ルポ・荒川岳~赤石岳。長野県から登る、南アルプスユネスコエコパークの山旅

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南アルプスの真っ只中、長野県大鹿村に住む著者が、信州側から荒川岳、赤石岳を縦走。大自然と人の営みがつくる南アルプスの風景の中を旅した。

文・写真=宗像 充

目次

信州側から南アルプス南部をめざす

南アルプス主脈のちょうど中間点に三伏(さんぷく)峠がある。前後に手軽にアプローチできる登山口はない。通常、荒川三山、赤石岳という南アルプス南部を代表する2つの百名山へは、静岡県側から登る周回コースが紹介される。静岡県側の登山口周辺では一時リニア新幹線建設の準備工事が行われていたが、現在椹島(さわらじま)は宿泊利用でき、二軒小屋の今期の営業はされていない。 長野県側からも三伏峠を経て2つの百名山に登られる。もともと南アルプスで1泊2日の山旅は限られている。だったら小屋も近いこのルートはもっと見直されていいのでは、と麓に住む筆者は思う。

1日目 越路(鳥倉林道ゲート)〜三伏峠〜高山裏避難小屋

9月3日(曇り)。昨シーズンは長雨が続き、2泊の日数を確保しようとしたら9月にずれ込んだ。鳥倉登山口へは、8月まで伊那大島駅(朝便)、中央道の松川インター(昼便)から登山バスが出ている(2023年は7月15日~8月27日)。早朝のバスに乗るか、東京や名古屋から高速バスで松川まで来ると登山バスに乗り継げ、登山口までアクセスできる。自家用車だと手前の越路ゲートの駐車場に車を置き、40分歩くと登山口に至る。

三伏峠への登山口。ここまでバスが入る。最近は手前の越路(鳥倉林道ゲート)からの自転車利用が多い
三伏峠への登山口。ここまでバスが入る。最近は手前の越路(鳥倉林道ゲート)からの自転車利用が多い

筆者の登った日は天気が悪くて見通しがまったく利かず、おまけに雨が降ってきた。とはいっても、三伏峠までの道は時折中央アルプスが樹幹越しに見える程度で、晴れていてもあまり変わらない。

多くの登山者はここから塩見岳を往復する。実際、三伏峠からから先、ほかに登山者はいなくなった。名物のお花畑は現在防護柵で保護され、時期は盛夏。柵の間の登山道から主稜線に出ると、小河内(こごうち)岳や荒川岳とこれから登る山々が一望できる(この日は真っ白)。

三伏峠から塩見岳と小河内岳の分岐。登山道は森の中を行く
三伏峠から塩見岳と小河内岳の分岐。登山道は森の中を行く

登山バスで午後着の便を利用すれば、1日目は三伏峠で宿泊になる。車か朝のバス便なら小河内岳避難小屋や高山裏避難小屋まで足を延ばせるだろう。頂上直下の小河内岳の小屋は正面に富士山を望める最高のロケーションなので、機会があったらぜひ泊ってほしい(水場はない)。小ピークをいくつか越えるとかわいらしい小屋が見えてくる。

小河内岳への登山道は右手が崩落し、左側へと付け加えられているのがわかる。100万年前からの本格的な隆起で、南アルプスは毎年平均して4mm高くなっている。雨が多いこととも相まって、山体が削られる速さも世界有数で、その崩壊地形が小河内岳から荒川前岳にかけての西側に見ることができる。現在建設中のリニア中央新幹線はこの稜線の大日影(おおひかげ)山の直下、1400m下をトンネルで通過する予定だ。ここにトンネルを通すのがどのくらい難しいか想像できると思う。

三伏峠小屋を振り返る。造山活動による崩落地形がすぐそばまで迫る
三伏峠小屋を振り返る。造山活動による崩落地形がすぐそばまで迫る

小河内岳を過ぎると毎回ライチョウに出合うが、この日も現われた。山頂から森林の中を下り、2時間ほどで森の中の高山裏避難小屋に至る。登山口付近で追い抜かれた単独の登山者が先に着いていた。

小河内岳先で見かけたライチョウ
小河内岳先で見かけたライチョウ

聞けば明日荒川岳を越えて二軒小屋に下り、蝙蝠尾根から塩見岳に登り返して下山するという。中岳避難小屋には小屋番がいるが、小河内岳、高山裏は8月いっぱいで無人になるので、今日はここまでにしたそうだ。このところの宿泊費の高騰の中、すごい計画を立てる人もいる。この小屋の裏手の水場はたいへん美しい。

高山裏避難小屋から荒川三山。小屋は9月以降は無人
高山裏避難小屋から荒川三山。小屋は9月以降は無人

【行動経過】5:50越路(鳥倉林道ゲート)―6:25鳥倉登山口―7:50仏の清水―8:35三伏峠小屋―9:30烏帽子岳―10:10前小河内岳―10:45小河内岳避難小屋―12:40板屋岳―13:30高山裏避難小屋

