背負って山へ来し方行く先を語り合う
ある日、親友の北山悦子とテントを背負って山へ来し方行く先を語り合う

進也:おふくろはこの世からいなくなってしまったけれど、いろんな人との出会いを与えてくれました。生前からご縁のある人も、おふくろが亡くなったことがきっかけとなり出会った人も、みなに感謝しています。

大切なのは、エベレスト女性初登頂という記録ではないんです。おふくろは記録をめざしていたわけではありませんし、エベレストはおふくろひとりで登ったわけでもないですよね。女子登攀クラブというチームがあって、協力者も大勢いました。みながいて登れた。エベレスト女性初登頂がすごいのではなく、あの時代にエベレストに登ろうと集った女性たちがいて、ガッツがあってみんながんばった。それがすごいのだと思います。

吉永:淳子さんの決断力にも学びがありました。行くべきときは進む、止めるべきときは止める。確かな意志を持って進んでいました。だから数々の登山を成功させ、生きて帰ってきたのだと思います。

進也:東北の高校生の富士登山は、今年で14回目。900人弱が参加していますが、ケガや事故は一切ありません。それにもおふくろの存在があるんです。ある年、雨が強かったのですが、おふくろは六合目で「帰ろう」と判断しました。決断が早いんです。あのとき引き返したから、僕もいま、「いつでも引き返していい」と思えるのだと思います。それが、みなが安全に楽しんで山に登れることにつながっています。

田部井進也さん

「おふくろは最高の時間である
   てっぺんを目指し続けて
   いたのだと思います」

吉永:私も山が好きです。若いころ、同級生のお兄さんである山男に連れられて、みんなで北アルプス裏銀座コースを訪れました。4泊5日の本格的な夏山縦走。そのときのことが忘れられなくて蝶ヶ岳に登って穂高を眺めたり、夜叉神峠に登って北岳を仰いだりしました。

田部井さんが登った山々は、どんな景色だったのだろうと想像しながら、これからも一歩一歩進んでいこうと思います。進也さん、すべてのロケに同行いただき、ありがとうございました。心強かったです。

進也:僕も皆さんと出会えて、楽しかったです。

10月31日(金)全国公開
てっぺんの向こうにあなたがいる

1975年、エベレスト山頂に向かう一人の女性の姿。一歩一歩着実に山頂(てっぺん)に向かっていくその者の名前は多部純子。日本時間16時30分、純子は女性として初の世界最高峰制覇を果たした――しかしその世界中を驚かせた輝かしい偉業は純子に、その友人や家族たちに光を与えると共に深い影も落とした。晩年においては、余命宣告を受けながらも「苦しい時こそ笑う」と家族や友人、周囲をその朗らかな笑顔で巻き込みながら、人生をかけて山へ挑み続けた。登山家として、母として、妻として、一人の人間として……。純子が、最後に「てっぺん」の向こうに見たものとは――。

出演:吉永小百合、佐藤浩市、天海祐希、のん
監督:阪本順治
原案:田部井淳子『人生、山あり“時々”谷あり』(潮出版社)
配給:キノフィルムズ
Ⓒ2025「てっぺんの向こうにあなたがいる」製作委員会

『山と溪谷』2025年11月号より転載)

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『山と溪谷』2026年1月号の特集は「美しき日本百名山」。百名山が最も輝く季節の写真とともに、名山たる所以を一挙紹介する。別冊付録は「日本百名山地図帳2026」と「山の便利帳2026」。

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