黒百合ヒュッテとクロップ。『山と溪谷』2023年9月号特集より

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

雑誌『山と溪谷』2023年9月号の特集は「八ヶ岳 山と山小屋」。八ヶ岳の山小屋は、山と人、人と人がつながる場所。そして、そんなつながりから生まれたのが「クロップ」だ。

文=阪辻秀生(山と溪谷編集部)、写真=永易量行


朝、八ヶ岳山麓にある永易真門(ながやす・まさと)さんの工房を訪れた。ちょうどその日、黒百合(くろゆり)ヒュッテに納品する47個のクロップを、一つずつ紙に包む作業をしているところだった。50個の依頼を受けて63個作り、水を入れるテストをしたら染み出てしまうのがあったので、今日持って上がるのは47個。足りない分は後日、納品するという。

黒百合ヒュッテの木製カップだから「クロップ」。それは11年前の2012年4月の出来事。山と溪谷社の取材で黒百合ヒュッテを訪れた永易量行(かずゆき)カメラマンが米川岳樹さんから、北欧製の木製カップの仕入れができなくなったという話を聞き、自分の弟が山麓で木工作家をやっているからと真門さんを紹介。米川さんはすぐに真門さんの工房を訪れ、木製カップの製作を依頼した。それから10年間、クロップはヒュッテの売店に並び、多くの登山者の手に渡っていった。

クロップに使っているのはクリの木。木材のなかでも丈夫で腐りにくく、縄文時代から器として利用されてきた、日本の伝統的な材木だ。ただ、水を通してしまう特性があることから、器の内側に液体セラミックでコーティングを施しているが、それでもいくつかは水漏れがあるという。

外側は塗装などの加工はせず、色や木目などが自然のままに出るようにしている。形や高さもまた一つずつ違い、背が高いものもあれば、ずんぐりしたものもある。「自然のモノって皆、形は違うじゃないですか」と真門さんは言う。

「木だって石だって自然の中にあるときは全部違うものなのに、製品化しようとすると画一化され同じ色、同じ形にされていく。こういうのがちょっと不自然だなって思って」

だからクロップの背格好はバラバラ。黒百合ヒュッテでクロップを購入する客は在庫を一通り見比べて、「これがかわいい」「こっちもいいなあ」など、自分の好みの品を選んで買っていく。

黒百合ヒュッテとクロップ
クロップの内側に液体セラミックを塗り込む。真門さんがひとつずつ丁寧に作業する
黒百合ヒュッテとクロップ
永易真門さんの工房に置かれた木工道具。道具もまた使うほどに味が出る
黒百合ヒュッテとクロップ
黒百合ヒュッテ。天狗岳の近く、黒百合平に位置する。三代目ご主人の米川岳樹さんを慕い、四季を問わず多くの登山者が集う。現在改装中で写真は数年前のもの(塩田諭司=写真)

工房で47個のクロップをザックに詰め、唐沢(からさわ)鉱泉からは黒百合ヒュッテまで2時間かけて背負っていく。50個の納品を年2回、2022年で10年を迎えたクロップは累計で1000個販売したことになる。

黒百合ヒュッテに到着すると、真門さんは小屋内の板の間で、ザックから出したクロップを一つずつ並べ始めた。紙に包まれたクロップは精魂込めて育てられたリンゴのように収まっている。

黒百合ヒュッテとクロップ
クロップを背負い黒百合ヒュッテに向かう真門さん
黒百合ヒュッテとクロップ
傷つかないように紙に包みパッキング。この紙は小屋で再利用される
黒百合ヒュッテとクロップ
納品されたクロップを並べ、眺める米川さん(左)と真門さん
黒百合ヒュッテとクロップ
納品されたクロップには、黒百合の焼き印が押される
黒百合ヒュッテとクロップ
取っ手にひもを取りつける小屋のスタッフ

そんな作業をしていると、米川さんが「こんにちは」と言いながら現われた。米川さんは真門さんと一緒に、並べられたクロップを手に取りながら、「おもしろい色だね」「これ、黒い模様がいいね」などと言いながら、楽しそうに話している。納品・検品といった作業というより、大事に育てている愛犬や盆栽の話をしているように見えた。ヤマケイの取材がきっかけとなった10年前の話をふると、米川さんはああそうそうと言い、「よく続いたよね」と嬉しそうに話し出した。

「遠くからわざわざクロップのために来てくれたっていうお客様もいたね。クロップもヒュッテも、そういう人に支えられた10年だったなって」

山小屋は、人と人がつながる場所。山小屋での出会いでクロップが生まれ、クロップが10年かけて多くの登山者とつながっていった。もちろんこれからもつながっていく。

(取材日=2022年10月25日)

黒百合ヒュッテとクロップ
「せっかくだから二人並んで一枚」と、真門さんと米川さんに無理強いをしてみた

山と溪谷2023年9月号より転載)

関連リンク

プロフィール

山と溪谷編集部

『山と溪谷』2024年6月号の特集は「アルプス名ルート100」。日本アルプスの名ルートを100本、編集部が厳選しました。アルプスビギナーがまずはめざしたい名ルートから、ベテランにおすすめしたい通好みのルートまでテーマ別に紹介します。北・南・中央アルプスの綴じ込みマップ付き。

Amazonで見る
楽天で見る

雑誌『山と溪谷』特集より

1930年創刊の登山雑誌『山と溪谷』の最新号から、秀逸な特集記事を抜粋してお届けします。

編集部おすすめ記事