⇒ヤマタイムで周辺の地図を見る

2日目 高山裏避難小屋〜荒川中岳〜赤石岳

9月4日(晴れ)。目を覚ますと小屋から荒川三山のピークが見え、がぜんやる気を起こす。この時期になるとこのへんの森の中はキノコだらけだ(国立公園特別地域です)。途中ロープのかかった個所を越えるとガレ場に至り、昨日何も見えない中さまよった稜線が一望。ガレ場を詰めるとこのルートで初めて登山者と行き合い、右手の大崩落際の登山道を注意しながら登ると荒川前岳に至る。

荒川中岳までは指呼の間で、富士山も見えて南アルプスの稜線漫歩が楽しめる。荒川三山はこの先の東岳(悪沢岳)が3141mでいちばん高く、南部一帯でもいちばん高いピークだが、この日は先を急いだ。往復すると2時間半だが、アップダウンに岩場もあるので注意して登ってほしい。

前岳と中岳のコルから氷河が削り取ったカール地形がよくわかる。またここら一帯は南アルプスを代表するお花畑が広がるエリアでもある。鹿柵で保護されドアを開けて中に入ると、盛りは過ぎたものの、タカネイブキボウフウなどの花がまだまだ楽しめた。氷河時代の植物が、高山地帯にレフュージア(避難地)を求めた結果と思われる。

荒川前岳に向けたガレ場を詰める。初めて登山者と行き交った
荒川前岳に向けたガレ場を詰める。初めて登山者と行き交った
荒川前岳山頂から富士山が見えた
荒川前岳山頂から富士山が見えた
荒川中岳と南アルプス北部の山々
荒川中岳と南アルプス北部の山々

三伏峠やこの一帯の高山植物保護は、ボランティアの手で柵などが設けられ続けられてきた。南アルプスは歴史や自然環境、文化の各面で「人と自然のいい関係」をめざす、ユネスコエコパーク(生物圏保存地域)として指定されている。稜線近くまで人工林が多く、以前から人の手が入ってきた。また、近年の大規模開発の影響や、それへの反対や保全の取り組みも、ならではと言えるのかもしれない。

荒川岳のお花畑はタカネイブキボウフウが咲いていた
荒川岳のお花畑はタカネイブキボウフウが咲いていた
オンタデ
オンタデ
イブキトラノオ
イブキトラノオ

正面にこれから登る赤石岳が正面に見え、登山者が行きかう荒川小屋を経て、大聖寺平(だいしょうじだいら)から快適な稜線漫歩で赤石岳に至る。

昨年までは名物小屋番の榎田善行さんと後藤智恵子さんが登山者をもてなしたが、今年から新しい小屋番さんに交代したそうだ。静岡県側の川根本町から来た榎田さんも言うように、筆者の暮らす大鹿村から見える赤石岳はもともと「長野県の山」と言ってもいい。

山頂の祠や林立する石剣は、大鹿村の行者が登拝し建てたものだ。途中ダマシ平にある「位久光霊神」の碑と同じ銘文の碑が、筆者の隣家の脇に建っていた。久平さんという行者が江戸時代にダマシ平まで登拝していたことがわかった。大聖寺平から静岡県側に見下ろすところにある石室の跡もその登拝で利用されたと思われる。

ユネスコエコパークの新小屋番として、赤石岳の歴史を積み重ねていってほしい。

荒川小屋(右端)に向けて下る途中で正面に見える赤石岳
荒川小屋(右端)に向けて下る途中で正面に見える赤石岳
大聖寺平から先のお花畑ではチングルマの群落がある
大聖寺平から先のお花畑ではチングルマの群落がある
赤石岳山頂には無数の石剣が空に向かって立てられている
赤石岳山頂には無数の石剣が空に向かって立てられている

【行動経過】4:00起床5:10出発―6:00ガレ沢―7:45荒川中岳―8:40荒川小屋―9:40ダマシ平―10:25小赤石岳―11:00赤石岳

⇒ヤマタイムで周辺の地図を見る

3日目 赤石岳から下山

下山は小赤石岳手前の分岐から東尾根(大倉尾根)を目指す。静岡県側の小尾根を下り北沢の源頭に進むと沢に出る。主稜線からも顕著に見えるラクダの背と呼ばれる尾根の右側をトラバースし、シラビソの森の中を赤石小屋に到る。2日目に山頂で榎田さんたちにインタビューして宿泊したが、2日目にここまで下ると翌日は余裕が持てる。針葉樹林の中の急な下りをつづら折りに進むと林道に出る。赤石岳からは6~7時間の行程で椹島だ。

アップダウンで体力は使うが、自家用車で来ていれば、途中1泊して来た道を戻るのが現実的だ。

大鹿村へと広河原小屋を経て小渋川を下るルートはかつてウェストンなども登った歴史ある好ルートだが、大聖寺平から広河原小屋への道の倒木が多く荒廃が進んでいる。筆者はよく往復するが、読図ができ、沢登りの経験がある人以外はおすすめしない。また7月中は小渋川の水も多く、広河原小屋に下りれば登り返すのも大変なので死亡事故も起きている。2023年7月現在、釜沢・湯折間の林道崩落により、釜沢から先通行止めとなっている。

