夏山シーズン初めに多い遭難とは? 事故事例に見る夏山の危険

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梅雨明けと共に本格的な夏山シーズンが始まる。日本アルプスをはじめとして、全国の山岳エリアで遭難が増える時期でもある。2022年の遭難事例を振り返って、夏山期の初めに起きがちな事故のパターンを考えてみたい。

文・写真=野村 仁

目次

道迷い、滑落、急病など多様な事故が発生

年間でもっとも登山者が多く、遭難も多発する夏山シーズン。7月はまだ梅雨が明けていないこともありますし、シーズン初めで登山道の整備などが不充分なこともあります。高山や多雪地では残雪が残っている場所もあります。不安定な山道での転倒、滑落、ルートミスに注意が必要です。また、夏山特有の気象条件による体調不良、熱中症、脱水症、足けいれんなどにも対応できるようにしましょう。今回は昨シーズン7月中に発生した遭難事例から考えてみます。

夏山シーズン初めの山はまだ残雪に対する注意が必要(穂高連峰北穂高岳、6月)

 

事例1 独鈷山 道迷い・滑落(死亡)

7月3日(日)、長野県上田市の独鈷山(とっこさん)に夫と2人で入山していた女性(60歳)が、下山途中にはぐれて行方不明になりました。午後2時過ぎに夫が110番通報し、警察・消防などが捜索しましたが同日中は発見できませんでした。4日午前8時ごろ、登山道から外れた急斜面に女性が倒れているのが見つかり、その後死亡が確認されました。道に迷ったうえ滑落したと推定されています。

[解説]
長野県警がヤマレコ上で公開している遭難発生マップによると、女性は独鈷山から北に延びる鉄城山への稜線付近で発見されました。頭部などに外傷があったといいます。西前山コースを下山すると、標高約1140mの稜線分岐からコースは右に分かれる支尾根に沿って谷に下ります。分岐から直進方向には鉄城山~雨首へのバリエーションルートがありますので、ここに迷い込んだものと推測されます。このルートは上級者向きの危険なルートでした。夫が先頭を歩いていたとすると、稜線分岐を通過したときにその姿が見えないほど離れてしまっていたのかもしれません。登山中にメンバーの姿が見えない状態になるのは危険だというリスク意識を全員が共有している必要があります。

遭難者の発見地点は鉄城山への稜線上だった

 

事例2 北アルプス・槍ヶ岳 滑落(死亡)

7月7日(木)午前11時30分ごろ、北アルプス槍ヶ岳の槍沢で救助活動をしていた長野県警ヘリが、急斜面を流れる沢の脇に倒れている男性(41歳)の遺体を発見して、その場で死亡が確認されました。沢の上には登山道があり、上部で男性のバッグが見つかりました。登山中に滑落したとみられます。男性は7月1~3日に単独で北アルプスを登山する予定の登山届を出していました。

[解説]
報道では発見場所が「標高2200mの天狗原付近の沢」となっていますが、地形図で確認すると天狗原は標高2500m付近で、標高2200mだとかなり下部の槍沢付近になってしまいます。「天狗原分岐付近の沢」と読み替えればつじつまは合います。このとき長野県警ヘリが救助活動をしていたのは槍沢のグリーンバンド下部(標高2500m付近)で、71歳男性がスリップして転倒・負傷したものでした。7月中だとこのあたりは登山道が雪上を通ったり、雪渓を横切ったりする箇所があります。発見された男性も残雪上か不安定な山道で転倒し沢へ滑落したのでしょう。発見が事故発生から4~5日後と遅れてしまいました。早く発見されるためには登山計画書を家族や友人などに預けておく必要があります。

槍沢周辺ではほかにも事故が多発している

 

事例3 南アルプス・兎岳 道迷い(軽傷)

7月9日(土)から1泊2日の予定で南アルプス聖岳に入山した男性(60歳)が予定日に下山せず連絡もとれないため、11日、男性の家族が救助要請しました。警察や地元遭対協などが捜索しましたが発見されずにいたところ、16日午後10時ごろ、自力で下山した男性から職場へ連絡がありました。男性は10日朝に聖平小屋から聖岳と兎岳に登頂し、下山中に濃い霧のため道に迷いました。非常食と野草を食いつなぎ、沢の水を飲みながら、悪天候のため少しずつ下山したそうです。2度滑落しましたが大きなケガはありませんでした。

