知られざる日本アルプス物語。南アルプス開拓の父「竹澤長衛」に迫る(『山と溪谷』最新号より)

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

大仙丈ヶ岳に続く稜線

猟師であり、優れた山案内人でもあった竹澤長衛(たけざわ・ちょうえ)。北沢峠に山小屋を建て、登山道の開削にも従事した。めざしたのは、女性でも山を楽しめる環境づくりと安全登山の啓蒙。10月中旬、長野県伊那市の白鳥孝市長と仙丈ヶ岳を歩き、長衛についてお聞きした。
※本記事は『山と溪谷』2022年1月号に掲載した記事をWeb掲載用に再編集したものです。

猟師であり、優れた山案内人でもあった竹澤長衛(たけざわ・ちょうえ)。北沢峠に山小屋を建て、登山道の開削にも従事した。めざしたのは、女性でも山を楽しめる環境づくりと安全登山の啓蒙。10月中旬、長野県伊那市の白鳥孝市長と仙丈ヶ岳を歩き、長衛についてお聞きした。
※本記事は『山と溪谷』2022年1月号に掲載した記事をWeb掲載用に再編集したものです。


写真=奥田晃司、文=伊藤洋平(山と溪谷編集部)

写真=奥田晃司
文=伊藤洋平(山と溪谷編集部)


『山と溪谷』2022年1月号

山と溪谷2022年1月号 山と溪谷2022年1月号

特集「日本アルプス」
第2特集「新田次郎生誕110年記念企画 あらためて読みたい新田次郎」
特別企画「韓国発のトレッキングコース日本の“オルレ”を歩く」
2大別冊付録「山の便利帳2022」「日本アルプスコースガイド」


Amazonで見る

発売日:2021年12月15日  価格:本体価格1,320円(税込)
ページ数:236 商品ID:2821901566
https://www.yamakei.co.jp/products/2821901566.html

『山と溪谷』2022年1月号

山と溪谷2022年1月号 山と溪谷2022年1月号

特集「日本アルプス」
第2特集「新田次郎生誕110年記念企画 あらためて読みたい新田次郎」
特別企画「韓国発のトレッキングコース日本の“オルレ”を歩く」
2大別冊付録「山の便利帳2022」「日本アルプスコースガイド」


発売日:2021年12月15日
価格:本体価格1,320円(税込)
ページ数:236
商品ID:2821901566

Amazonで見る


優れた山案内人が登山家たちを頂へ導いた

近代登山の黎明期とされる100年ほど前、山案内人は登山家たちにとって欠かせない存在だった。北アルプスの上條嘉門次(かみじょう・かもんじ)や小林喜作(こばやし・きさく)はその代表的存在として知られている。そして南アルプスの優れた山案内人であり、現在の南アルプス登山の礎を築いた人物こそが竹澤長衛(以下、長衛)だ。

北沢峠周辺の山小屋と登山道MAP

現・長野県伊那市長谷の戸台に生まれた長衛は、猟師を生業としながら山案内人としても積極的に活動し、41歳で北沢峠に長衛小屋を建設した。長衛の功績は多岐にわたるが、北沢峠周辺の登山道に焦点を当てれば、上の地図に示したように多くの登山道が長衛によって拓かれている。現代の登山者もその恩恵にあずかっているはずなのだが、長衛のことを知っている登山者は多くはないだろう。「南アルプス開拓の父」というその肩書きは僕も聞いたことはあったが、具体的に何をした人物なのか、恥ずかしながらこの取材を行なうまで詳しく知らなかった。

今回、長衛について取材するにあたり、長衛の地元・伊那市の市長である白鳥孝(しろとり・たかし)さんに長衛の功績をお聞きすることになった。白鳥さんは根っからの山ヤで、社会人山岳会「伊那山仲間」や日本山岳会などにも所属している。白鳥さんにとって長衛は地元の誇るべき偉人であり、その功績をたたえ、安全登山を祈る長衛祭の運営に携わるなど、長衛の想いを後世に伝えていくためのさまざまな取り組みを行なってきた。取材当初、北沢峠でお話を聞く予定だったが、白鳥さんが会長を務める南アルプス食害対策協議会の活動で仙丈ヶ岳(せんじょうがたけ)に視察に登る機会があり、「ご一緒しませんか」と誘っていただいた。