東尾根へと下る。尾根に至るまでのトラバース道が険しい
東尾根へと下る。尾根に至るまでのトラバース道が険しい
荒川三山を振り返る
荒川三山を振り返る

【お詫びと訂正】公開当初、「静岡県側の椹島(さわらじま)や二軒小屋からは、現在リニア新幹線建設のための準備工事のため、宿泊利用に制約がある」との記述がありましたが、公開後の事実確認で準備工事に伴う制約がないことが確認されました。お詫びして記述を修正いたします。

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この記事に登場する山

長野県 静岡県 / 赤石山脈南部

小河内岳 標高 2,802m

静岡県と長野県の県境にある、南アルプスの山。山頂付近に小河内岳避難小屋があり、夏季は管理人も入るが収容人数は少ない。 周囲はハイマツ帯で、ライチョウの姿も多く見られ、展望は良い。

長野県 静岡県 / 赤石山脈南部

前岳 標高 3,068m

前岳は荒川岳、荒川三山とも呼ばれる、いくつかのピークの集合体の1つである。「三山」と呼ぶ場合は以下の3つの山を指す(以下、高さ順ではなく西から東への位置順に記す)。 * 前岳(荒川前岳) 標高3068m * 中岳(荒川中岳) 標高3082m * 東岳(悪沢岳または荒川東岳) 標高3141m なお、東岳(悪沢岳)は日本第6位の高さである。

長野県 静岡県 / 赤石山脈南部

赤石岳 標高 3,121m

 静岡県と山梨・長野両県の県境尾根には、名前のついている3000m級の山がちょうど10座ある。この10座すべてが静岡市との市境にもなっている。なかでも赤石山脈の盟主、赤石岳は一等三角点をもち、3121mの高さを誇る。まさに南アルプスの王者的な風格があり、山頂からの展望は360度を欲しいままにできる。名だたる南アルプスの山々はもちろんのこと、富士山、奥秩父連峰、八ヶ岳、遠くは北アルプスの槍ヶ岳や穂高連峰、中央アルプス、御岳山と、南アルプスきっての眺望といえる。  山頂には昔の信仰登山のなごりをとどめる石や鉄製の剣が残っており、この山の歴史を物語っている。明治12年と14年に測量登山が行われ、その後一等三角点が設けられた。そして明治時代には地質学者エドモンド・ナウマンやウエストン、河野齢蔵、小島烏水などの学者、登山家がそれぞれ登山している。  また、大正15年夏、この辺りの山林の持ち主であった大倉喜八郎(大倉財閥の創立者)が大勢のお伴を従えて特製の駕籠(かご)で登頂したというエピソードもある。彼の製材会社は東海パルプとして残り、椹島から赤石岳に突き上げている東尾根は別名、大倉尾根とも呼ばれている。  赤石岳を登るにはいくつものコースが考えられるが、代表的な椹島から東尾根を登って登頂、さらに足を延ばして荒川三山を回って椹島へ戻ってくる一周コースを説明する。途中には5つの山小屋があるので、日程も好きなように組める。椹島へは静岡駅からバスで畑薙第1ダムまで入り、ダムから林道を歩くのが一般的。東尾根は取付から急坂が続く。地図上の2027m地点手前で林道を横切る。樹林帯の中の道は踏み込まれていて歩きよく、4時間ほどで赤石小屋に着く。古い小屋のすぐ上には新装なった立派な小屋がある。小屋を過ぎて富士見平に達すると展望が開け、周囲の山が一望できる。しばらく進むと尾根から外れ、左手の赤石沢の支流、北沢の源頭を渡る。この辺りは高山植物が豊富に咲いている。  小屋から3時間ほどで待望の赤石岳山頂に立てる。充分展望を楽しんだならば、小赤石岳、大聖寺平を経て荒川小屋まで下る。次いで頭上にそびえる前岳を目指して登りだすと、ここも所狭しと高嶺の花々が咲いている。前岳に出て中岳の小屋を過ぎ、さらにひと汗かいて悪沢岳へ登り返す。千枚岳を経て1時間も下ると、樹林に囲まれた大きな千枚小屋が建っている。小屋から蕨段を経て椹島までは、長いが穏やかな下りばかりで、3時間もあれば出発地へ戻ることができる。

プロフィール

宗像 充(むなかた・みつる)

むなかた・みつる/ライター。1975年生まれ。高校、大学と山岳部で、沢登りから冬季クライミングまで国内各地の山を登る。登山雑誌で南アルプスを通るリニア中央新幹線の取材で訪問したのがきっかけで、縁あって長野県大鹿村に移住。田んぼをしながら執筆活動を続ける。近著に『ニホンカワウソは生きている』『絶滅してない! ぼくがまぼろしの動物を探す理由』(いずれも旬報社)、『共同親権』(社会評論社)などがある。

日本アルプスに挑戦!

日本アルプスの山に登ることをめざし、基本情報を紹介。さあ、日本アルプスの世界へようこそ!

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