行程・コース
天候
登山口へのアクセス
バス
この登山記録の行程
鴨沢(06:45)・・・小袖乗越(07:13)・・・堂所(08:45)・・・七ツ石小屋(09:53)・・・七ツ石山(10:46)・・・ブナ坂(11:04)・・・奥多摩小屋跡(11:37)・・・小雲取山(12:34)・・・雲取山(13:09)・・・雲取山荘(13:52)・・・雲取山(05:45)・・・小雲取山(06:05)・・・奥多摩小屋跡(06:30)・・・ブナ坂(06:54)・・・七ツ石山(07:06)・・・千本ツツジ(07:47)・・・巳ノ戸の大クビレ(09:16)・・・鷹ノ巣山(10:21)・・・縦走路分岐(10:54)・・・水根山(10:57)・・・六ツ石山(12:05)・・・六ツ石山分岐(12:22)・・・三ノ木戸山分岐(13:06)・・・Goal(14:53)
高低図
登山記録
行動記録・感想・メモ
2年前の2月、あまりの雪の多さに1800m付近で断念して以来の雲取山。2ヶ月ほど山に行けていなかったけれど、その分(時々)補強運動やストレッチをやったりと、気持ちはそれなりに準備していたと思う。雲取山荘も週末は余裕あるとのこと、それを聞き前日の昼に山行を決定。帰宅して夜中に慌てて準備をしたけれど、無理して行って良かった2日間だった。
初日。途中までは調子良かったが1800m手前くらいからはバテバテ。雪があろうがアイゼンだろうが無雪期だろうが、だいたいこの辺りが自分の疲れるポイントなんだと気が付いた。その理由の一つとして、軽い高山病のような症状を初めて感じたことがある。頭痛というほどではないけれど、少し頭が重いというか孫悟空の緊箍児が自分の頭にもあるようなそんな感じ。高山と心臓病って相性悪いし、そういう影響なのかと戸惑いながらも大菩薩嶺は平気だったなと思い返したり。結論としては歳とともに体力が失くなったということだろうと納得した。
雲取山頂へは13時前に到着。直前の直下での「三条の湯」の標識や、避難小屋を見た時にテンションが上がりすぎて、山頂の感動が薄かったのが意外であり、やや残念だった。もっと感慨深くなるだろうと思っていたので自分で自分に拍子抜けしてしまった。結局自分はピークよりもプロセスなんだなと感じた次第。
何度も世話になった避難小屋は記憶よりも大きく、また新しくも感じたが、滞在しやすい雰囲気は昔のまま。少し小屋の中で横になってみたが、とても落ち着くこの雰囲気に次回はぜひ利用したいと思った。
雲取山荘への下山は、東京側の乾燥した景色とは大違いの、湿った、苔生した素晴らしい環境だった。山荘までずっと少年が父親と一緒に一生懸命歩いていた。小屋に泊まるのかと思ったが、山荘で休憩したあと秩父側に下って行った。彼が歩く今日の登山道はどんな感じだろうと秩父側も気になりながら見送った。
雲取山荘に到着し、初日の行動が終了。ホッと安堵感に包まれた。さわやか水を飲み少し休んだあと、宿泊の手続き。4-1の大部屋。一番乗りなので、出入り口に近い角を選び、荷物の片付けと着替えをして、外で珈琲タイム。甘い珈琲が体に心地良い。おかわりをして、ひと心地ついてから部屋に戻り1時間ほど昼寝。
雲取山荘は口コミ評価も低く、どんな小屋だろうと思ってたけど、特に気になるようなところはなかった。すごく良い小屋かと言われたら口ごもってしまうが、じゃあ悪い小屋だというほど悪いところも浮かばない。山小屋に何を求めているのか、の違いかも知れない。私としては充分。本も非常にたくさんあって、目も喜んだ。
昼寝のあと外に出ると激しい夕立。その中、びしょ濡れになりながら次々と登山者が到着。レインウエアを誰も着てないところを見ると、急に降ってきたのだろう。夕立は断続的で小降りの時間も出てきたので外でボーっと雨の景色を見ながら夕食までの時間を過ごした。ホントに何十年ぶりの山の夕方の景色。こうして1人で山と向き合ってることが至福の時間だ。
今回は「昼食」を準備せず、行動食を多めにした。そのせいか強い空腹感を覚えていて、やっと夕食の時間だとよろこんで食堂に駆け込んだ。その空腹感からすると食事量が少なく感じたが、食べてみると適量。お茶を飲んで少し食堂で過ごしたあと、部屋に戻った。
にぎやかな女性相部屋と比べて、男性相部屋は静かで、こういう時の男は妙にスカしてて、気位が高く、ホントにダメだと思う。当然、私もダメに含まれる。
夜は20時前に就寝。夜中、何度も激しい雨の音と、あまりの暑さに目が覚めた。
2日目。
起きると、インナーシュラフは足元でくちゃくちゃ。掛け布団も壁にへばり付いてて、相変わらずの寝相の良さに我ながら感心。3時半の外は満点の星空に雲一つない天気。あまりの気持ち良さに、すぐにも出発したい衝動をなんとか押さえて、渋々と出発の準備を始める。とは言ってもそんな準備はすぐに終わり、それから1時間、ずっと星空を眺めていた。そして山が少しずつ目を覚ますのを眺めていた。このひと時が私は好きで山に来てるのかも知れないなって思った。昨夜は昨夜で、山がゆっくり眠りに就くのを眺めながら、この時間が大好きだったんだなと思ったけれど、この悠久から続くようなたゆたう時間を求めて山にいるのだと思う。
そんなことを考えているうちに次々と登山者が出発して行き、それを体を動かしながら鼻息荒く見送る自分は、まるでゲートに入った競走馬のようだと自嘲した。さていよいよ出発。足元がどんどん明るくなる中、山頂に辿り着いた1分後に日の出という際どさ。もう二度と見ることがないと思った雲取山頂から見る日の出は、特段変わらない日の出で、普段通りの日常的な日の出の景色の中に自分がいることに深い感動を覚えた。あぁ、自分は雲取のてっぺんにいるんだなと初めて山頂にいる歓びが溢れてきた。眠りから覚めた景色の1つ1つにまた来るよって。何回も来るよって、そう声をかけながら山頂をあとにした。
折返しになる七ツ石までの道を過ぎてからは、自分の記憶のあやふやさに辟易。なに一つ記憶と一致せず、石尾根自体は楽しかったが、新鮮な気持ちと戸惑いに挟まれ下山した。下山口も全く記憶にないところで、後半は戸惑いと共に下山したようだった。それでも予定した通りのコースを歩けて満足な2日間だった。
自分で問題を出して解く。キツイキツイと自分に文句を言う。山の中ではなにもかも自分にケチを付け、おしりをたたき続ける。そんなことばかりなり。不毛な堂々巡りと、意味がないような個人的な作業。こんなことがなによりも価値があると感じた2日間だった。「ゆくあてはないが、先を急ぐと決めてますんで」とは木枯し紋次郎。理屈や理由の通らない山行をこれからも楽しみたい。




















