二合目巻き道
1949年に長衛が開削。北沢峠から二合目まで尾根通しの道は以前からあったが、起伏が続くために山腹に巻き道を付けた。松尾修氏の『竹澤長衛物語』では「仙丈巻き道新道」として記載

薮沢新道
1941年に長衛が開削。馬ノ背の緩やかな斜面から仙丈ヶ岳に登れるよう、五合目から約1㎞にわたって馬ノ背に続くトラバース道を拓いた

重幸新道
長衛の息子である重幸が後に開削。大平山荘から薮沢沿いに続くため、薮沢新道、薮沢重幸新道と呼ばれることもある

栗沢山新道
1941年に長衛が開削。仙水峠を経て栗沢山に登頂するのが一般的だったが、北沢峠から日帰りで栗沢山を登る登山者が増えたため、近道として拓いた

双児山ルート
1949年に長衛が開削。以前から一部の登山者には下山路として歩かれていた尾根を歩きやすいように整備した


長衛の功労である登山道をたどって

早朝、北沢峠で白鳥さんたち伊那市の方々と合流し、仙丈ヶ岳をめざす。南アルプス林道バスのバス停から東へ少し下った所に仙丈ヶ岳の登山口を示す道標がある。登山道を進んでいくと、先頭を歩く白鳥さんが「この道は長衛が拓いた登山道の一つです」と教えて くれた。「バス停のすぐ裏にも仙丈ヶ岳の登山口があり、登山者の多くはそちらを利用するんですが、起伏や急登があってきついんですよ。それに比べて長衛が拓いたこちらの道(二合目巻き道)は徐々に標高を上げられるので歩きやすくておすすめです」


左/現在の長衛小屋とレリーフ 右/長衛小屋と竹澤長衛
左/現在の長衛小屋とレリーフ
右/長衛小屋と竹澤長衛
竹澤長衛
たけざわ・ちょうえ/1889年、戸台に生まれ、20歳ごろから山案内を始めたとされる。1930年に長衛小屋を、1951年には薮沢小屋を建設。1958年、脳溢血により自宅にて逝去。

二合目でふたつの登山道は合流するが、五合目で再び分岐が現われた。「ここからは尾根道を離れて馬ノ背に向かいます」と白鳥さん。この道は先ほどの地図に「薮沢新道」と表記した道で、標高をほとんど変えずに尾根をトラバースする。薮沢新道に入ると、じきに薮沢小屋が見えた。「この登山道と薮沢小屋はどちらも長衛が建設したものです。薮沢小屋は立て替えているので、当時の姿のままではないのですが」

台風などの影響で、近年は薮沢新道の一部が崩れて鎖を整備している箇所もあるものの、水平に道がつけられているので歩きやすい。薮沢に出合った後は馬ノ背に上がり、気持ちのよい尾根を登っていくと仙丈小屋に到着した。

荷物を仙丈小屋に置き、山頂に向かう。10月も中旬に入り、空気は澄んで雲海の向こうに北アルプスや中央アルプスなどの絶景が広がっていた。白鳥さんや南アルプス食害対策協議会事務局の方々は、食害の状況や防鹿柵による植生保護の確認、来年以降の防鹿柵の設置場所の検討といった作業があり、見学させてもらった。(※詳細は『山と溪谷』2022年1月号P44を参照)



左/薮沢小屋 右/二合目巻き道

仙丈ヶ岳を女性でも安心して登れる山に

その夜、白鳥さんたちから長衛や北沢峠にまつわるさまざまな話を聞いた。個人的に気になっていたのは、なぜ長衛は馬ノ背にトラバースする道を新たに作ったのか、ということ。北沢峠から小仙丈ヶ岳を経て仙丈ヶ岳に至る尾根道は、以前から登山者たちに歩かれていたはずだ。「それは誰でも安全に仙丈ヶ岳を登れるようにするためですよ」と白鳥さん。

長衛が山案内を始めた当初は、山に登るのは一部の登山家や資産家のみだった。しかし、長衛小屋を建設したころには登山の一般化が進み、女性の登山者も増えていたという。従来の尾根道はきつい登りが続くため、女性を含む誰もが山を安全に楽しめるよう、登りやすい馬ノ背への道を拓いたそうだ。加えて、馬ノ背上部を彩る高山植物のお花畑や薮沢カールの絶景を楽しんでほしいという想いもあったのかもしれない。二合目巻き道や薮沢新道は長衛が50代になってから拓いたものなのだが、長年の案内で山を熟知していたからこそできたものだろう。

