百名山・二百名山の魅力とは? 田中陽希さん特別インタビュー【山と溪谷2024年1月号特集より】

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『山と溪谷』2024年1月号の特集「日本百名山と日本二百名山」より、アドベンチャーレーサーの田中陽希さんのインタビューをご紹介。百名山、二百名山、三百名山を、つなげて歩く「ひと筆書き」で踏破した田中さんに、その魅力をうかがった。

文=谷山宏典、写真=田渕睦深、写真提供=田中陽希

田中陽希

たなか・ようき/プロアドベンチャーレーサー。2014年「日本百名山ひと筆書き」を達成。翌年には「日本2百名山ひと筆書き」、2018~21年には「日本3百名山ひと筆書き」を成し遂げる。現在、アドベンチャーレースチーム「チームイーストウインド」のキャプテンも務める。
田中陽希さん特別インタビュー

山や人と深く向き合うために

――百名山から始まった「ひと筆書き」の旅は、二百名山、三百名山へと広がっていきました。当初からこの3つの旅を考えていたんですか。

はじめは百名山だけで、二百名山、三百名山はまったく考えていなかったです。そもそも「百名山ひと筆書き」は、アドベンチャーレーサーとしてのさらなる成長のため、自分なりの新しい挑戦を模索していたなかで思いついたアイデアでした。百名山踏破に全身全霊で挑み、達成できれば自分はもっと強くなれるだろうし、達成できなくても何か大きなものが得られるんじゃないか、と。

田中陽希さん特別インタビュー
「百名山ひと筆書き」は、2012年に九重山や阿蘇山を縦走したことがきっかけ
田中陽希さん特別インタビュー
「百名山ひと筆書き」は2014年4月から7カ月弱をかけて利尻山でゴールした

――では、なぜ、百名山踏破を達成した翌年、すぐに二百名山への挑戦をすることに?

まわりの期待感が募っていったことが大きかったですね。百名山を達成したら、次はぜひ二百名山に挑戦してほしい、という。そんな声に背中を押されるように、僕自身もやってみようと心を決めて、準備を進めていったんです。

ただ、正直に言うと、自分の気持ちを二百名山に持っていくのがすごく難しかった。百名山では「自分の成長のため」という目的が明確で、どんな状況でもゴールまでたどり着いてやるぞ、という強い気持ちがありました。二百名山は、きっかけが周囲の期待だっただけに、「何のために」という部分が曖昧なまま、動きだしてしまっていたんです。

――そんな葛藤があったとは・・・。

だから、二百名山が終わったあと、当然まわりからは「三百名山はいつ?」という話をされましたが、僕としては自分の中から「行きたい」という強い思いが湧きあがってくるまではやらないと決めていたんです。

――三百名山の旅では、百名山、二百名山の200座を含め、301座すべてを登っていますね。

百名山、二百名山のときは、山頂に立つことを最優先にしていたため、時間に追われ、距離に追われる旅でした。だから、次やるならば、一つ一つの山や地域の人たちとしっかり向き合えるような旅にしたいなと。また、三百名山踏破を目的として、残りの101座だけを登ることには魅力を感じなかった。すでに登った200座を登りなおし、そこにまだ登っていない101座も加えて、三百名山すべてをひと筆書きでつなげてこそ、自分にとって集大成の挑戦になるんじゃないかと考えたんです。

笹尾根が美しかった四国山地の山々

――百名山と二百名山のうち、登りなおしたことで印象が変わった山は?

すごくよかったのは、四国山地ですね。二百名山の旅で三嶺(みうね)や笹(ささ)ヶ峰に登ったときは、濃霧に包まれ雨や雪も降っていたので、何も見えないし、寒いしで、山頂では早く下山することばかり考えていました。三百名山の旅では天気に恵まれたおかげで、たおやかな笹尾根がどこまでも続く景色の中、ほかの登山者に会うこともなく、一人でのんびり歩いていくことができました。ちょうどツツジの季節で、笹の新緑にピンク色の花がよく映え、まるで桃源郷のようで。あまりにも気持ちがよく、横になって昼寝をしていきたかったぐらいです(笑)。

