5月1日の新天皇ご即位を受けて、新しい元号が「令和」に決まった。元号や令和の由来は、すでに報道されているのでご存じとは思うが、改めて説明すると――
「令和」の典拠になったのは、日本最古の和歌集である万葉集で、太宰府政庁の長官だった大伴旅人が開いた梅花の宴に合わせて詠われた歌の序文から取られたという。
そもそも元号とは、それぞれの天皇の在位期間を基準にした紀年法で、645年の「大化」から始まり「令和」は248個目に数えられる。
この記念すべき祝事、そして登頂数170を超える山好きとして知られる新天皇(現皇太子さま)のご即位ということで、「令和」という名前の山を探してみたが、残念ながら確認できなかった。そこで、これまでの元号が名前についている山を探してみたところ、以下の4つが見つかった。それぞれ、その時代に噴火などでできた山であることが確認できた。この他にもあるのかどうか、ぜひ読者も探してみてほしい。
●宝永山・・・富士山最大の側火山。宝永噴火(江戸時代)の際に誕生
●天保山・・・天保(江戸)時代に人工的に作られた標高4.5mの日本一低い山
●昭和新山・・・北海道・支笏洞爺国立公園内にある国の特別天然記念物。昭和の噴火で誕生
●平成新山・・・長崎・雲仙普賢岳。平成の噴火で誕生
さてここからは、「令和」にゆかりのある太宰府にある山や万葉集にちなんだ山を紹介する。ゆかりの地では早くも聖地巡礼などのブームが予想されているというから、われわれ山好きもゆかりある山に登って新しい時代の始まりを盛りあげていこう!
新元号の由来の舞台でもあり、学問の神様・菅原道真公が祀られ、梅の花の名所としても知られる太宰府天満宮。その裏側の福岡県太宰府市と筑紫野市の境界にあるのが宝満山だ。
山頂には縁結びのご利益のある竈門神社上宮や山伏が拝んだとされる礼拝石が建ち、山道には名物・百段ガンギの石段や苔むした険しい羅漢道、修験の講堂跡などが続き、古くから霊峰として崇められてきた歴史を今に伝えている。かの伝教大師や弘法大師も、遣唐使の航海安全祈願や雨乞い祈願で山に入ったという伝えも残されている。
展望抜群の山頂へはさまざまなルートでアクセスでき、今では家族連れからベテランまで九州有数の登山者が訪れる。
ここに紹介する正面の登山道を利用するコースは、大宰府天満宮を通るコースだ。春のシャクナゲ、初夏の新緑やヤマツツジ、秋の紅葉の時期が特におすすめだ。夏の時期に登るには暑いが、北西側・猫谷川新道から滝をめぐるコースを楽しんだり、さらに仏頂山や頭巾山、三郡山へと縦走するのもいいだろう。
高低図
太宰府から登山を楽しむなら、太宰府市の北側にある四王寺山もオススメだ。四天王山は最高点の大城山と大原山、岩屋山、水瓶山の総称だ。大城山山頂には、万葉の時代の城跡――、唐・新羅からの侵攻に備えて建てらた日本最古の古代山城で国の特別史跡でもある大野城跡がある。
また戦国時代の末期に戦いの場にもなったという岩屋城跡や、山中の33か所に祀られる石仏など、歴史を感じる史蹟が数多い。
なお、万葉集には新元号の由来となった歌を詠んだ大伴旅人の妹の、大伴坂上郎女が大城山について詠んだ歌があるというので、ぜひチェックしてみよう。
登山適期は、岩屋城跡が名所のサクラやツツジが美しい4~5月、そして見晴らしのよくなる秋だ。
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長野県・富士見台周辺は、古代東山道が通っていた場所で、万葉集はじめ、新古今和歌集、源氏物語、枕草子にも登場する場所だ。
7世紀初頭、朝廷が地方支配のために整備した東への幹線道のうち、海側を走る道を「東海道(とうかいどう)」、山をつないだ道は「東山道(とうさんどう)」と呼ばれ、富士見台高原を越える神坂峠は、最大の難所として知られていて、神坂峠からは、古代に祭祀で使用された鏡や勾玉などが発見されている。
なお、万葉集では「ちはやぶる神の御坂に幣奉り齋ふ命は母父が為」という歌で登場している。
富士見台を万葉の時代に思いを馳せながら楽しむには、園原の里から万葉浪漫コースを歩き、神坂神社登山口~古代東山ルート~富士見台高原へと歩きたい。または、富士見台ロープウェイを使って、古代東山ルートから園原の里へと下山するのもオススメだ。さらに恵那山へ縦走するなどアレンジも可能だ。
富士見台高原は中央アルプスの最南端に位置する標高1739mの山で、笹で覆われ夏には美しい緑の絨毯になる景観と、抜群の眺望で人気がある。
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千葉県の嶺岡山系自然公園の中に位置する御殿山は、低山が連なる房総半島では珍しい、標高333mの奥深い山だ。万葉集では安房国朝夷郡(現在の千葉県南房総市・鴨川市の一部)の上庁・丸子連大歳が、防人として筑紫に派遣される際に詠んだ歌「家風は日に日に吹けど我妹子が家言持ちて来る人も無し」が、この地を想って詠んだ歌とされる。
山名の由来は、ヤマトタケルが安房地方を平定した際に一望できるこの山を根城したことからと伝えられる。
紹介するコースは、往復4時間半ほどで御殿山から鷹取山、宝篋塔山、大日山を通過するルートで、途中に大黒様、大日山山頂に大日如来像なども祀られる楽しいコースだ。
山頂からは房総のマッターホルンと喩えられる伊予ケ岳や富士山などの素晴らしい景色が望め、特にトンネル状に咲くツバキやヤマザクラの季節がシーズンだ。
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額井岳は奈良県宇陀市・奈良市にある山で、その秀麗な山容から地元では大和富士とも愛称されている。万葉歌人で三十六歌仙の一人、山部赤人の墓が麓にあることで知られ、登山の際にお詣りする人も多い。なお、山部赤人の歌で最も有名なものは、万葉集、新古今和歌集、百人一首に収録されている「田子の浦にうち出でてみれば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ」だろう。
額井岳山頂には水神を祀った祠があり、かつての村人が干ばつの際に岳登りをして雨乞いをしたと伝えられる。
また、周辺に歴史スポットは数多く、額井岳から続く戒場山の麓には、聖徳太子の建立した戒長寺もある。さすが、古都・奈良。歴史を感じさせる山歩きを存分に楽しんでみたい。
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福島県郡山市、猪苗代湖の東側にそびえる額取山は、源義家が元服の際に額を剃って身を清めたという故事に山名が由来する山だ。地元では安積山とも呼ばれ、万葉集では「安積香山影さへ見ゆる山の井の浅き心を我が思はなくに」と詠まれている。
紹介するコースは黒岩山から大将旗山、額取山へとつながる稜線歩きのコースだが、もちろん、それぞれの登山口から往復しても良い。額取山山頂や途中の小ピークからは、猪苗代湖や磐梯山、飯豊連峰、那須連峰、吾妻連峰、安達太良山、阿武隈山といった東北の名山を一望できる。
登山道中では風神や雨神の石祠などの歴史スポットを楽しめたり、ヤマツツジやタニウツギ、ウラジロヨウラク、紅葉などの折々の季節の植物を楽しめたりする。
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