仙丈ヶ岳・薮沢カールの端に立つ仙丈小屋

また、現在の長衛小屋は山梨県南アルプス市営となっている。これは長衛の息子の竹澤昭一氏が1994年に小屋を旧芦安村に譲渡したためだ。その後、2006年には小屋名を「北沢駒仙小屋(こませんごや)」に改称したが、2012年の全面改築の際、白鳥さんが当時の南アルプス市長の中込博文(なかごみ・ひろふみ)氏に「名称を長衛小屋に戻してほしい」と相談したという。

「名称が変わり、小屋も建て替えとなると、長衛が建てた歴史的な小屋がなくなってしまうだけでなく、自然保護や安全登山、女性登山などに先駆けて取り組んだ長衛を偲ぶものがレリーフのみとなってしまいます。長衛が小屋を建設した場所に長衛の名前を残したかったんです。一度改称した小屋名を戻すのは大変なことだと思いますが、南アルプス市は快く受け入れてくれました。一方で、南アルプス市からは伊那市側にある『長衛荘』との混同を避けるため、長衛荘の名前を変えてほしいという相談がありました。今度は伊那市 が申し入れを受け入れ、2014年に長衛荘は全国から公募した『こもれび山荘』に改称することになりました」

両小屋で名称変更があったことは僕も知っていたが、その背景までは知らなかった。北沢峠は長野県と山梨県の県境に当たる。それゆえの苦労や難しさはあっただろうが、伊那市と南アルプス市ともに長衛の功績を北沢峠に残したいという想いは同じだったのだろう。


上/薮沢新道 下/仙丈小屋からの景色

早朝、白鳥さんは公務のため下山することになっていた。僕らは長衛が愛した仙丈ヶ岳をもう少し堪能したくて、白鳥さんを見送ってそのまま残った。稜線からの景色、静かで美しい森、そして長衛が拓いた道、話を聞いた後はすべての風景がさらに新鮮だった。

下山後、長衛の生涯を描いた『竹澤長衛物語』(松尾 修著、小社刊)を読み直し、長衛の道づくりのポリシーや安全登山の考え方など、その願いがさらに胸に響いた。仙丈小屋の晩、伊那市の方が長衛祭の手ぬぐいを掲げ、そこに記された「山は大きいでなぁ、どけえも逃げていかねえ。天気が悪かったらまた来るさ」という長衛の口癖を暗唱していたが、地元の人が長衛を誇りに思うその気持ちがよく伝わってきた。(取材日=2021年10月14~15日)


今回は『山と溪谷』最新号「日本アルプス」より、「南アルプス開拓の父、竹澤長衛に迫る」を紹介した。特集では日本アルプスの「発見」から登山史、現代の楽しみ方や直面する課題まで、日本アルプスのあらゆる話題を取り上げている。また、「山の便利帳2022」「日本アルプスコースガイド」の2大別冊付録も注目だ。ボリューム満点の『山と溪谷』1月号があれば、年末年始が充実すること間違いなし!

 

南アルプス北部 仙丈ヶ岳 1泊2日

北沢峠から広河原方面に数十メートル歩くと、長衛が拓いた二合目巻き道の登山口がある。五合目からは薮沢新道を通って馬ノ背に向かい、仙丈小屋に1泊。翌日、仙丈ヶ岳から小仙丈ヶ岳を経て、北沢峠に戻る。長衛が登山者の安全を祈って拓いたコースを歩こう。

■行程
北沢峠・・・五合目・・・薮沢小屋・・・馬の背ヒュッテ・・・仙丈小屋・・・仙丈ヶ岳・・・小仙丈ヶ岳・・・北沢峠

■参考コースタイム
1日目=4時間15分 2日目=3時間

⇒登山地図&計画マネージャ「ヤマタイム」へ

プロフィール

山と溪谷編集部

『山と溪谷』2024年5月号の特集は「上高地」。多くの人々を迎える上高地は、登山者にとっては入下山の通り道。知っているようで知らない上高地を、「泊まる・食べる」「自然を知る・歩く」「歴史・文化を知る」3つのテーマから深掘りします。綴じ込み付録は「上高地散策マップ」。

Amazonで見る

From 山と溪谷編集部

発刊から約90年、1000号を超える月刊誌『山と溪谷』。編集部から、月刊山と溪谷の紹介をはじめ、様々な情報を読者の皆さんにお送りいたします。

編集部おすすめ記事