[解説]
男性がどのルートを下山したかは公表されていません。生還から約1カ月後の中日新聞で、「迷い込んだ谷ではスマートフォンも携帯ラジオもつながらず、充電も尽きかけた」とエピソードが紹介されています。該当する谷は遠山川の西沢しか考えられませんが、滝やゴルジュ(岩の廊下)のある沢ですから、相当困難で危険な下降だったと想像されます。男性は登山歴約30年、地元遭対協のメンバーでもあり、リスクに対処できる装備と経験がありました。食料は4日分持参していたそうです。スマートフォンや携帯ラジオが使えないなかで、予備として持っていた紙の地図が頼りになったと言っていました。迷ったとき沢に下らずに登り返すことが、上級者でもいかに難しいかという教訓も示しています。

南アルプス・兎岳周辺

 

事例4 富士山 病気(死亡)

7月14日(木)午後1時45分ごろ、富士山山梨県側六合目の登山道で、男性(59歳)が倒れて心肺停止状態になりました。男性は運搬車で五合目に移動後救急車に引き継がれ、搬送された病院で死亡が確認されました。死因は心疾患でした。男性はこの日12時30分ごろ、7人で富士山頂をめざして登山開始し、約1時間後の13時30分ごろ突然倒れたそうです。富士山でこの年初めての死亡事故となりました。

[解説]
富士山は毎年遭難事故が多いですが、ほとんどは軽微なもので無傷で救出されることも多いです。もっとも警戒が必要なものは、本事例のような心臓発作や脳卒中による病死事故でしょう。原因は特定できないことが多く、健康そうに見える人や、持病をもっていない人でも起こりますし、比較的若い40~50代の人にも起こります。富士登山は負荷の大きい運動を長時間続けることになりますので、充分に体調を整えて万全な状態で臨むことです。そして登山中は無理のないペースで休み休み登るようにしましょう。

 

事例5 北アルプス・天狗のコル 滑落(死亡)

7月24日(日)午前7時25分ごろ、北アルプス西穂~奥穂稜線の天狗のコル付近で女性(38歳)が約20m滑落しました。同行者の男性(62歳)が通報し、岐阜県警ヘリが午前11時5分ごろ救助しましたが、その場で死亡が確認されました。死因は頭部外傷でした。2人は22日から2泊3日の予定で入山しましたが、天候不良のため24日早朝まで山荘に待機して、当日は奥穂高岳へ向かっているところでした。

[解説]
22~23日は悪天候で行動できなかったため、最後の1日で西穂~奥穂を縦走して下山まで、という予定だったのでしょうか。予備日を1日設けておいて穂高岳山荘または涸沢に泊まり、難所である西穂~奥穂間は余裕をもちながら慎重に行くような方法がよかったと思います。予定がキツキツであることと滑落事故とは直接の関係はないですが、やはり時間的余裕があったほうが、安全性が高まるのは確かでしょう。

西穂~奥穂縦走は登山というよりクライミングのルートです。一歩誤れば死亡事故になってしまうような危険箇所が続くルートを、多くの人はフリーで(ロープの確保なしで)歩いています。どういう方法で登るかは個人の選択ですが、危険な場所ではロープを出して確保することも含め、充分な時間をかけながら通過していくのが本来のあり方ではないでしょうか。