田中陽希さん特別インタビュー
三百名山の旅で大きく印象が変わった四国山地の笹原にて

また、鳥取の大山(だいせん)も思い出深い山になりました。というのも、登った日がちょうど開山1300年祭の当日だったんです。

――開山祭を狙って行ったんですか。

まったくの偶然で。以前にもお世話になった登山口近くの宿に予約の電話を入れたとき、女将さんから教えてもらったんです。女将さんは「前夜祭から参加するのがおすすめですよ」と言うので、そのときいた場所から大山までは5日間で行く計画でしたが、1日の行動距離を延ばして4日間で到着して、開山祭と前夜祭の両方に参加しました。

田中陽希さん特別インタビュー
三百名山の旅の途中、大山の開山祭に参加。写真は前夜祭のときのもの

――登るのが大変だった山は?

一番はやはり日高山脈ですね。日高には百名山の幌尻(ぽろしり)岳、二百名山のカムイエクウチカウシ山とペテガリ岳、三百名山の神威(かむい)岳があり、二百名山の旅では6月に、三百名山の旅では4月に縦走しました。どちらの縦走もそれまで培った知識や技術、経験、そして心構えをすべて総動員したと言っても過言ではありません。

6月の無雪期に登ったときには、水の補給と深いハイマツに苦しめられました。稜線上では水が取れないので、わずかな残雪をかき集めて解かしたりしていたのですが、ペテガリ岳から西尾根を下山しているときに水筒が完全に空になってしまって。最後は脱水症状で手足がしびれて、ふらふらになりながら、麓の山小屋に何とかたどり着いたんです。

田中陽希さん特別インタビュー
最も大変だった日高。特にペテガリ岳は脱水症状に苦しみながら下山した

二百名山の山頂から百名山を遠望する

――百名山を完登した人が、次に二百名山にチャレンジするにあたり、アドバイスなどはありますか?

二百名山の100座を踏破してみて、最も感じたのがアプローチの長さです。多くの山でとにかく林道歩きが長かった。また、登山道や積雪などの情報収集も大変でした。百名山であれば、インターネットで検索すれば登山者の投稿も含めていろんな情報を手軽に入手できますが、二百名山の中には自治体に問い合わせてもはっきりしたことがわからない山もいくつかありました。もちろんすべてがそうではなく、北アルプスの燕岳や針ノ木岳、南アルプスの農鳥岳など、百名山に引けを取らない山もありますが、一方で岐阜・富山・石川県境の笈(おいずる)ヶ岳のように登山道が整備されていない山もあるのが、二百名山の特徴ではないでしょうか。

――二百名山の山々の魅力は?

僕がよく言っているのは、百名山を美しく眺めたければ、二百名山に登れ、ということです。たとえば、北アルプスの燕岳や霞沢(かすみざわ)岳は、その山自体の魅力も充分にありますが、それぞれの山頂から眺める槍や穂高の展望も格別です。北海道のニペソツ山の山頂からは、天気に恵まれれば、大雪山や十勝岳連峰の山々を一望できます。しかも、ニペソツ山は大雪山や十勝岳の東側にあるので、多くの人が目にしている表大雪とは違った、裏側の景色をぐるりと見渡すことができるわけです。

山って登るだけでも楽しめますが、眺める楽しみもあるじゃないですか。特に自分が登った山を遠くから眺めると、「自分はあの頂上に立ったんだ」という感慨が湧いてきますよね。ですから、百名山を登ったあとは二百名山に登り、登山自体を楽しみつつ、その頂上から百名山の山々を遠望するのがおすすめですね。

『山と溪谷』2024年1月号より転載)

プロフィール

山と溪谷編集部

『山と溪谷』2024年5月号の特集は「上高地」。多くの人々を迎える上高地は、登山者にとっては入下山の通り道。知っているようで知らない上高地を、「泊まる・食べる」「自然を知る・歩く」「歴史・文化を知る」3つのテーマから深掘りします。綴じ込み付録は「上高地散策マップ」。

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雑誌『山と溪谷』特集より

1930年創刊の登山雑誌『山と溪谷』の最新号から、秀逸な特集記事を抜粋してお届けします。

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