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この記事に登場する山

長野県 / 筑摩山地

独鈷山 標高 1,266m

 電車に乗って上田付近を通るとき、南に、高くはないが突兀(とっこつ)とした特異な青い山並みが現われ、目を引くだろう。この一連の山々が独鈷山である。その名は、仏敵を打ち破る仏具からきたというよりも、その突兀とした山勢を音で表わしているような気がしてくる。  独鈷山には北の中禅寺からと、南の丸子町平井から登路がある。いずれも2時間から2時間30分の行程。ともに険しいが、中禅寺からのものは、岩の細い谷間に入り込み、固定ザイルで崖をへつり、岩を攀り、息つく間もない。稜線に出ると頂上は間近い。  浅間山をはじめ烏帽子岳や四阿の山々、蓼科山、美ヶ原と、展望はさえぎるものがない。  帰りは沢山湖へと山の背を下る道が長いが安全だ。野倉を通って別所温泉に入ったり、北向観音や安楽寺の国宝、八角三重の塔を詣でたりして帰りたい。

長野県 岐阜県 / 飛騨山脈南部

槍ヶ岳 標高 3,180m

 鋭角に天を突く岩峰でそのものずばりの命名、しかも北アルプス南部の登山道が集中する位置のよさ。槍ヶ岳は北アルプス南部の鎮である。  行政区分からいえば長野県の大町市、松本市と岐阜県高山市との境にそびえている山である。地理的条件も実に絶妙な場所といえる。  南から穂高連峰の縦走路、東から常念山脈や燕岳からの表銀座コース、谷筋では上高地から梓川、槍沢を遡っていく登山道、新穂高温泉から蒲田川右俣、飛騨沢を登るコースと、北アルプス南部のすべてのコースが槍ヶ岳に集中し、中央部へは西鎌尾根が唯一の回廊となって双六岳に通じる、北アルプス南部の扇の要である。  しかも鋭い槍の穂先のような姿は、日本の氷河地形の典型でもある。地質は硬いひん岩で、氷河が削り残した氷食尖峰。東西南北の鎌尾根も氷食地形、槍沢、飛騨沢、天上沢、千丈沢はU字谷とカールという、日本の氷河地形のサンプルぞろいである。  登山史上で初めて登頂したのは江戸時代の文政11年(1828)の播隆上人。4回登って3体の仏像を安置し、鉄鎖を懸けて信者の安全な登拝を可能にした。登路は安曇野の小倉村から鍋冠山を越えて大滝山へ登り、梓川に下って槍沢をつめている。今も残る槍沢の「坊主ノ岩小屋」は播隆が修業した籠り堂だ。  近代登山史の初登頂は明治11年(1879)の英人W・ガウランド。1891年には英人W・ウエストンも登っている。日本人では1902年の小島鳥水と岡野金次郎。穂高・槍の縦走は1909年の鵜殿正雄で、ここに槍ヶ岳の黎明が始まった。大正11年(1922)には3月に、慶応の槙有恒パーティによる積雪期の初登攀があり、同年7月7日には早稲田と学習院が北鎌尾根への初登攀に挑んでいる。早稲田は案内人なしの2人パーティで、槍ヶ岳頂上から独標往復。学習院は名案内人小林喜作とともに末端からと、方式も違う登攀でともに成功した。  その後も北鎌尾根ではドラマチックな登攀が行われ、昭和11年(1936)1月には、不世出の単独行者、加藤文太郎の遭難、昭和24年(1949)1月の松濤明、有元克己の壮絶な遭難が起きている。加藤の遺著『単独行』と松濤の手記『風雪のビヴァーク』は登山者必読の書である。  登山道で直接登るコースは、上高地から槍沢コース経由で槍ヶ岳(9時間30分)と、新穂高温泉から飛騨沢コース(8時間40分)の2本。ほかに穂高連峰からの縦走コース(7時間30分)、燕岳からの表銀座コース(8時間40分)、双六小屋から西鎌尾根コース(6時間)と数多い。

長野県 静岡県 / 赤石山脈南部

兎岳 標高 2,818m

プロフィール

野村仁(のむら・ひとし)

山岳ライター。1954年秋田県生まれ。雑誌『山と溪谷』で「アクシデント」のページを毎号担当。また、丹沢、奥多摩などの人気登山エリアの遭難発生地点をマップに落とし込んだ企画を手がけるなど、山岳遭難の定点観測を続けている。

山岳遭難ファイル

多発傾向が続く山岳遭難。全国の山で起きる事故をモニターし、さまざまな事例から予防・リスク回避について考えます。

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